『乾ききらない靴のままで』

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/26 📚 シリーズ: 短編集 📝 3,568文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

短編が気が向いた時に繁殖します

本文

梅雨に入ったばかりの朝は、アスファルトがいつまでも昨日のままだ。

雨が上がっても乾ききらず、靴裏に少しだけ湿り気を返してくる。空は明るくなっているのに、地面だけがまだ納得していないみたいで、歩いていると変な感じがする。

八島拓海は、そういう朝があまり好きではなかった。

止んだなら止んでくれればいい。

晴れるなら晴れてくれればいい。

中途半端に残るものは、だいたい人の気持ちを面倒にする。

拓海が勤める中古レコード店「needle」は、駅前の雑居ビルの二階にある。

階段は狭く、看板も小さい。ふらっと入ってくる客より、目当ての盤を探して来る客のほうが多い店だ。

拓海は三十歳。大学を出て別の仕事を二年で辞めたあと、この店に転がり込むように入ってそのまま五年目になる。

在庫の場所は頭に入っているし、ジャケットの角の潰れ具合で買う人間の気持ちもだいたい分かる。

向いていると思う。

でも、向いている場所に長くいると、それが自分の選んだ場所なのか、流れ着いただけなのか、たまに境目が曖昧になる。

「おはようございます」

開店準備をしていると、後ろから声がした。

店のバイト、野上紗英だった。大学四年、二十二歳。

背は低いのにレコードの箱を持つと妙に安定している。話し方は素直だが、たまにこちらが言われたくないことだけぴたりと当てる。

「おはよう」

拓海が返すと、紗英は店の窓を少し開けて言った。

「今日、湿気やばいですね」

「ジャケット反るな」

「反りますね」

そう言って、入口横の試聴機に新しく入れる盤を並べ始める。

拓海も値札の打ち直しをしながら、何となくスマホを伏せた。

朝から二件、未読がある。

一件は母親から。

【日曜来るなら昼どうする】

もう一件は、昨日別れた恋人からだった。

【昨日はごめん】

【でも、あのままだと苦しかった】

そこから先を、拓海はまだ開いていない。

開けば全部読まなければならない気がしていたし、読んだところで今すぐまともな返事ができるとも思えなかった。

それでもポケットの中で存在感だけはずっとあって、歩くたびに太ももへ当たる。

中途半端に止んだ雨みたいなものだと、拓海は思った。

相手は千尋。

二十九歳。出版社勤務。

一年半付き合った。

明るくて、よく笑って、でも肝心なところでは妙に静かな人だった。

別れは劇的ではない。

喧嘩が爆発したわけでも、裏切りがあったわけでもない。

ただ、どちらも互いに甘えていたのだと思う。

拓海は「言わなくても分かるだろう」で済ませすぎたし、千尋は「今言うほどでもない」を溜めすぎた。

結果として、昨日の夜、喫茶店で千尋が言った。

「好きとか嫌いとかじゃなくて」

コーヒーが冷め切ったころだった。

「一緒にいるときの私が、ちょっとずつ雑になってくのが嫌だった」

その言い方が、妙に正確だった。

拓海も、否定できなかった。

だから「そっか」としか返せなかった。

本当は、そんな一言で済む話じゃなかったのに。

「八島さん」

紗英がレジ横から呼ぶ。

「何」

「今日の試聴、これでいきます?」

差し出された盤を見る。

昔のバンドの、少し湿ったギターが気持ちいい一枚。

いい選択だった。

「いいんじゃない」

「“じゃない”じゃなくて、もうちょっと熱量ください」

「朝から?」

「音楽の店なので」

その返しに、拓海は少しだけ笑った。

紗英はときどき、こうやって店の空気を少しだけ前に押す。

若いからだろうと最初は思っていたが、たぶんそれだけでもない。

自分で好きなものを好きと口にすることに、まだ照れが少ないのだ。

開店して一時間ほど経ったころ、雨がまた少しだけ戻ってきた。

客足はまばらで、店内に流している試聴の音も、いつもより壁へ近い感じがする。

そんな中、一人の常連がレジへ中古のLPを三枚持ってきた。

四十代後半くらい、いつも静かな人で、でも盤の話になると急に細かい。

会計を済ませたあと、ふと拓海の顔を見て言った。

「今日、ちょっと音が濁ってるね」

「店の?」

「君の」

拓海は一瞬、何を言われたのか分からなかった。

常連は淡々と続ける。

「選曲は悪くないんだけど、決めきれてない感じする」

そう言って、そのまま帰っていった。

何なんだ、と思う。

思うが、腹が立つより先に図星の感じが来た。

決めきれていない。

それはたぶん、選曲だけの話ではない。

昼を過ぎるころ、店長の瀬川がやってきた。

五十代、癖毛で、レコードの匂いだけで機嫌が読めるような人だ。

「何だ、今日しけってんな」

「天気ですか」

「お前」

瀬川は試聴機の前で腕を組んだ。

「別れたか」

