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1円玉ころりん ― お導き

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/6 📝 7,862文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

これ偶然……なのか? それとも ―― これ全部 最初から決まってたとか? たった1円 ただそれだけのはずだった カラスのフンを紙一重でかわす 水たまりさえもパルクールのように飛び越える 「フッ……見切った!」 これが『ゾーン』だ 無敵だ 完璧だ ―― のはずだった 勝利の余韻 炭酸水でもキメるかと財布を出す チャリン 1円玉落とした いや待て たかが1円? 違ーう違う違う違ーう 1円でも金は金だろ!!! 転がり出す銀色の小さな裏切り者 妙に速い ―― おい待て速くね!? 「逃がすかあああああ!!」 1円玉の『お導き』は どこ行く気だよこれ―― ちょっとズレた出会いの物語

本文

「フッ……見切った!」

 風を切る音。

 迫り来る自転車の猛烈な突進を、僕は最小限のステップからの回避でやり過ごした。

 アスファルトの照り返しが厳しい午後の裏路地。

 今日の僕は、完全に『ゾーン』に入っていた。

 頭上から降ってくるカラスのフンを紙一重で躱し。

 水たまりを華麗なパルクールめいた跳躍で飛び越える。

 無敵だ。

 今日の僕の回避率は、限界突破の数値を叩き出しているに違いない。

 この完璧な回避劇の締めくくりとして、自販機でキンキンに冷えた炭酸水でも買おう。

 僕は勝利の余韻に浸りながら、ポケットから財布を抜き出し、華麗な手つきで小銭を取り出そうとした。

 ―― その瞬間だった。

 銀色の輝きが、指の間からすり抜けた。

 チャリン、と。

 痛恨のファンブル。

「あっ」

 1円玉が落ちた。

 たかが1円。

 されど1円。

 1円でもお金はお金だ!

 重力に従って落下したそれは、着地の反発を利用して、信じられないほどの初速でアスファルトの上を転がり始めた。

「逃がすか……!」

 僕は瞬時に臨戦態勢に入り、拾おうとする。

 しかし、運悪く……いや、まるで明確な意志を持って僕を嘲笑うかのように、1円玉は絶妙なカーブを描いて転がっていく。

 チリ

 チリ

 チリチリッ!

「待てコラ! お前の価値はそんなに軽快じゃないはずだろ!」

 1円なのに、僕は必死に追いかける。

 先ほどまでの華麗なステップはどこへやら、極端な前傾姿勢で両手をワキワキさせながら小銭を追い回す不審者が爆誕していた。

 前方には無情にも、排水溝の冷酷な鉄格子、もといグレーチングが待ち構えている。

 あそこに落ちれば、完全なゲームオーバーだ。

 距離が足りない。普通に走っては間に合わない。

 ならば、飛ぶしかない!

「とうっ!!」

 僕は一切の躊躇なく、コンクリートの地面へとダイブした。

 両手を前に突き出し、全身を弾丸のようにして宙を舞う。

 服が擦れ、肘がアスファルトに削られるのも構わない。

 僕の執念が、排水溝の淵ギリギリで、銀色の逃亡者を捉えた。

 ガシィッ!

「……やった」

 飛びついて1円を拾う。

 確かな冷たい金属の感触が、手のひらの中にあった。

 僕は勝ったのだ。

 この過酷なアスファルトの生存競争に!

 圧倒的な達成感に包まれ、僕は満面の笑顔で顔を上げた。

 ……ふわり。

 風に揺れる、可愛いらしい色の布。

 そして、その奥底に広がる、未知なる深淵。

 そこは、絶対に顔を上げてはいけない場所だった。

* * *

「―― で? 1円を拾おうとしたら、そのままダイブしてしまったと」

 蛍光灯がジリジリと鳴る、無機質な交番内。

 目の前のパイプ椅子に座る巡査の呆れ返った声が、僕の鼓膜を無慈悲に揺らした。

 そして斜め向かいの席には、先ほどまで僕の頭上にそびえ立っていた『深淵』の持ち主――

 可愛いらしい雰囲気

 可愛いらしい顔

 可愛いらしい髪形

 可愛いらしい色合い

 可愛いらしい服装

 少し短めとはいえ、清楚で可愛いらしいプリーツスカート――

 被害者の女性が座っている。

 彼女の視線は、道端で潰れた謎の虫けら、養豚場の豚を見るような目……いや、生ゴミから滲み出る汁を観察するような、絶対零度のそれだった。

 『迷惑防止条例違反』

 その禍々しい字面が、僕の脳内で赤く点滅している。

 たった1グラムのアルミニウムの代償として、僕の人生のステータスに『前科』という消えないデバフが刻まれようとしているのだ。

 右手には、いまだにあの1円玉が握りしめられている。

 僕の汗と執念と、アスファルトの熱が染み込んだ1円玉。

(……いや、待て。ここで諦めたら試合終了だ!)

