養鶏家
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界帰り色々な日常 一話完結・オムニバス
本文
王都中央広場に、巨大な卵が置かれていた。
高さ三メートル、青銅色の殻、表面には稲妻のような模様。兵士が十人がかりで運び、学者が百年に一度の神秘だと騒ぎ、王は国宝級だと鼻息を荒くしていた。
だが、その卵を前にして佐藤 純 は腕組みし、ひとこと言った。
「温度、足りないですね」広場が静まり返った。
「な、何だと」王が聞き返す。
「あと湿度も。巣材も悪い」
宮廷魔導士が怒鳴った。
「貴様!これは天空竜の聖卵だぞ!」
「卵は卵です。相手が竜でも、やるべきことは変わりません」純は真顔だった。
異世界に来て十年。各地の飢饉を救い、王国最大の養鶏網を築いた男は、竜の卵を見ても態度が変わらなかった。
純がこの世界へ召喚されたとき、王たちは勇者の力を期待していた。
だが現れたのは、日本で養鶏場を営んでいた男だった。
魔法より餌の調合のほうがうまく、聖剣より温度計のほうが似合う男だった。
最初こそ失望された。
ところが純は 半年で王都の卵不足を解決し、 二年で兵糧事情を改善し、四年で魔王軍の進軍速度を半減させた。 痩せ細った兵は弱い。 蛋白質たっぷりの兵は強い。単純で強力な理屈だった。
純は鶏だけでは終わらなかった。
岩山に棲む火トカゲの卵は低温で燻して保存食にした。
森の月鳥の卵は濃厚で菓子向きだと見抜いた。
沼地の大ガモの卵は臭いが強いが燻製にすると化けた。
王国の食文化は激変した。
人々は彼を『白き勇者』ではなく『卵聖人』と呼ぶようになった。本人は不満だった。せめてもう少し、現場の人間らしい呼び名はないんですか。
その日、広場に運ばれてきた天空竜の卵は、十年で最大の案件だった。
伝説によれば、孵れば王国を守護する神獣になる。失敗すれば百年災いが続くという。
「で、どうなんだ」王が不安げに聞く。
「任せてください。こいつが目覚めた時、一番いい景色を見せてやりますよ」純は袖をまくった。
三日後、王都郊外に特設孵卵舎が建てられた。
魔導士が温度管理をし、鍛冶師が保温装置を作り、騎士団が二十四時間警備する。純は寝袋を持ち込み、卵の横で生活した。
「勇者殿、そこまでなさるのですか」
「生き物相手ですから。鼓動を近くで感じていないと、見落とす変化もありますからね」
「感動しました」
「あと、割れたら中身が気になる。どんな姿で生まれてくるか、今から楽しみですよ」
「本音が出ましたな」
二十日目の夜、卵にひびが入った。
王も姫も兵士も民衆も、皆が見守る中、殻が割れる。
中から現れたのは―
意外なほど小さな 、青い竜だった。
丸い金色の目で辺りを見回し、ふらふらと歩き、純の長靴によじ登る。
「……ピィ」
そして純の指を甘噛みした。
周囲が爆発したような歓声に包まれた。
「守護竜様だ!」
「かわいい!」
純は竜を持ち上げ、腹のあたりを軽く押した。
「空腹ですね」
「わかるのですか!」
「鳴き方で。言葉は通じなくても、何を求めているかは伝わってきます」
その日から、純の仕事はさらに増えた。
朝は鶏舎。
昼は王都への出荷。
夕方から幼竜の世話。手間がかかるほど、愛着も湧く。
忙しかったが、妙に充実していた。
しかも幼竜はよく食べた。
小魚、肉、果物、なんでも食べる。だが一番好きなのは卵だった。
茹で卵を殻ごと噛み砕き、目玉焼きを丸飲みし、卵焼きを見れば羽をばたつかせて寄ってくる。
「共食いでは」騎士団長が青ざめた。
「種類が違います。美味いものを食べて育つ。生き物としてこれほど健全なことはないでしょう?」純は冷静だった。
やがて幼竜は成長し、牛ほどの大きさになった。空も飛び、火も吐くようになった。だが性格は妙に甘えん坊で、純の姿が見えないと倉庫を壊して探し回った。
王国民は恐れた。
純だけが慣れていた。
「待て」
その一言で竜は座った。
「よし」
その一言で尻尾を振った。
王は涙を流した。
「なぜ勇者殿にだけ懐くのだ」
「最初に餌やったからでは」
「単純!」
十五年目、ついに魔王城との最終決戦が始まった。
純は 巨大な竜の背に乗り、兵を率いた。空から火炎を浴びせ、城壁を砕き、魔王軍は総崩れになった。
玉座の間で魔王が叫ぶ。
「なぜだ! なぜ竜が人間につく!」
純は答えた。
「世話したからです」
魔王はそのまま踏まれた。
---
戦いは終わった。
王国中が祝祭に沸き、王は純に城と財宝を与えると言った。
純は首を振った。
「帰還でお願いします。俺がいなきゃ始まらない場所が、あっちにあるんです」
十五年、毎日思い出していた。
日本の養鶏場。朝の空気。
そして家で待つ妻のことを。
送還の光が純を包む。
竜が悲しげに「ピィ……」と、巨体に似合わない小さな声で鳴いた。
「大丈夫だ」純は鼻先を撫でた。
「お前ならやれる。立派な守護竜として、この国を頼んだぞ。……あ、それと。カルシウムとして貝殻を食え。骨が強くなる」
「ピィ」
次の瞬間、純は日本の鶏舎に立っていた。
手には集卵用の籠。
スマホを見ると、十秒しか経っていない。
「……なるほど。戻ってきたんだな、日常に」
家へ戻ると、妻が台所から顔を出した。
「遅いよ」
「少し遠くまで。一生忘れられないような」
「また鶏と話してた?」
「まさか。ただ、何を求めているかが、ちょっと分かるだけだ」
食卓には親子丼があった。
純は思わず笑った。異世界の珍味も竜の宴も、この味には勝てなかった。
翌朝、鶏舎へ行くと、朝日の差し込む中、いつもと同じ鶏たちが迎えてくれた。
純は静かに袖をまくり、温度計をチェックする。異世界での十五年は、彼の職人としての腕を極限まで高めていた。
「うん、このケージはあと二度下げた方がいいな。……ん?」
ふと、集卵用のケージの奥に、ひとつだけおかしなものが見えた。
白い卵の中に交じって、ひとつだけ。
高さ十センチ、青銅色で、表面に稲妻のような模様がある卵が。
純はそれをじっと見つめ、ぽつりと言った。
「……温度、足りないですね」
純の目は、完全に職人のそれだった。
日本の養鶏場に、新たなる「神獣ブランド卵」の歴史が始まろうとしていた。
妻の声が聞こえる。
「純さーん、朝ご飯できたよー」
「すぐ行く! あと、ちょっと強力な孵卵器(ふらんき)をAmozonで注文してくれ!」
窓の外、青い空に龍の形の雲が一つ流れていった。
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