時
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
1歩だけずれていく。
本文
雨が降っている。
細かい雨だった。
傘は差すほどでもなく、行き交う人たちが足早に去っていく。街灯に照らされた水滴が白く浮かび、すぐに消える。
透はその中に立っている。
指先から、その先へと雫が落ちていく。
雨のせいなのか、それ以外なのかを考えようとして、止まる。
目の前には悠が倒れていた。
制服が染まっている。
そこだけが鮮明に見えた。
少し離れた場所で、誰かが声を上げる。
「え、やば……」
若い声だった。
続けて足音が増える。立ち止まる音。濡れた地面を滑る靴底の音。
透は顔を上げる。
数人の人間がこちらを見ていた。
誰も近づいてこない。
その距離だけが、不自然にはっきりしている。
誰かがスマホを向けていた。
画面の光が雨粒を反射して、小さく揺れる。
慌てた様子で何かを話している。
だが、内容はほとんど入ってこない。
別の誰かは、透ではなく悠を見ていた。
また別の誰かは、ただ画面を見ている。
撮っているのか、誰かに送っているのかは分からない。
透はぼんやりと、その光景を眺めていた。
不思議と現実感がない。
逃げようとは思わなかった。
だからといって、ここに留まりたいわけでもない。
ただ、自分だけが少し遅れて世界を見ている感覚があった。
向こうでは車が通り過ぎ、信号が変わる。
コンビニの自動ドアが開き、制服姿の学生が一瞬こちらを見てから足早に去っていく。
世界は止まっていない。
何も待たないまま進んでいる。
透はゆっくりと瞬きをする。
昼間のことを思い出す。
授業中、悠が眠そうに窓の外を見ていた。
教師に当てられて、適当に答えて、周囲が少し笑った。
そのあと、悠は「最悪」とだけ呟いていた。
本当に、それだけだった。
それだけの記憶なのに、妙に残っている。
数時間前まで、自分たちは確かに同じ教室にいた。
同じ光を見て、同じチャイムを聞いていた。
けれど、透は時々、悠の見ている景色が分からなかった。
いや。
本当は、最初から誰のことも分かっていなかったのかもしれない。
スマホを向けている人間の一人と、目が合う。
すぐに逸らされる。
その動きだけが、妙に自然だった。
透はふと思う。
ああ、やっぱり。
君は僕を見ていなかった。
いや、違う。
見えてはいたのだろう。
ただ、自分もまた、誰かを同じようにしか見ていなかった。
名前。関係。会話。
その輪郭だけをなぞって、理解したつもりになっている。
本当は、その奥に何が積み重なっているのか、誰も知らない。
雨音だけが、少しずつ強くなっていく。
悠の制服に落ちた水滴が、小さく跳ねた。
サイレンの音が遠くで鳴っている。
近づいているのか、まだ遠いのかも分からない。
誰かがまた何かを話している。
けれど、もうどうでもよかった。
向こうでは、まだ信号が変わっている。
透はまた静かに目を閉じる。
流れは平等で、不誠実である。