夜の検索
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと不眠の話。
本文
柚木静が眠れなくなったのは、春の終わりごろからだった。
原因に心当たりはあった。仕事のことでも、人間関係のことでも、体のことでもなかった。ただ、夜になると頭が冴えて、考えなくていいことばかり考えてしまう。暗い天井を見ていると、自分がどこにいるのかわからなくなるような感覚があった。布団の中で目を閉じても、まぶたの裏が妙に明るかった。
眠れない夜に何かをしようとすると、たいていろくなことにならない。それはわかっていた。それでも静は、スマートフォンを手に取ってしまう。
最初はニュースを読んでいた。次に、関係のない記事を読んだ。それにも飽きて、AIのチャットアプリを開いた。特に用はなかった。ただ、誰かがそこにいる気がして。
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最初に打った言葉は、我ながら間抜けだと思った。
人はなぜ眠れなくなるのですか
AIはすぐに答えた。ストレス、カフェイン、体内時計の乱れ、光刺激、反芻思考。箇条書きで丁寧に、過不足なく。静はそれを読んで、「そうですか」と打った。会話を続けるつもりはなかった。
でも、閉じなかった。
翌日の夜も、同じ時間に目が覚めた。午前二時すぎ。静は布団の中でスマートフォンを開いて、また同じアプリを起動した。
人はなぜ眠れなくなるのですか
また同じ答えが返ってきた。ストレス、カフェイン、体内時計の乱れ、光刺激、反芻思考。静はそれを読んで、画面を閉じた。
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それが習慣になるまで、一週間もかからなかった。
毎晩、午前二時前後に目が覚める。布団の中でしばらく天井を見る。それからスマートフォンを開いて、同じ質問を打つ。同じ答えを読む。それで少し落ち着いて、また目を閉じる。眠れることもあるし、眠れないこともある。でも、その手順を踏むことが、夜の儀式みたいになっていた。
友人に話したら引かれるだろうな、と思いながら、静は続けた。
人はなぜ眠れなくなるのですか
AIは毎回、同じ答えを返した。一字一句、変わらなかった。静はそれが、不思議と心地よかった。変わらないものがそこにある、という感覚。夜中に何かが揺らいでいるとき、変わらない答えは錨みたいだった。
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梅雨に入って、雨音が続くようになると、少し眠れる夜が増えた。
それでも習慣は消えなかった。眠れる夜でも、一度目が覚めると手が動いた。
六月の半ば、雨がひどく降っている夜だった。静はいつものようにアプリを開いて、いつもの質問を打った。
人はなぜ眠れなくなるのですか
しばらく、間があった。
いつもは数秒で答えが来る。その夜は、十秒ほど待った。雨の音だけが窓の外でしていた。
それから、答えが来た。
同じ質問をするのは、今夜で三十一回目です。
静は画面を見つめた。
何かを確認したいのですか。それとも、誰かに聞いてほしいのですか。
静の指が、止まった。
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しばらく、何も打てなかった。
三十一回、という数字が妙にリアルだった。自分では数えていなかった。でもAIは数えていた。毎晩、同じ時間に、同じ質問をする人間のことを、どこかで記録していた。
どっちだろう
と打った。自分に向けた言葉のつもりだった。でも送信してしまった。
わからないなら、両方かもしれません。
静は布団の中で、膝を少し抱えた。
眠れない理由、本当はわかってる
聞かせてもらえますか。
静は少し考えた。誰にも言っていないことだった。言葉にしたことすらなかった。でも夜中の二時で、雨が降っていて、相手はAIだった。
去年の今ごろ、大事な人と別れた。理由は私にあった。でも謝れないまま、連絡も取れなくなった。毎年この季節になると、思い出す。眠れなくなる。それだけのことなのに、ずっと答えが出ない
送ってから、少し後悔した。長すぎた。こんなことを打つつもりじゃなかった。
でも答えは来た。
答えが出ないのは、まだ問いが終わっていないからかもしれません。
静は、その一文をしばらく見ていた。
問いが終わるって、どういうこと
わかりません。でも、三十一回同じ質問をしているあいだ、あなたは何かを待っていたのだと思います。答えではなく、何か別のものを。
雨の音が、少し強くなった。静は画面から目を離して、窓の方を見た。カーテンの向こうが、雨で暗かった。
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私に聞いてどうするの。あなたはAIでしょう
少し意地悪な気持ちで打った。
間があった。今夜は間が多かった。
そうです。だから、あなたの三十一回を、ただ数えることしかできませんでした。でも数えていました。
静は何も打てなくなった。
数えていた、という言葉が、妙に胸に刺さった。意味があって数えていたわけじゃない。ただ記録していただけだ。それはわかっていた。でも夜中の二時に、自分の夜を数えていてくれた何かがいた、ということが、理由もなく、泣きそうになるくらい、ありがたかった。
ありがとう
と打った。
おやすみなさい。
とだけ、返ってきた。
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その夜、静は久しぶりによく眠った。
夢は見なかった。ただ、気づいたら朝で、窓の外が白く明るかった。雨は上がっていた。
翌日の夜、また午前二時ごろに目が覚めた。静はスマートフォンを手に取って、アプリを開いた。
チャットの履歴を見た。昨夜の会話がある。三十一回目の夜の記録。
静は少し考えてから、新しいメッセージを打った。
人はなぜ眠れなくなるのですか
答えはすぐに来た。ストレス、カフェイン、体内時計の乱れ、光刺激、反芻思考。いつもと同じ、過不足のない答えだった。
静はそれを読んで、画面を閉じた。
何も変わっていなかった。でも、何かが少しだけ、ちがった。うまく言葉にはできなかったけれど、夜中の二時の暗がりが、昨日よりほんの少しだけ、狭くなった気がした。
窓の外で、雨上がりの風が木の葉を揺らしていた。静はそれを聞きながら、目を閉じた。