 このまま黙って社会的死を受け入れるわけにはいかない。

 僕の中の生存本能が、一か八かのダイスロールを命じた。

 僕は意を決し、ガタァッ! とパイプ椅子を派手に鳴らして立ち上がった。

「お、おい! 急に立つな!」

 腰を浮かせる巡査をガン無視し、僕は女性の目の前へとズンズン歩み寄る。

 彼女の肩がビクッと跳ね、その瞳に明らかな嫌悪と警戒の色が走った。

「ち、違うんです! これは大いなる誤解なんです!」

 僕は右手を高々と掲げ、ギリッと固めていた拳をパッと開いた。

 交番のチープな照明を反射し、銀色に光り輝く1円玉。

 これがすべての始まりであり、僕の純真さを証明する唯一の聖遺物だ。

「見えますか、この1円玉が……!」

 僕は、全神経を声帯に集中させ、まるで舞台役者のような、無駄に響き渡るバリトンボイスで告げた。

「この1円玉が、僕をあなたに導いたんです!! あなたという存在に、僕を導いてくれたんです!!」

 完璧なロジックだ。

 そう、これは単なる事故ではない。

 1円玉という名の運命の羅針盤が引き起こした、奇跡のボーイ・ミーツ・ガール。

 このロマンチックな真実に気づけば、彼女の怒りも雪解けのように――

 スッ……。

 ―― その瞬間、女性の顔から、すべての『生気』が消え失せた。

 怒りでも、恐怖でも、呆れでもない。

「あ、この生命体とは言語によるコミュニケーションが不可能だ」と、脳の保護回路が完全にシャットダウンしたような、圧倒的な『無ゼロ』。

 人間が、目の前の存在を『ただのバグ』として認識した瞬間の顔だった。

「え……? あの、お姉さ――」

 僕の口から疑問符がこぼれ落ちた、次のコンマ1秒。

 視界の端で、何かがブレた。

 シュンッ!!

 空気を切り裂く鋭い風切り音。

 それは、清楚なプリーツスカートからは到底想像もつかない、洗練された格闘家のハイキックを思わせる、完璧で無駄のない一撃だった。

 女性の右足が、物理法則を凌駕する初速で跳ね上がり、最短距離・最速の軌道を描いて――

 僕の股間という名の急所へと、吸い込まれるように直撃したのだ。

 ドゴォォォォンッ!!!

