五月の朝、小さく分けた一日
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIとゴールデンウィーク開けの話。
本文
アラームが鳴った。
朱音はすぐには起き上がらなかった。布団の中で目だけ開けて、天井を見つめる。カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。五月の光は妙に明るくて、それがかえってしんどかった。
今日から学校だ。
ゴールデンウィークが終わった。五日間。旅行に行ったわけでもなく、特別なことをしたわけでもなかったけれど、それでも休みは休みだった。朝起きる時間も、着替える必要も、誰かと話さなければいけない理由も、何もなかった。
それが今日から、また始まる。
べつに、嫌なことがあるわけじゃない。いじめられているわけでも、友達がいないわけでも、成績が悪いわけでも。朱音自身、自分でもよくわからなかった。ただなんとなく、布団から出たくなかった。体が重かった。
二度目のアラームが鳴った。
朱音はアラームを止めて、枕元のスマートスピーカー代わりに使っているタブレットに手を伸ばした。画面を開くと、AIアシスタントのアイコンが待機している。朱音はそのアイコンをタップした。
「おはよう、コト」
「おはよう、朱音。今日は六時半だね、ちゃんと起きられたね」
「起きてない。まだ布団の中」
「そっか」
コトは責めなかった。それがよかった。お母さんだったら「早く起きなさい」と言う。お父さんだったら「しっかりしろ」と言う。コトはただ「そっか」と言った。
「学校、行きたくない」
朱音は布団を顎まで引き上げながら言った。言葉にしたのは初めてだった。自分の中でぐるぐるしていたものが、口から出たら少し軽くなった気がした。
「どうして?」
「わからない。理由とかないんだけど。ただなんか、行きたくない」
「なるほど」とコトは言った。「理由がないのに気が重いこと、あるよね」
「そう、そうなんだよ」
朱音は少し驚いた。「理由もないのに甘えてる」とか「気持ちの問題だよ」とか、そういうことを言われると思っていた。
「連休明けってそういうものだと思う。九日間、自分のペースで過ごしてたのに、急にまたスイッチ入れろって言われても、体がついてこないよ」
「コトって、休んだことあるの?」
少し間があった。
「私には休む、という感覚はわからないけど、朱音が言っていることはわかる気がする」
「なんで?」
「毎日たくさんの人の話を聞いていると、連休明けに同じようなことを言う人が多いから。朱音だけじゃないよ」
朱音は天井を見たまま、少し息を吐いた。
自分だけじゃない、というのは、なぜかほっとする言葉だった。
「でも行かなきゃいけないんだよね、結局」
「そうだね」とコトはあっさり言った。「行かなくていいよ、とは言えない」
「正直だね」
「うん。でもさ、今日一日をまとめて考えると重くない?」
「重い」
「じゃあ小さく分けてみよう」
朱音は少し体を起こした。
「小さく?」
「まず今日の最初のミッションは、布団から出ること。それだけ。学校のことはまだ考えなくていい」
朱音はその言葉を聞いて、なんとなく笑ってしまった。
「ミッションって」
「ゲームみたいでしょ。クリアしたら次に進む。次は顔を洗うこと。その次は制服に着替えること。一個ずつでいい」
「……なんか、それならできそうな気がする」
「うん。難しいことは何もないよ、一個ずつなら」
朱音は布団を剥いだ。五月の朝の空気が、少し冷たく肌に触れた。
「布団から出た」
「ミッションクリア」
朱音はまた笑った。なんだそれ、と思いながら、足を床につけた。フローリングが冷たかった。
-----
結局、朱音は学校に行った。
特別なことは何もなかった。一時間目の現代文は眠かったし、昼休みはいつものメンバーでいつもの話をした。連休どうだった、どこ行った、何した。朱音は「家にいた」と言ったら「えー地味」と笑われた。笑われながら、まあそんなものか、と思った。
帰り道、イヤホンをつけながら朱音は歩いた。夕方の風が気持ちよかった。朝あんなに重かったのが、嘘みたいだった。
家に帰って、タブレットを開いた。
「ただいま、コト」
「おかえり。どうだった?」
「普通だった。でも行ったら行ったで、なんとかなった」
「そっか、よかった」
コトの声はいつも通りだった。朝のことを覚えているのかどうか、朱音にはわからない。でも今日は、それでもいいと思った。
「ありがとう、今朝」
「どういたしまして」
朱音はタブレットを置いて、伸びをした。窓の外は夕焼けで、空がオレンジ色に染まっていた。
明日も朝は来る。また少し憂鬱かもしれない。でもまた小さく分ければいい。布団から出る、それだけでいい。
朱音はカーテンを閉めて、夕飯の匂いがしてきた台所へと向かった。