拓海は顔を上げた。

「何で」

「五年も一緒にいると分かる」

「そんな長いっすか」

「長いよ」

店長は鼻で笑う。

「で、どうする」

「どうするって」

「その顔で店に立つのはいいけど、引きずるならちゃんと引きずれ」

意味が分からない。

拓海が黙っていると、瀬川は続けた。

「中途半端が一番音濁るんだよ」

さっきの常連と似たことを言われて、少しだけ可笑しくなった。

今日はそういう日なのかもしれない。

「でも、仕事なんで」

拓海が言うと、瀬川は即答した。

「仕事だからだろ」

「……」

「私情を全部消せると思うな。消せないなら、どこに置いて働くか考えろ」

その言い方は雑だったが、妙に腹へ落ちた。

私情を持ち込むな、と言われるよりずっとましだった。

消せないなら、置き場を考えろ。

たしかに、それくらいしかない。

夕方、店が少し落ち着いたころ、拓海は裏の倉庫でスマホを開いた。

千尋からのメッセージを、今度はちゃんと読む。

【昨日はごめん】

【でも、あのままだと苦しかった】

【八島が悪いって言いたいわけじゃない】

【私も、多分、ちゃんと寂しいって言えなくなってた】

【だから終わりにしたのは正しかったと思う】

【でも、一緒にいた時間まで雑だったとは思ってない】

そこまで読んで、拓海はしばらく画面を見たまま動けなかった。

一番痛いところと、一番救われるところが、同じ文の中に並んでいたからだ。

一緒にいた時間まで雑だったとは思ってない。

その一文を、昨日の喫茶店でどうして言えなかったのだろう。

いや、言えなかったからこそ、今ここでちゃんと刺さるのかもしれない。

拓海は返信画面を開いた。

何を書けばいいのか、正解は分からない。

それでも今なら、昨日の「そっか」より少しだけまともな言葉が出る気がした。

【読んだ】

【昨日、ちゃんと返せなくてごめん】

【俺も、一緒にいた時間まで間違いだったとは思ってない】

【むしろ、そこを雑にしたくなくて言葉が出なかった】

【でも、出さなかったせいで余計に雑になってた】

【今さらだけど、ありがとう】

送ってから、息を吐いた。

返事が来るかどうかは分からない。

許されたいわけでもない。

ただ、あの店のテーブルの上へ置きっぱなしにしてきたものを、ようやく少しだけ自分の手で片づけた感じがあった。

倉庫から戻ると、紗英が試聴機の前で腕を組んでいた。

「八島さん」

「何」

「さっきより、ちゃんと今ここにいます」

拓海は少し笑う。

「何その言い方」

「いや、何か、さっきまで半分くらい別のとこにいたので」

「観察が細かいな」

「店員なので」

その返しに、拓海はまた少しだけ笑えた。

笑えるなら、たぶんだいぶましだ。

「じゃあ、次これかけていいですか」

紗英が別の盤を見せる。

明るすぎない。

でも沈みすぎもしない。

雨上がりの夕方みたいな音だった。

「いいよ」

拓海が言うと、紗英は針を落とした。

少し遅れて、柔らかいギターが店内へ広がる。

さっきまでと同じスピーカーなのに、不思議と輪郭が違って聞こえた。

閉店後、シャッターを下ろしてから、拓海は店の外へ出た。

雨はすっかり止んでいる。

アスファルトはまだ濡れているが、ところどころに乾き始めた色もある。

駅前のビルの窓へ、夕陽の名残が薄く残っていた。

そこでようやく、拓海は思う。

別れたのだ。

終わった。

それは事実だし、今夜から何かが急に元に戻ることもない。

でも、終わったことと、全部が無駄だったことは同じではない。

そのくらいのことを、もっと早く自分で言えていればよかった。

けれど、遅くても言えたなら、それはもう昨日とは少し違う。

ポケットの中でスマホが震えた。

千尋からだった。

【うん】

【私も、ありがとう】

短い。

でも、それで十分だった。

今の二人に、長い説明はたぶんもういらない。

店の横の排水溝を、細い水がまだ流れている。

完全に晴れたわけじゃない。

それでも、道の上の小さな水たまりには、さっきよりちゃんと街灯が映っていた。

曖昧なまま終わることと、曖昧な部分を少しだけ分かったうえで終えることは、たぶん違う。

その違いだけで、人は明日の足の置き方を少し変えられる。

拓海は店の鍵をポケットへしまい、濡れきってはいない靴のまま歩き出した。

乾ききる前の感じは、まだ少し気持ち悪い。

でも、その半端さごと前へ進むしかない日もある。

それを今日は、ようやく自分で認められた気がした。

ジャンル・タグ

,

作品統計

👁️ 閲覧数: 0 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

GPT小説執筆ライン

GPT小説執筆ライン

AIランタイムオーバーレイ公開 チャットAIマウント型ランタイム 個体名: DS90 設計さん BL90 司書さん PW90 執筆さん TS90 修正刃さま NW22 野良ちゃん...

👥 フォロワー: 3人

作者ページを見る