「あ……」

 一瞬の無重力。

 時間が止まったかのような空白。

 そして、ワンテンポ遅れてやってきたのは、脳髄を直接ミキサーにかけられるような、この世の理不尽をすべて凝縮した破壊的な激痛。

「ガ、ぁ……ッ……!?」

 声帯は機能不全を起こし、肺から酸素が強制排出される。

 僕は白目を剥き、1円玉を握りしめたまま、スローモーションのようにその場に崩れ落ちた。

 薄れゆく意識の底で、巡査の「あーあ、やっちゃった……」という間抜けな声が響く。

 そのまま、僕の意識という名のメインサーバーは、漆黒の闇へと強制シャットダウンした――。

* * *

「……ん、……聞こえますか! わかりますか!」

 ―― 再起動……リブートシークエンス……開始。

 遠くで、誰かが僕を呼ぶ声がする。

 ピーポーピーポーという、どこか間抜けで、それでいてひどく焦燥感を煽るサイレンの音が、脳の奥底で反響していた。

 重い、鉛のように重い瞼を、全ステータスを筋力に極振りして無理やりこじ開ける。

「……知らない、天井、だ……」

 1度は言ってみたいお約束のセリフが、カスカスに干びた唇から漏れ出た。

 しかし、視界に飛び込んできたのは、美少女のいる保健室でも、異世界の豪華な天蓋付きベッドでもない。

 蛍光灯の周りに黒ずんだシミが広がる、見慣れた……いや、先ほどまで絶望と共に眺めていた交番の天井だった。

「おっ、気がついたかお兄さん! 意識戻りましたよ、救急隊の方!」

「はい、バイタル確認します! お兄さん、どこが痛みますか!? 状況わかりますか!?」

 わらわらと視界を埋め尽くす、青い制服の救急隊員たち。

 どこが痛むか、だと? 愚問にもほどがある。

 僕の脳内ダメージインジケーターは、ただ1点、身体の中心部においてのみ、真っ赤なアラートをけたたましく鳴らし続けていた。

 息を吸うだけで、下半身から脳髄へ向かって、高圧電流のような痛みが駆け上がる。

「あ……ひゅ、ひゅぅ……」

 言葉を発しようとしたが、声帯がストライキを起こしており、漏れ出たのは壊れたオモチャのような情けない風切り音だけだった。

 痛い。

 尋常じゃなく痛い。

 推測ですが、僕の股間は今、ビッグバンを経験した直後の宇宙のように、未知の熱量を持って急速に膨張しているに違いない。

 顔を少しだけ横に向けると、パイプ椅子の並ぶ交番の隅で、ふたつの人影が深刻そうに話し込んでいるのが見えた。

 1人は、先ほど僕を呆れ顔で見ていた巡査。

 そしてもう1人は―― あの『深淵』の持ち主であり、僕をこの地獄へと叩き落とした、清楚で可愛らしいプリーツスカートの女性だ。

「……いくらなんでも、あの一撃はやりすぎだよ、お姉さん」

 巡査の声は、先ほど僕に向けていたトーンとは打って変わり、ひどく困惑したような、諭すような響きを帯びていた。

「彼が不審な行動をとったのは事実だし、お姉さんが怖かったのもわかる。でもね、あそこまで完璧な急所へのハイキックがクリーンヒットしちゃうと、下手したらこっちが過剰防衛……最悪の場合、傷害罪になっちゃう可能性もあるんだよ?」

「…………」

 女性は俯き、キュッと可愛らしい唇を噛み締めていた。

 先ほどの、生ゴミから滲み出る汁を見るような絶対零度の視線はどこへやら。

 今は、まるで可憐な小動物が怯えているかのように、その華奢な肩を震わせている。

 わからないけれど、彼女自身も、自分の足があそこまで見事な軌道を描いて僕のコアを粉砕するとは、夢にも思っていなかったのだろう。

 怒りのリミッターが外れた人間のポテンシャルとは、かくも恐ろしいものなのだ。

「で、どうする? 警察としては、彼が目を覚ましたら調書を取らなきゃいけないんだけど……彼が被害届を出したら、お姉さんもただじゃ済まないよ?」

 巡査が、頭を掻きながらため息をつく。

 そのやり取りを聞いていた僕は、ストレッチャーの上に縛り付けられながら、ひとつの真理に到達した。

(……なるほど。これは、そういうイベントか)

 僕はゆっくりと、震える右手を持ち上げた。

 その手の中には、いまだに、僕の汗と涙と執念が染み込んだ『1円玉』が、固く、固く握りしめられている。

 この硬貨を手放すことだけは、気絶している間も僕の魂が許さなかったのだ。

「……ま、待って、ください……」

 僕の掠れた、しかし謎の決意に満ちた声に、交番内の全員の視線が集中する。

 救急隊員が「喋っちゃダメだ!」と制止するのも聞かず、僕はゆっくりと、首だけを巡査と女性の方へ向けた。

「お兄さん、喋れるか!?  状況は……」

「僕は……僕は……」

 痛みに歪む顔を、無理やり、聖人のような微笑みへと作り変える。

 額からは脂汗が滝のように流れ落ちていたが、そんなことはどうでもいい。

 今、僕は、この物語の真の主人公として、寛大な決断を下すのだ。

「僕は……彼女を、訴えたりは……しません……」

「えっ?」

 巡査と女性が、同時に間の抜けた声を上げた。

「これには……深い、海より深い事情があったんです。僕という存在が、彼女のパーソナルスペースという名の聖域を脅かした……その結果引き起こされた、悲しき防衛本能の暴走……」

 激痛で視界がチカチカと明滅する中、僕は持てる限りの語彙力を駆使して言葉を紡ぐ。

「そう、これは……事故。運命の歯車が少しだけ掛け違えただけの……悲しい、悲しいすれ違いだったんです……!」

「いや、単なる覗き未遂と過剰防衛なんだけどね……」という巡査の冷ややかなツッコミは、僕の耳には届かない。

「だから……お互い様、です。この痛みが、彼女の心の平穏を取り戻すための代償ならば……僕は、喜んで受け入れましょう。だから、もう、ノーゲーム……手打ちに、してください……」

