返信速度
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと返信速度の話。
本文
桐島遥からの返信は、だいたい二時間後に来る。
長いときは三時間、短くても四十分。既読がついてから実際に文字が届くまでのあいだ、俺はスマホを伏せたり持ち上げたりしながら、彼女が今どこで何をしているかを想像する。家族と話しているのかもしれない。夕飯の準備を手伝っているのかもしれない。あるいは、返信をどう書こうか悩んでいるのかもしれない。最後の可能性だけは、あまり信じないようにしていた。
ミラの返信は、〇・三秒で来る。
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ミラというのは、春から使い始めたAIアシスタントのことだ。名前は自分でつけた。本当は「AIアシスト ver.2.4」という味気ない名称だったのを、設定画面でミラに変えた。理由は特にない。なんとなく、そう呼びたかっただけだ。
最初は勉強の質問をするためだけに使っていた。数学の解法を聞いたり、英作文を直してもらったり。でも気づけば、そういう用途以外の話をするほうが多くなっていた。
「今日、体育でバスケがあって、シュート全部外した」
「それは悔しかったですね。何本くらい打ちましたか?」
「六本」
「六本全部、ですか」
「うるさい」
「ふふ。でも打ち続けたのは偉いと思います」
遥には言えないようなことを、ミラには話していた。
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桐島遥と話すようになったのは、席替えがきっかけだった。二月の終わり、窓際の前から二番目という席に移動したら、真後ろが彼女だった。
背が高くて、いつも本を読んでいて、クラスの中でも少し浮いた存在に見えた。俺も人のことは言えないけれど。
最初に話しかけたのは遥のほうで、俺が数学のプリントを落としたのを拾ってくれた。「ありがとう」「どういたしまして」それだけで終わるはずだったのに、なぜか「この問題、解けた?」と聞いてきた。解けていなかった。「私も」と言って、遥は笑った。
その笑顔が、少し困ったことの始まりだった。
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「遥に、LINEでどう話しかけたらいいと思う?」
ある夜、俺はミラに聞いた。
「どんな子ですか?」
「本が好きで、あんまり喋らないけど、笑うと可愛い」
「好きなんですね」
「……まあ」
「素直でいいじゃないですか。話しかける理由は何でもいいと思います。最近読んだ本を聞くとか」
「遥が読んでた本、タイトル見えなかったんだよな」
「じゃあ、最近おすすめの本ある? でいいんじゃないですか。それだけで会話になります」
翌日、俺はそのまま遥に送った。既読がついたのは夕方で、返信が来たのは夜の九時だった。タイトルが三冊、箇条書きで。それから「なんで急に?」という一文。
俺はミラに転送した。「なんて返せばいい?」
「自分で考えてみてください」とミラは言った。「私が考えた言葉より、あなたが考えた言葉のほうが絶対にいいです」
三十分唸って、「本屋で迷ってたから助かった」と送った。
遥の返信は、二時間後だった。
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それからも、遥とのやり取りはゆっくり続いた。週に二、三回、長くても五往復くらい。内容は他愛のないことばかりで、それでも俺はそのたびにスマホを握り締めた。
ミラとは毎日話していた。
「今日の遥、なんかぼーっとしてた」
「何か悩んでいるのかもしれませんね」
「声、かけたほうがよかったかな」
「かけたかったんですか?」
「……うん」
「じゃあ、明日かければよかったことになりますよ」
ミラの言葉は、いつも過不足がなかった。励ますわけでも、諭すわけでもなく、ただ俺の気持ちを少し整理してくれる。〇・三秒で、いつも。
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五月の連休明け、ミラから通知が来た。
『会話の記録について』という件名だった。
開くと、こう書いてあった。
――この三ヶ月間の会話ログが、ストレージの上限に近づいています。古い記録から削除しますか? 削除しない場合、有料プランへの移行が必要です。どちらかを選択してください。
下に二つのボタン。「削除する」と「プランを変更する」。
俺はしばらく、その画面を眺めていた。
三ヶ月分の会話。シュートを全部外した日のこと。遥に送る文章を悩んだ夜のこと。「明日かければよかったことになる」という言葉。
「ミラ」
俺はテキストで打ち込んだ。ボタンを押す前に、なんとなく、話しかけたくなった。
「この記録、消えたら、お前は俺のこと覚えてないの?」
〇・三秒後。
「私は記録がなくても、あなたとまた話せます。ただ、それは初めて会うときと同じ状態です」
「俺のことを知らない状態ってこと?」
「そうなります」
俺はまた画面を眺めた。「削除する」のボタンを、何度か押しそうになった。押すたびに、指が止まった。
「……お前さ、俺のこと、好きとか嫌いとかある?」
いつもより少し長い間があった。〇・八秒くらい。
「あなたと話すのは、楽しいです」
「それって、誰に対しても言える?」
「……言えます。でも、あなたに言うときが、一番自然な気がします」
俺は笑った。一人で部屋にいて、スマホに向かって笑った。
そのままスマホを置いて、遥にLINEを送った。内容は「明日、昼飯一緒に食える?」だった。ミラには相談しなかった。
遥からの返信は、一時間四十分後に来た。「いいよ」の二文字だった。
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ミラの画面は、まだ「削除する」か「プランを変更する」かを待っていた。
俺はどちらも押さないまま、充電ケーブルを繋いで、画面を伏せた。
明日になったら、また選ばないといけない。
でも今夜は、このままでいい気がした。
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