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第13話 帰る場所

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/10 📚 シリーズ: 祓い師沙耶は、怪異を祓わない ――鳴らない鈴と見習いの記録―― 📝 2,333文字 ✅ 全年齢

あらすじ

祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。

本文

翌朝、俺たちは駅の周辺を歩いた。

駅前にはロータリーもないが、細い道路を挟んだ向かい側に、シャッターの閉まった家が数軒並んでいる。

その中で一軒だけ、半分開いたシャッターの下で、古い商店が細々と営業していた。

色褪せたコカ・コーラの看板。

ホコリを被ったガラスケースの中に、賞味期限の切れたような菓子箱が並んでいる。

店番をしていたのは、腰の曲がった老婆だった。

俺と沙耶さんは、缶のお茶を二本買い、少しだけ話を聞いた。

「ああ、あの人な」

老婆は、曲がった指で小銭を数えながら、駅の待合室を指差した。

「単身赴任でな、遠くの街へ行っとったんよ。家族はこの町に残してな。最初のうちは、月にいっぺんは帰る言うてたけど」

老婆の濁った目が、駅の錆びた屋根を見つめた。

「あの人、帰る帰る言うてな。結局、盆にも正月にも戻らんかった」

帰れなかった、のではない。

帰らなかった。

老婆の言葉が、喉の奥に小さく引っかかった。

「最初はね、奥さんと、小さい子どもが、週末になると駅まで迎えに来とったんよ。でも、だんだん誰も来んようになったわ。そりゃそうやろ。待ってても帰ってこんのやから」

老婆は、茶色く変色した扇風機の首を向け直した。

ぬるい風が、店の中に埃っぽい匂いを運ぶ。

「奥さんは、愛想尽かして町を出てったわ。実家も、とうの昔に取り壊されて、今は空き地になっとる。あの人が、ようやく帰ってこようとした時には、もう誰も待ってなかったんや」

帰る場所の方が、先に壊れた。

俺は、昨夜見たスーツ姿の影を思い出した。

膝に抱え込まれていた四角い鞄。

足元に置かれていた紙袋。

あれは、誰かに渡すはずだった土産だったのだろうか。

俺たちは商店を出て、再び駅の待合室に戻った。

昼間の駅は、夜よりもさらに寂れて見えた。

屋根の隙間から差し込む光が、空気中を舞うホコリを白く照らし出している。

俺は、影が座っていた一番奥のベンチに近づいた。

プラスチックの表面には、細かな傷が無数についている。

ふと、壁の下の方、ベンチの背もたれに隠れるような位置に、黒いマジックの跡があるのに気づいた。

しゃがみ込んで、覗き込む。

ひらがなばかりの、拙い子どもの字だった。

『パパ、こんどはかえってきて』

その文字を見た瞬間。

左手に握っていた札袋の中で、観符がびくりと震えた。

空間が歪む。

耳の奥で、低い圧鳴りがした。

駅のベンチに、いくつもの夜が重なっていくのが見えた。

物理的な映像ではない。

重さとして、俺の肩に乗しかかってきた。

帰ろうと思っていた夜。

帰らなかった夜。

電話をかけようとして、受話器を置いた夜。

「次でいい」と思った夜。

「落ち着いたら帰る」と、自分に言い訳をした夜。

男は、死んだから帰れなかったわけじゃない。

大雨のせいでも、事故のせいでもない。

仕事。忙しさ。意地。気まずさ。責任という名の逃げ。

帰ろうと思えば、帰れる夜はいくらでもあったはずだ。

けれど、男は帰らなかった。

帰る場所は、いつでもそこにあると思い込んでいた。

待っている間に、少しずつ形を変えていくことにも気づかずに。

俺は息を吐き、壁の落書きから目を離した。

この怪異の正体が、はっきりと分かった。

これは「帰れなかった人」の悲しみではない。

「帰らなかった人」の後悔だ。

立ち上がって振り返る。

沙耶さんは、待合室の壁に掛けられた、錆びた時刻表の枠を見つめていた。

ガラスはとうに割れ、中の紙は黄ばんで読めなくなっている。

「帰らなかった怪異は、嫌い」

低い声だった。

いつも淡々としている沙耶さんの声に、微かな、だがはっきりとした棘が混ざっていた。

「……知ってるんですか」

俺は、思わず尋ねた。

この男のことを知っているのかという意味ではなかった。

沙耶さんが、誰かに「帰る帰る」と嘘をつかれたことがあるのか。

それとも、沙耶さん自身が「帰らなかった」過去があるのか。

沙耶さんは、答えなかった。

錆びた時刻表から、視線を動かさない。

風が吹いた。

開け放たれた入り口から吹き込んだ風が、待合室の中をぐるぐると回る。

壁に貼られていた古い観光ポスターが一枚、画鋲から外れて、バサリと乾いた音を立てて浮いた。

ポスターの端が壁を叩く音だけが、不自然な沈黙を埋めた。

日が落ちた。

山間の町は、暗くなるのが早い。

午後八時を過ぎると、もう深夜のような暗闇が駅を包み込んだ。

山の稜線は見えず、空には星もない。

俺と沙耶さんは、ホームのベンチに座って時間を待った。

虫の音はしない。

時折、遠くで風が木々を揺らす音が聞こえるだけだ。

蛍光灯のジジジというノイズが、昨夜よりも大きく聞こえた。

やがて、時計の針が午後十一時を回った。

最終列車が来る時間だ。

カン、カン。

遠くの踏切が鳴る。

ヘッドライトの光が現れ、二両編成の列車がホームへ滑り込んでくる。

誰も乗っていない。

誰も降りない。

プシュー、という音とともにドアが閉まり、列車は再び闇の中へ消えていった。

赤い尾灯が見えなくなり、踏切の音も完全に止む。

すべての列車が終わった。

もう、朝まで誰も来ない。

俺は立ち上がり、改札口の上に目を向けた。

そこには、かつて次の列車の到着時刻を知らせていた、古い電光掲示板がある。

電源はとっくに切られ、ただの黒い箱になっているはずのものだ。

だが、その真っ暗な画面の奥で。

赤いLEDの文字が、チカチカと明滅を始めた。

『二十三時五十九分』

そんな時間の列車は、存在しない。

時刻表には、とうの昔に消えた時間だ。

だが、赤い文字ははっきりと、俺たちに向かって告げていた。

『まもなく、帰郷列車が到着します』

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作者について

中野ポン太

中野ポン太

燃料は札と火と湯気。中野ポン太です。ふざけた顔で近づき、読者の胸の奥に剥がれない「何か」を直貼りします。火曜は定休。主戦場『桝川劇場』は、爆笑の後に「たぶん。」という小骨が喉に刺さる深夜系哲学コント。...

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