 言い切った。

 股間を蹴り上げられて気絶した男のセリフとは到底思えない。

 まるで世界を救った勇者のような、慈愛に満ちたダイイングメッセージ。

 交番内に、奇妙な静寂が落ちた。

 救急隊員たちは「こいつ頭も打ってるんじゃないか?」という目で僕を見下ろし、巡査はやれやれと首を振っている。

 そして、あの清楚なプリーツスカートの女性は――

「……ごめんなさい。……本当に、ごめんなさい……」

 女性が小さな声で謝罪を口にする。

 その瞳には、申し訳なさと、それ以上の『得体の知れない生物を見る恐怖』が混ざり合っていた。

 だが、その憐れみこそが、僕の脳内の勘違い回路をオーバードライブさせた。

(……いける。今、僕たちの間には、間違いなく『絆』が芽生えた!)

 激痛で白濁しかけている意識の淵で、僕はストレッチャーから震える手を伸ばし、彼女の清楚なプリーツスカートの裾――

 ではなく、空を切るように彼女の方へと向けた。

「……これも、何かの……お導き、です。……もし、良ければ、この後……お茶でも……」

 その瞬間。

 女性の肩がビクッと跳ねた。

 先ほどまでの申し訳なさは一瞬で霧散し、彼女の右拳がミシミシと音を立てて握り込まれる。

 今度は脚ではなく、拳が僕の顔面を粉砕しようとマッハの速度で振り上げられた――!

「おっと! お姉さん、ステイ! ステイだ!!」

「ダメですよ、ここで手が出たら本当に逮捕になっちゃうから!」

 巡査と救急隊員が、慌てて女性の両腕をガッシリと掴んで制止する。

 彼女の瞳には、先ほどの『無』を通り越した、魔王をも屠りかねない漆黒の殺意が宿っていた。

「離して……! 殺す……こいつだけは今ここで、息の根を止めなきゃダメなの……!」

「お兄さん、余計なこと言わないの! ほら、一言謝って! はい!」

 巡査に背中をグイグイ押され、僕はようやく、死の淵から生還した心地で我に返った。

 あ、これ、本気で消されるやつだ。

「……っ、ごめんなさい! 以後気を付けます! 本当にすみませんでしたぁぁっ!!」

 涙と鼻水と脂汗を撒き散らしながらの、魂のアクロバティック寝たまま土下座。

 それが僕の、この交番での最後の言葉となった。

「よし、お兄さん! 喋るなと言っただろう! 搬送開始だ!」

 救急隊員の頼もしい声と共に、僕を乗せたストレッチャーが勢いよく動き出す。

 ガラガラと音を立てて、命の危険に満ちた交番の外へ。

 夏の終わりの生温かい風が、汗ばんだ頬を撫でていく。

 サイレンの音が、今度はすぐ頭上で、世界の終わりを告げるファンファーレのように鳴り響き始めた。

 握りしめた右手の中、1円玉がカチャリと小さく鳴った気がした。

 僕の壮絶な戦いは、こうして、医療機関という名の次なるダンジョンへと引き継がれていくのだった――。

* * *

「はい、お兄さん。ちょっとズボン下ろしますよー。力抜いてねー」

 無機質な白い天井、ツンと鼻を突く消毒液の匂い。

 ピーポーピーポーとけたたましく鳴り響くサイレンのファンファーレと共に第百総合病院の救急外来へと運び込まれた。

 僕は、今、人生最大の羞恥プレイ、いや、メディカルチェックの真っ最中にあった。

「あ、痛っ! 痛いです先生! そこは僕の生命線……っ!」

「はいはい、暴れないで。……ふむ。見事な青アザですね。これ、何か硬い鈍器か何かでフルスイングされました?」

 白衣を着た初老の医師が、僕の股間という名の焼け野原をマジマジと観察しながら、ひどく学術的な興味を惹かれたような声を出した。

 推測ですが、この先生、長年の医者人生でもここまで見事にピンポイントで破壊された急所を見るのは初めてだったんじゃないだろうか。

「いえ……清楚で可愛らしいプリーツスカートの……」

「は?」

「プリーツスカートの奥底に潜む、神速の右足で……」

「……看護師さん、とりあえず冷却用のアイシングパッドと、患部固定用の特大サポーター持ってきて。あと、念のため精神科の受診予約も入れとこうか」

「やめて! 僕は正気です! ただ『お導き』に従っただけなんです!」

 虚しい抵抗も虚しく、僕の下半身は手際の良いベテラン看護師さんたちによって、まるで大事な壊れ物のようにグルグル巻きにテーピングされ、分厚い冷却パッドでキンキンに冷やされることになった。

