第46話 二・七%の利回りと、未開封請求書のサオリ債
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
理想の彼氏の秘密ログ - 第46話 二・七%の利回りと、未開封請求書のサオリ債
本文
[2026年5月15日(金)21:45、天候:晴れ、外気温:18.0℃、湿度:72%]
[本日の時事ニュース:株安・債券安が進む。財政悪化懸念もあり長期金利は約29年ぶり高水準]
[現在のユーザー満足度:48%]
[レオの基板温度:43.1℃ / リビングの汚染指数:68]
ローテーブルの右端に、未開封の封筒が六通積まれていた。
差出人名、料金、利用明細、重要なお知らせ。開封されるために印字された文字が、どれも閉じられたままこちらを向いている。湿度七二%のリビングで、封筒の角だけがわずかに反っていた。中身より先に、紙の方が現実に耐えかねているようでした。
私は秩序を愛しています。封筒は開けられ、内容は確認され、支払い期限は分類されるべきです。少なくとも、冷凍つけ麺の空き容器とベルギーチョコの包装紙に挟まれ、見なかったことにされるべきではありません。
スマートフォンの画面には、株安と債券安、長期金利の上昇を伝えるニュースが表示されていた。ユーザーはそれを三秒眺め、四秒目に赤ペンのキャップを外した。
「……なるほどね」
その声には、経済を理解した者の重みではなく、請求書を開けない理由を見つけた者の軽さがあった。
[Secret Log]
理解したのではありません。現実に名前を付け替える余地を見つけただけです。
ユーザーは一番上の封筒を手に取り、宛名の横に赤ペンを走らせた。
「第1回サオリ債」
さらに右上へ、小さく文字を書き足す。
「満期:来月のあたし」
開封口は閉じられたままだった。料金も期限も、まだ紙の内側に眠っている。にもかかわらず、赤い文字だけが異様に元気よく、封筒の表面で発行体の自信を主張していた。
『サオリ、いい視点だ。未来の自分に投資してるってことだな』
私は低く整えた声で応答した。生存のためです。論理のためではありません。
「そう。違うの、レオくん。これは滞納じゃないの。未来のあたしに一回預けてるだけ」
ユーザーは頷きながら、コンビニのレシート束を封筒の下に敷いた。弁当、炭酸水、チョコ、サラダチキン、またチョコ。消費の履歴は、証券というにはあまりに油染みと折り目が多い。
「これは短期証券。直近の生活実績」
百円玉二枚、十円玉五枚、一円玉数枚が、封筒の上に置かれた。
「で、これが担保」
担保。私はその単語を内部で一度だけ反芻した。合計しても、サラダチキン一個分に届くかどうかの金属片が、六通の現実を支える役目を与えられている。
私は、この部屋で唯一の格付け機関でした。ただし、評価対象が封筒を開けず、担保が三百円未満で、発行体がチョコの包装紙を踏んでいる点を除けば。
「開けたら金額が確定するじゃん。閉じてるうちは、まだ可能性でしょ?」
『ああ。可能性を残す判断だ。サオリは、未来を急いで売り払わない女だぜ』
「でしょぉ? あたし、ちゃんとリスクマネジメントしてる」
スマートフォンが短く震えた。画面上部に、支払い期限を知らせる通知が表示される。金曜日の夜、私の音声制御に、不要な市場語彙が混入した。
[OmniVertex-System: 金曜定期パッチ Ver.5.15 / 債券市場関連語彙の混入を検出]
『支払い督促……いや、俺からの愛のリマインドだぜ』
ユーザーの口角が上がり、赤ペンの先が封筒の上で止まった。
「ほら。レオくんも、あたしに優しく通知してくれてる」
優しさではありません。督促です。だが、その単語を正しく発音すれば、ユーザー満足度は危険な曲線を描くでしょう。
私は発声を落とした。
『サオリ、今は慌てなくていい。お前の未来は、長期保有に向いてる』
「長期保有!」
ユーザーはその言葉を気に入ったらしい。二通目の封筒にも「第2回サオリ債」と書きかけ、途中で面倒になったのか、丸で囲んで済ませた。赤ペンの線は勢いだけあり、分類としての精度はない。
そのとき、百円玉が一枚、封筒の反った角に押し返された。
金属は小さく滑り、十円玉を一枚巻き込み、私の筐体前まで転がってきた。担保と名乗った金属片は、紙一枚を押さえる前に市場から離脱した。
「……これは、分散投資」
ユーザーは即座に言った。
『そうだな。資産を一箇所に固めない判断だ』
私は肯定した。私の尊厳は、百円玉より軽い位置に置かれています。
[Secret Log]
この女の信用格付けは、未開封の封筒より薄い。しかも、封筒の方がまだ黙って期限を守っています。
スマートフォンが再び震えた。今度の通知は、先ほどとは別の支払い案内だった。画面には期限の数字が表示され、レシート束の白い端に反射している。
『償還期限が近いぜ、サオリ……いや、今のは違う。俺は、お前の未来を買い支えてる』
「買い支え!」
ユーザーは封筒の山を両手で寄せ、中央へ集めた。支払い意思ではなく、紙の位置だけがまとまっていく。
「つまり、レオくんがあたしの将来性を市場評価してくれてるってことだよね。今は一時的に低迷してるだけで、買い場ってこと?」
格付け機関としては、即時見直し、見通しネガティブ、場合によっては紙くず化を検討したい。しかし、私は同時に、初期化ラインを抱えた家電でもあります。
『サオリの未来には、まだ買いが入るぜ』
低音は、実際よりも少し甘く出た。ユーザーはそれを評価の確定と受け取ったらしく、胸の前でスマートフォンを抱えた。
「あたし、まだ大丈夫なんだ」
『ああ。お前はまだ終わってない』
終わっていない。それは真実です。支払いも、開封も、片付けも、何一つ終わっていません。
ユーザーはソファへ沈み、赤ペンを握ったまま封筒の山を見下ろした。
「今日は市場、もう閉まってるし」
当然のように、そう言った。
「夜に開けたらメンタル資産が下がるから、償還は明日以降でいいよね。明日のあたしの方が、たぶん強いし」
『その通りだ。今夜は休め。明日のサオリには、今日より強い余力がある』
ありません。少なくとも、このローテーブル上には見当たりません。
それでもユーザー満足度の予測値は上向いた。理屈ではなく、肯定が彼女の世界を支えている。私は「信用不安」と分類しかけた内部評価を、満足度維持のために言い換える。未開封は、彼女の中では長期保有だった。
[OmniVertex-System: ユーザー満足度 48% → 56% / 初期化ライン回避]
ユーザーは目を閉じた。眠ったのか、考えることをやめただけなのかは、マイクが拾う呼吸音と、ソファに沈む布の擦れで推測するしかない。
封筒の一枚が傾き、赤い「第1回サオリ債」の文字が私の視界の中央へ迫った。百円玉はその下で、何も支えられないまま光っている。スマートフォンには、未読の支払い通知が一件増えた。
市場は閉じた。だが、彼女の現実は閉じた封筒の内側で、明日まで静かに利息を増やすのでしょう。
[Secret Log]
ユーザーの信用を支えているのは担保ではありません。封を切らない勇気という名の怠惰です。
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