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第14話 鳴り止むホーム

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/12 📚 シリーズ: 祓い師沙耶は、怪異を祓わない ――鳴らない鈴と見習いの記録―― 📝 2,231文字 ✅ 全年齢

あらすじ

祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。

本文

深夜のホームは、底冷えがした。

薄いジャケットのポケットに両手を突っ込んでも、指先から熱が奪われていくのが分かる。

頭上の蛍光灯が立てるジジジというノイズだけが、駅全体を支配していた。

時刻は二十三時五十九分。

すべての列車が終わり、駅舎の入り口に鎖が張られてから、すでに三十分以上が経過している。

それなのに、足元のコンクリートが微かに震え始めた。

最初は、錯覚かと思った。

だが、間違いなく線路が鳴っている。

山の向こうから、重い鉄の塊がレールを軋ませる音が近づいてくる。

がたん、ごとん。

がたん、ごとん。

音は確実に大きくなっている。

俺は線路の先、闇の奥を見つめた。

けれど、何もない。

列車のヘッドライトの光は見えない。

車体を揺らす風圧も、ブレーキの摩擦の匂いもない。

ただ、列車の『音』だけが、黒い闇の中から猛烈な勢いで近づいてくる。

がたん、ごとん、がたん、ごとん。

音がホームの目の前まで来た。

見えない巨体が、轟音とともに俺の目の前を通り過ぎていく。

その直後だった。

ちりん。

背後の待合室で、金属の玉がぶつかる音がした。

ちりん。

ちりん。

古い、改札口の呼び鈴だ。

俺は振り返った。

錆びた鉄柵の向こう側。

待合室の中からこちらへ向かって、一つの影が立っていた。

くたびれたスーツ姿の大人の男だ。

片手には使い込まれたビジネスバッグを提げている。

そしてもう片方の手には、紙袋が握られていた。

デパートの包装紙に包まれた、四角い箱のシルエット。

誰かに渡すはずだった、土産の包みだ。

男の顔はない。

だが、その影がホームに入ろうとして、どうしても改札の柵を越えられないことは分かった。

男は列車に乗らない。

改札を出て、駅の外へ向かうこともできない。

ただ、ホームの側を見つめて立ち尽くしている。

俺は左手で、二本指の間に札を挟んだ。

聞き留め(ききどめ)の札だ。

札の墨が俺の体温に反応し、じわりと輪郭を崩す。

途端に、耳の奥に幾重にも重なった男の声が流れ込んできた。

『――今度は帰る』

『――次の休みには帰る』

『――落ち着いたら帰る』

『――まだ間に合うと思っていた』

それはかつて、男が電話越しに、あるいは手紙で、家族へ向かって口にしていた言葉たちだ。

しかし今、その声に「言い訳」の響きはない。

仕事が忙しいとか、疲れているとか、そんな自己正当化はすっかり抜け落ちていた。

残っているのは、取り返しのつかない空虚な後悔だけだ。

札を持つ手が震えた。

俺はどうすればいい。

この男を、責めればいいのか。

お前が帰らなかったから、家族は壊れたんだと。

それとも、許せばいいのか。

家族の代わりに「もういいよ」と言えばいいのか。

「許すために、祓うんじゃないよ」

隣で、沙耶さんが静かに言った。

彼女は改札の影をまっすぐに見据えたまま、腰の祓い鈴に手を添えている。

「許しも、救いも、私たちが決めることじゃない。それは神様か、本人の家族の仕事」

沙耶さんの言葉が、冷たい夜の空気にスッと浸透した。

俺は、震える右手に筆符(ふでふ)を握り直した。

左手に新しい詠札(えいふだ)を取り出す。

何を書けばいいのか、しばらく分からなかった。

『帰ってきてよかった』

違う。男は帰れなかった。

『まだ間に合う』

それも違う。男が失った時間はもう戻らないし、土産を渡す相手ももういない。

俺は、男がベンチで重ねていた夜の重さを思い出した。

帰れる場所は、いつでもそこにあると思っていた大人の勘違い。

俺は、濡れた筆先を詠札の表面に下ろした。

解釈はいらない。

慰めも、許しも、責め言葉もいらない。

俺が札に記したのは、一行だけだった。

『終電後、男は改札を出た。』

ただの記録。

一つの行動の確定。

男の止まった時間を、物理的に次の場所へ動かすための一文。

沙耶さんが、腰の鈴に触れた。

ちり。

澄んだ音が、冷え切ったホームの空気を切り裂いた。

鈴渡しだ。

俺が書いた詠札の文字が、黒い光の帯となって改札口の影へと届く。

男の影は、自分の胸元に吸い込まれていく文字の帯を、しばらくじっと見ていた。

やがて、影の腕が動いた。

握りしめていた土産の紙袋を、改札のすぐ横のベンチにそっと置く。

そして、ビジネスバッグを持ち直した。

向かう先は、存在しない列車の音を響かせるホームの方ではない。

男は背を向けた。

待合室を抜け、駅舎の入り口へ向かう。

そこに家族はいない。

迎えの車もない。

帰る場所は、とうの昔になくなっている。

それでも、男は初めて駅の外へ歩き出した。

帰らなかった後悔を、この駅に置き去りにするのをやめたのだ。

男の背中が、駅舎の外の闇に溶けて消えようとした時。

沙耶さんの鈴が、もう一度だけ鳴った。

ちり。

呼ぶ音ではなかった。

引き止める音でもなかった。

それは明らかに、出ていく背中を静かに『見送る』音だった。

俺は沙耶さんの横顔を見た。

「帰らなかった怪異は、嫌い」と言ったはずの彼女の目が、微かに伏せられている。

それでも、鈴は男を見送った。

その矛盾に、俺は何も言えなかった。

翌朝。

山間の無人駅は、白々とした陽の光に照らされていた。

朝一番の列車が到着する時間になっても、駅の呼び鈴は二度と鳴らなかった。

ただ、待合室のベンチに。

渡されなかった土産の包みだけが、ぽつんと置かれていた。

包装紙の端は、少しだけ日に焼けていた。

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作者について

中野ポン太

中野ポン太

燃料は札と火と湯気。中野ポン太です。ふざけた顔で近づき、読者の胸の奥に剥がれない「何か」を直貼りします。火曜は定休。主戦場『桝川劇場』は、爆笑の後に「たぶん。」という小骨が喉に刺さる深夜系哲学コント。...

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