第14話 鳴り止むホーム
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。
本文
深夜のホームは、底冷えがした。
薄いジャケットのポケットに両手を突っ込んでも、指先から熱が奪われていくのが分かる。
頭上の蛍光灯が立てるジジジというノイズだけが、駅全体を支配していた。
時刻は二十三時五十九分。
すべての列車が終わり、駅舎の入り口に鎖が張られてから、すでに三十分以上が経過している。
それなのに、足元のコンクリートが微かに震え始めた。
最初は、錯覚かと思った。
だが、間違いなく線路が鳴っている。
山の向こうから、重い鉄の塊がレールを軋ませる音が近づいてくる。
がたん、ごとん。
がたん、ごとん。
音は確実に大きくなっている。
俺は線路の先、闇の奥を見つめた。
けれど、何もない。
列車のヘッドライトの光は見えない。
車体を揺らす風圧も、ブレーキの摩擦の匂いもない。
ただ、列車の『音』だけが、黒い闇の中から猛烈な勢いで近づいてくる。
がたん、ごとん、がたん、ごとん。
音がホームの目の前まで来た。
見えない巨体が、轟音とともに俺の目の前を通り過ぎていく。
その直後だった。
ちりん。
背後の待合室で、金属の玉がぶつかる音がした。
ちりん。
ちりん。
古い、改札口の呼び鈴だ。
俺は振り返った。
錆びた鉄柵の向こう側。
待合室の中からこちらへ向かって、一つの影が立っていた。
くたびれたスーツ姿の大人の男だ。
片手には使い込まれたビジネスバッグを提げている。
そしてもう片方の手には、紙袋が握られていた。
デパートの包装紙に包まれた、四角い箱のシルエット。
誰かに渡すはずだった、土産の包みだ。
男の顔はない。
だが、その影がホームに入ろうとして、どうしても改札の柵を越えられないことは分かった。
男は列車に乗らない。
改札を出て、駅の外へ向かうこともできない。
ただ、ホームの側を見つめて立ち尽くしている。
俺は左手で、二本指の間に札を挟んだ。
聞き留め(ききどめ)の札だ。
札の墨が俺の体温に反応し、じわりと輪郭を崩す。
途端に、耳の奥に幾重にも重なった男の声が流れ込んできた。
『――今度は帰る』
『――次の休みには帰る』
『――落ち着いたら帰る』
『――まだ間に合うと思っていた』
それはかつて、男が電話越しに、あるいは手紙で、家族へ向かって口にしていた言葉たちだ。
しかし今、その声に「言い訳」の響きはない。
仕事が忙しいとか、疲れているとか、そんな自己正当化はすっかり抜け落ちていた。
残っているのは、取り返しのつかない空虚な後悔だけだ。
札を持つ手が震えた。
俺はどうすればいい。
この男を、責めればいいのか。
お前が帰らなかったから、家族は壊れたんだと。
それとも、許せばいいのか。
家族の代わりに「もういいよ」と言えばいいのか。
「許すために、祓うんじゃないよ」
隣で、沙耶さんが静かに言った。
彼女は改札の影をまっすぐに見据えたまま、腰の祓い鈴に手を添えている。
「許しも、救いも、私たちが決めることじゃない。それは神様か、本人の家族の仕事」
沙耶さんの言葉が、冷たい夜の空気にスッと浸透した。
俺は、震える右手に筆符(ふでふ)を握り直した。
左手に新しい詠札(えいふだ)を取り出す。
何を書けばいいのか、しばらく分からなかった。
『帰ってきてよかった』
違う。男は帰れなかった。
『まだ間に合う』
それも違う。男が失った時間はもう戻らないし、土産を渡す相手ももういない。
俺は、男がベンチで重ねていた夜の重さを思い出した。
帰れる場所は、いつでもそこにあると思っていた大人の勘違い。
俺は、濡れた筆先を詠札の表面に下ろした。
解釈はいらない。
慰めも、許しも、責め言葉もいらない。
俺が札に記したのは、一行だけだった。
『終電後、男は改札を出た。』
ただの記録。
一つの行動の確定。
男の止まった時間を、物理的に次の場所へ動かすための一文。
沙耶さんが、腰の鈴に触れた。
ちり。
澄んだ音が、冷え切ったホームの空気を切り裂いた。
鈴渡しだ。
俺が書いた詠札の文字が、黒い光の帯となって改札口の影へと届く。
男の影は、自分の胸元に吸い込まれていく文字の帯を、しばらくじっと見ていた。
やがて、影の腕が動いた。
握りしめていた土産の紙袋を、改札のすぐ横のベンチにそっと置く。
そして、ビジネスバッグを持ち直した。
向かう先は、存在しない列車の音を響かせるホームの方ではない。
男は背を向けた。
待合室を抜け、駅舎の入り口へ向かう。
そこに家族はいない。
迎えの車もない。
帰る場所は、とうの昔になくなっている。
それでも、男は初めて駅の外へ歩き出した。
帰らなかった後悔を、この駅に置き去りにするのをやめたのだ。
男の背中が、駅舎の外の闇に溶けて消えようとした時。
沙耶さんの鈴が、もう一度だけ鳴った。
ちり。
呼ぶ音ではなかった。
引き止める音でもなかった。
それは明らかに、出ていく背中を静かに『見送る』音だった。
俺は沙耶さんの横顔を見た。
「帰らなかった怪異は、嫌い」と言ったはずの彼女の目が、微かに伏せられている。
それでも、鈴は男を見送った。
その矛盾に、俺は何も言えなかった。
翌朝。
山間の無人駅は、白々とした陽の光に照らされていた。
朝一番の列車が到着する時間になっても、駅の呼び鈴は二度と鳴らなかった。
ただ、待合室のベンチに。
渡されなかった土産の包みだけが、ぽつんと置かれていた。
包装紙の端は、少しだけ日に焼けていた。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。