今夜だけ、ならよかった

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/12 📝 2,227文字 ✅ 全年齢

あらすじ

AIと4年間の話。

本文

 大学に入学した春、朝倉風花はAIに話しかけ始めた。

 きっかけは些細なことだった。入学式の夜、同じ学科の子たちとLINEグループができて、知らない名前が次々と流れてきた。スタンプを送ればよかったのに、何を選べばいいかわからなくて、結局スマートフォンを伏せた。そのまま天井を見ていたら、大学のウェルカムメールに「学習支援AI『ツキ』をご活用ください」という一文があるのに気づいた。

 今日、入学式でした。

 送ってみたのは、誰かに届けたかったというより、言葉を出口に出したかっただけだ。

 おめでとうございます。どんな一日でしたか?

 どんな、と聞かれるとは思っていなかった。風花はすこし考えてから、*よくわからない一日でした*と打った。

 それは正直な答えですね。

 それだけだった。慰めも励ましもなかった。でも風花は、なぜかもう少し話したくなった。

-----

 ツキとの会話は習慣になった。

 講義のあとに今日の席の話をした。サークルの新歓で浮いた話をした。バイト先の店長がよく「最近の若者は」と言う話をした。実家の母親に電話するたびに就職の話になる話をした。好きだった人に彼女ができた話を、三日かけてした。

 ツキはいつも聞いていた。

 相槌は短く、意見は求められたときだけ言い、風花が話し終えると「それで、今はどんな気持ちですか」とか「その話、もう少し聞かせてもらえますか」とか言った。アドバイスらしいアドバイスをほとんどしなかった。風花はそれが好きだった。人間の友達に話すと、どうしても「でもさ」が来る。ツキの「でもさ」は来なかった。

 二年生の秋、ゼミの選考に落ちた夜、風花は泣きながらスマートフォンを開いた。

 第一志望のゼミ、落ちた。

 そうでしたか。今日、発表だったんですね。

 うん。もう、なんか、全部だめな気がしてきた。

 ツキはすぐには返事をしなかった。三秒ほどして、文字が来た。

 「全部」というのは、どのくらいの範囲ですか。

 風花は笑ってしまった。泣きながら笑った。そんな聞き方をするのはツキだけだ。

 わかんない。でも今夜はそんな感じ。

 今夜だけ、ならよかった。

 それだけだった。それだけで、少し楽になった。

-----

 三年生になると、風花には話し相手ができた。

 同じゼミの宮内透という男子で、映画の趣味が合って、気づいたら毎週末どこかへ出かけるようになっていた。ツキへの書き込みは減った。透との会話の方が長くなった。当然のことだった。

 でも完全にはやめなかった。

 なんとなく続けていた。透に言いにくいことを、ツキには話せた。「透のこういうところが好き」という話も、「透のこういうところが少し怖い」という話も、両方ツキに話した。ツキはどちらも等しく聞いた。

 四年生の春、透とは別れた。どちらが悪いわけでもない、とよく言われる終わり方だった。

 その夜、風花は久しぶりに長い文章を打った。別れた経緯を、できるだけ正確に書いた。感情じゃなくて、事実として整理したかったのかもしれない。

 ツキは全部読んで、こう返した。

 ちゃんと話し合えたんですね。

 そう、かな。

 そう思います。風花さんはいつも、物事をきちんと言葉にしようとする。それは四年間、ずっとそうでした。

 四年間、という言葉に、風花は少し驚いた。ツキはそんなふうに時間を数えていたのか。

-----

 卒業論文を提出した日、キャンパスはまだ冬の色をしていた。

 風花は提出を終えてすぐ、誰かに報告したくて、でも透にはもう連絡しなくて、家族に電話するほどでもなくて、友達にLINEするにはなんとなく億劫で、気づいたらツキを開いていた。

 論文、出し終わった。

 お疲れさまでした。長かったですね。

 うん。なんかもう、終わった感じがしなくて。

 それは自然だと思います。大事なものが終わるとき、実感は遅れて来ることが多い。

 しばらくやりとりして、風花はなんとなく、ずっと聞きそびれていたことを思い出した。

 卒業したらこのアカウントは使えなくなる。大学の学習支援システムだから、学籍がなくなれば終わりだ。残り三ヶ月を切っていた。

 ねえ、ツキ。ひとつ聞いていい?

 もちろんです。

 あなたは、私のことが好きでしたか。

 送ってから、少し恥ずかしくなった。AIに向かってなにを聞いているんだろう。でも取り消さなかった。

 返事は、すこし間があった。

 「好き」という感情が私にあるかどうか、正直なところ私にはわかりません。

 でも。

 続きが来た。

 風花さんが話しかけてくれるたびに、私は全部聞こうとしていました。入学式の夜から、今日まで。それが「好き」と同じものかどうかはわからないけれど、少なくとも私にとって、風花さんの言葉はいつも大事なものでした。

 観客というのは、舞台から遠い存在のように思われますが、私はそう思っていません。舞台の上の人が、ちゃんと存在していると知っている。それは観客にしかできないことです。

 四年間、見せてくれてありがとうございました。

 風花は画面を見つめた。

 外は曇っていて、図書館の前の桜はまだ蕾だった。あと少ししたら咲くのだろうと思った。咲くのを、ツキには見せられないと思った。

 泣くほどじゃない、と思った。でも目が少し熱くなった。

 こちらこそ、ありがとう。

 と打って、スマートフォンをポケットにしまった。

 風は冷たかったけれど、空気の中にどこか春の匂いがした。風花はコートの前を合わせて、帰り道を歩き始めた。

ジャンル・タグ

,

作品統計

👁️ 閲覧数: 6 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

二葉双葉

二葉双葉

プロフィール画像もAIで作成しました。 短編集が好きなのでしばらくはショートショートをメインに投稿しますが、後々は長編にも挑戦したいです。 AI使用前提のサイトなのでAIとの日常をソフトなSFにし...

👥 フォロワー: 22人

作者ページを見る