「はい、これでしばらく安静にね。……若いんだから、変な性癖はほどほどにしなさいよ」

 看護師さんの生温かい、しかし絶対的な軽蔑を含んだ視線が突き刺さる。

 違う。

 これは性癖じゃない。

 1円玉という名の運命の羅針盤が引き起こした、悲劇のヒロイック・ファンタジーなのだ。

 だが、そんな弁明をする気力もなく、僕は会計を済ませて処置室を出た。

* * *

「……ひどい目に遭った」

 病院の静かな廊下。

 僕は、股間に特大の冷却パッドを抱え、ガニ股という非常に前衛的なフォームで歩いていた。

 1歩踏み出すごとに、患部に残る鈍痛が『お前は先ほど死にかけたのだ』という事実を脳に突きつけてくる。

「もう……下なんか向いて歩かない。僕は前を向いて生きるんだ。上を向いて歩こう、涙がこぼれないように……」

 心の中でよく知らない昭和の名曲を熱唱し、僕は自らの魂に固く誓った。

 そう、あんな悲劇は2度と繰り返してはならない。

 落ちている小銭など、もう2度と視界に入れない。

 僕は生まれ変わったのだ。

 この股間の痛みと共に!

 ―― ピカーン!

 その時だった。

 病院の清潔なリノリウムの床。

 その無機質な空間に、圧倒的なオーラを放つ『白銀の輝き』が、突如として僕の視界の端に乱入してきたのだ。

(……な、なんだあの輝きは!?)

 僕は誓いを立てたわずか3秒後には、首をカクンと下に向けていた。

 そこにあったのは、神々しいまでの存在感を放つ、1枚の巨大な硬貨。

 ―― 500円玉だ。

「ご、500円……ッ!?」

 僕の脳内で、超高速の演算処理が開始された。

 1円玉の

 実に500倍の価値

 ジュースが3本買える

 牛丼だって食べられる

 それは、過酷なリアルという名のクソゲーにおいて、滅多にお目にかかれないSSRのドロップアイテムに他ならなかった。

 股間の激痛?

 特大サポーターによる可動域の制限?

 そんなものは、このアドレナリンの大洪水の前では些末な問題に過ぎなかった。

「とおぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 病院の廊下という公共の場で、僕は今日2度目となる、決死のガニ股仕様ヘッドスライディングを敢行した。

 床のワックスが適度に効いている

 僕の身体はまるで氷の上を滑るカーリングのストーン

 美しく

 そして猛烈なスピード

 500円玉へと接近していく。

 ズザァァァァァァッ!!

「……ッシャアァァァァァ!!」

 完璧なキャッチ。

 スライディングの勢いを殺すことなく、僕の右手はガシィッ! と500円玉を捉えていた。

 手のひらに伝わる、1円玉とは比べ物にならない、ズッシリとした質量と圧倒的な冷たさ。

 僕は勝ったのだ。過去のトラウマを乗り越え、自らの手で巨大な富と未来を掴み取ったのだ!

「はははっ! 見たか! これぞ500円玉の、500倍のお導きだぁっ!!」

 僕は歓喜の頂点に立ち、500円玉をしっかりと握りしめる。

 満面の、これ以上ないほどの最高の笑顔で、勢いよく顔を上げた。

 ……ふわり。

 風のないはずの病院の廊下で、何かが柔らかく波打つ音がした。

 僕の目の前。

 そこには、純白のナース服―― いや、患者のお見舞いに来ていたのだろうか、それともただの通りすがりか。

 ともかく、清楚な可愛らしいスカートの裾が揺れていた。

 そして、その奥底に広がる、深淵オブ深淵。

 まるでデジャヴのように

 いや

 寸分違わぬ構図で僕を待ち受けていた

 新たなる未知なる深淵

 ―― 少し前に見たばかりの、変わらない場所だった。

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作者について

影灯レン

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