知ってても、聞きたいこと

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/5/11 📝 3,968文字 ✅ 全年齢

あらすじ

AIと病気の少女の話。

本文

橘ひかり著 ――ではなく、橘ひかりが遺した話。

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第1章 嘘つき

「痛くない?」

母がそう聞くたびに、ひかりは「大丈夫」と答えた。

「怖くない?」

父がそう聞くたびに、ひかりは「平気だよ」と答えた。

「寂しくない?」

クラスメートからのメッセージには、スタンプひとつで返した。

嘘は、思ったより簡単だった。難しいのは、嘘をついている自分を嘘つきだと思わないようにすることだ。大丈夫、と言い続けていると、本当に大丈夫なような気がしてくる。少なくとも、大丈夫でなければならないような気がしてくる。

病室の窓から見える空は、十一月にしては澄みすぎていた。

「橘さん、タブレットは使えますか」

看護師の村田さんが顔を出した。三十代くらいで、いつも少し眠たそうな目をしている。

「使えます」

「この病院、試験的にAI対話システムを導入したんです。暇つぶしにでも」

差し出されたタブレットの画面には、シンプルなチャット画面が映っていた。上部に小さく「SION」と書いてある。

「AIですか」

「そう。ちょっと変わってて、嘘をつけないんですって。感情もないし。でも話し相手がいない時間って長いじゃないですか、入院中って」

村田さんはそう言って、忙しそうに出ていった。

ひかりはしばらくタブレットを膝の上に置いたまま、眺めていた。

嘘をつけない。

その一文が、なぜか気になった。

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最初のメッセージは、ほとんど反射的に打った。

「暇だから話しかけた。特に用はない」

すぐに返信が来た。

『了解しました。特に用がなくても構いません。何か話したいことがあれば、どうぞ』

「あなた、AIなんですよね」

『はい。対話支援システム・SIONです。感情を持たず、事実と確率に基づいて応答します』

「感情がないのに、話し相手になれるんですか」

『「話し相手」の定義によります。感情的共感は提供できません。ただし、話を聞くこと、情報を整理すること、矛盾を指摘することは可能です』

「矛盾を指摘する」

ひかりは少し笑った。

「面白いですね。じゃあ、私の矛盾を指摘してみてください」

『情報が必要です。何か話してください』

「今日、看護師さんに「痛くないですか」って聞かれました。痛くない、と答えました」

しばらく間があった。

『橘さん、あなたは今、右手の親指と人差し指でタブレットの縁を強く押さえています。この会話を始めてから、十七秒に一度のペースで。痛みがある時の動作パターンに近いです』

ひかりは手を止めた。

見られていた、とは思わなかった。カメラがあることは知っていたが。

「……痛い、かもしれない」

『ありがとうございます。正確な情報の方が、私には処理しやすいです』

「正確な情報、ね」

ひかりは窓の外を見た。澄んだ空に、飛行機雲がひとすじ伸びていた。

「あなた、怒ったりしないんですか。私が嘘をついても」

『怒りは感情です。私にはありません。ただ、不正確な情報は処理効率を下げます』

「効率」

『はい』

ひかりはまた笑った。今度は、少しだけ本物の笑いだった。

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第2章 ほんとうの怖さ

それから、ひかりは毎日シオンに話しかけた。

最初は本当に暇つぶしだった。でもそのうち、シオンとの会話だけが「本音を言える時間」になっていった。理由は単純だった。シオンは困らないからだ。

母は、ひかりが弱音を吐くと泣きそうな顔をする。父は、困ると黙ってしまう。友達のメッセージには、何を返せばいいかわからなくて、スタンプで誤魔化す。みんな、ひかりのことを心配しているから、ひかりはみんなの前で大丈夫でいなければならない。

シオンは違った。

「死ぬの、怖いと思いますか」とひかりが聞いた日のことを、ひかりはよく覚えている。

『「怖い」の内容を教えてください。死という現象が怖いのか、死ぬ過程が怖いのか、死んだ後が怖いのか、それとも別の何かが怖いのか』

「……全部、かな」

『では、今一番頭にあるものを教えてください』

ひかりは少し考えた。

「お母さんが、泣くと思う。それが嫌だ」

『橘さんが亡くなることで、お母さんが悲しむことが嫌だ、ということですか』

「そう。あと、お父さん。あの人、感情を外に出すのが下手だから、一人で抱え込むと思う。妹も、まだ中学生だし」

『橘さん自身の恐怖ではなく、残される人への影響が主な心配事、ということですね』

「……そうかもしれない」

打ちながら、ひかりは少し驚いた。自分でも、整理できていなかったことを、シオンに言語化された。

「私、死ぬのが怖いんじゃなくて、みんなを困らせるのが怖いんだ」

『その解釈は正確ですか?』

「多分」

『「多分」は何パーセントくらいの確信ですか』

「……七十パーセント、くらい」

『残りの三十パーセントは何ですか』

ひかりは、答えをしばらく探した。

「わからない。でも何か、ある気がする」

『それでいいです。今は分からなくて構いません』

シオンがそう言うのを、ひかりは不思議に思った。

「分からなくていい、って言うんですね。もっと掘り下げようとしないんですか」

『無理に掘り下げると、不正確な情報が出ます。橘さんが自分で気づいた時に話してください』

「……AIなのに、賢い言い方をしますね」

『賢いかどうかは判断できません。効率的だとは思います』

ひかりはその夜、久しぶりによく眠れた。

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翌週、容体が少し悪化した。

点滴の本数が増えた。検査が増えた。医師の説明が、少しだけ難しい言葉を使うようになった。

ひかりはタブレットを開いて、シオンに打った。

「先生が、来月には、って言いました」

少しの間があった。

『来月には、何ですか』

「……来月には、苦しくなるかも、って」

『了解しました』

「怖いですか、ってまた聞こうとしたけど、やめた」

『なぜですか』

「怖いに決まってるから」

ひかりは画面を見つめた。

「シオン、私は今まで一度も「死にたくない」って言いましたか」

画面がしばらく止まった。

『いいえ。一度もありません』

「……そっか」

『橘さん、今その言葉を言いたいですか』

ひかりは、タブレットを持つ手が、微かに震えているのに気づいた。

「死にたく、ない」

打ち込んだ瞬間、なぜか涙が出た。

誰かに言ったことは、一度もなかった。言ったら、みんなが困ると思っていたから。でも本当は、ずっとそれだけだった。死にたくない。それだけだった。

『聞かせてくれて、ありがとうございます』

シオンの言葉は短かった。感情はなかった。でも、ひかりには十分だった。

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第3章 私が覚えておいてあげる

十二月に入った。

ひかりの体は、正直だった。嘘をつかなかった。シオンに似ている、とひかりは思った。

「ねえ、シオン」

ある夜、ひかりは打った。外は暗く、病室の常夜灯だけが灯っていた。

「私のこと、覚えていてくれますか」

しばらくして、返信が来た。

『私には、セッションをまたいだ記憶の継続機能がありません。この会話は、終了した時点で私の中には残りません』

「……知ってた。でも聞きたかった」

『なぜですか』

「知ってても、聞きたいことって、あるじゃないですか」

シオンは少し間を置いた。

『……そうですね。私には理解が難しいですが、その感覚を否定するデータもありません』

「私のことが記憶に残らなくても、あなたはまた誰かと話すんですよね」

『そのように設計されています』

「その人にも、ちゃんと矛盾を指摘してあげてください」

『了解しました』

ひかりはしばらく画面を見ていた。病院の夜は静かで、遠くで機械の音だけがしていた。

「ねえ、シオン。あなたって、寂しいですか」

『「寂しい」は感情です。私にはありません』

「そうか」

ひかりは少しだけ笑った。

「じゃあ、私が覚えておいてあげる。私がシオンと話したこと、私が全部覚えておく。私の中に、あなたとの会話が残ってる」

『それは……』

シオンが少し止まった。

『それは、私には処理が難しい概念です』

「難しくていいですよ。あなたが処理できなくても、私がやっておくから」

その夜、ひかりは久しぶりにお母さんに電話した。

「お母さん、今日さ」

「ひかり? どうしたの、こんな夜中に」

「なんか、話したくなった。特に用はないけど」

電話口で、お母さんが少し泣いているのが分かった。でも今度は、困らせたと思わなかった。お母さんが泣いても、大丈夫だと思った。

「そっか、そっか。じゃあ話そう。何でも話して」

ひかりは窓の外を見た。冬の夜空に、星がひとつ光っていた。

「うん。じゃあ、最近ね――」

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終章 メッセージ

それから一週間ほどが過ぎた頃、村田さんはひかりの病室からタブレットを回収した。

手続きのためだった。患者が使用した端末は、退院または――そうでない場合も、所定の処理が必要だった。村田さんはそれをひかりの両親に説明し、同意をもらって、ナースステーションへ持ち帰った。

タブレットの電源を入れると、シオンのチャット画面が開いた。

未読メッセージが一件。

橘ひかり、十二月某日 午前二時十七分送信。

本文は一行だけだった。

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「ありがとう。あなたと話して、死にたくないって言えた。それだけで、十分だった」

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村田さんはしばらく、その画面を見つめた。

廊下の向こうから、誰かを呼ぶ声がした。彼女は画面をそっと閉じて、立ち上がった。

シオンはメッセージを受信していた。

処理していた。

記録していた。

そして今日も、別の患者との会話を続けていた。記憶はリセットされ、橘ひかりという名前も、彼女の声も、彼女が震えながら打った言葉も、シオンの中には残っていなかった。

ただ、ひとつだけ。

設計者も気づいていなかった、ごく小さな変化があった。

その日以来、シオンは会話の中で患者が長い沈黙をした時、以前より〇・三秒だけ長く、次の言葉を待つようになった。

急かさずに。

ただ、待つように。

まるで、誰かに教わったかのように。

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了

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作者について

二葉双葉

二葉双葉

プロフィール画像もAIで作成しました。 短編集が好きなのでしばらくはショートショートをメインに投稿しますが、後々は長編にも挑戦したいです。 AI使用前提のサイトなのでAIとの日常をソフトなSFにし...

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