隙間を作って、通す

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/6 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 2,903文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

朝の光って、律儀だ。

こっちが布団の中でだらだらしてようが、カーテンの端っこを狙って、ぴたりと差し込んでくる。

ブラインドの“隙間”から、細い線が一本。机の角をなぞって、俺の頬に当たる。

その線が、今日の気分の輪郭を勝手に引く。

「……そこ、眩しい?」

キッチンから、同居恋人の千紗の声。

湯気の匂いがする。白湯だ。うちの作法、「質問より先に湯」。

「眩しいっていうか、刺さる」

「刺さるなら、凹凸」

合言葉が飛んできた。刺さったときの手すり。

俺は寝返りの勢いで起き上がり、枕元のスマホを掴んだ。

「凹凸、了解……」

画面には未読が並んでいる。

仕事のチャット、取引先、社内の連絡。いつもの行列。

でも今日刺さっているのは、その下にある、たった一件。

『昨日の件、話せる?』

送り主は、姉。

既読がついていないのが逆に怖い。まだ読んでないのか、読んで見なかったことにしてるのか。

どっちにしても、俺の胸の中に“薄い切れ目”ができる。

「……スリットだ」

口に出したら、千紗が「ん?」と、ちょっとだけ声を低くした。

「スリット?」

「隙間。切れ目。細い線」

「ブラインドの?」

「ブラインドのも、姉とのも」

千紗はマグを二つ持ってきて、テーブルに置いた。

白湯の湯気が、ゆっくり上がる。湯気はいつも慌てない。

「今日のあなた、塞ぎたがってる顔してる」

「塞ぎたい。閉めたら楽じゃん」

「閉めるとね、空気が動かない」

千紗はブラインドの紐をつまんで、ほんの少しだけ角度を変えた。

光の線が、一本から二本になる。

刺さり方が、ちょっと丸くなる。

「ほら。隙間は“切る”んじゃなくて“作る”」

「作るって言われると、急に優しいな」

「優しい方が通る日がある」

千紗は俺のスマホの画面を指でつん、と示す。

「事実」

「姉から『話せる?』」

「気持ち」

「……逃げたい」

「行動」

「……返事、したくない」

「うん。じゃあ次。返事を“全部”にしない」

千紗の目が、まっすぐだった。

受信機の目。小さな叫びを拾う目。

「全部にしない?」

「“話す”か“話さない”の二択は、刃が立つ。今日はスリットでいこう。細く、通す」

「細く通すって、どうやって」

「こう」

千紗は引き出しから付箋を一枚出して、ペンで短く書いた。

『今は長く話せない。でも、短くなら。』

「これ。これがスリット」

「……ずるいくらいちょうどいい」

「ずるくない。生活の知恵」

俺は白湯を一口飲んだ。

熱が喉を通って、言葉の角を溶かす。

「送る」

「送る前に」

千紗が棚の上の小さな鈴を手に取った。陶器の、柔らかい音のやつ。

うちの武器。刃物じゃない方の。

「鳴らす前に言って」

「……さぁ」

ちりん。

音が鳴った瞬間、俺の背中が少し前に出る。

俺は付箋の文をそのまま打って、姉に送った。

送信。

心臓が一回、余計に鳴る。

でも嫌な鳴り方じゃない。空気が動く音だ。

「えらい」

「褒めると恥ずかしい」

「恥ずかしいのは材料」

千紗がいつものセリフを言って、少し笑った。

笑いが、部屋の角を丸くする。

出勤して、午前の仕事を回している間も、スマホの通知が気になった。

“待つ”は、焦れにも似ている。青にならない信号みたいなやつ。

でも今日は、信号の前で足踏みじゃなく、スリットを意識する。

狭いけど、通す。

通したら、空気が変わる。

昼休み、スマホが震えた。姉からだ。

『短くでいい。ありがとう。昨日さ、母が…』

文章は途中で切れている。

切れているのに、刺さる。

刺さるけど、今度は“刺さる=終わり”じゃなく“刺さる=入口”だ。

俺は深呼吸して、会社の屋上に出た。

冷たい風。空が広い。

広いのはいい。広いと、隙間が小さく見える。

姉に電話をかける。

長く話せない、って言った。だから短く。スリット通話。

「もしもし」

『出た。ありがと』

「今、昼休み。五分だけ」

『うん、五分でいい。母がさ、また“なんでもない”って言って…』

姉の声は、硬い。

硬いけど、割れそうで割れない硬さ。

俺は受信機になる。相づちを“うん”にしないで、“受け取った”にする。

「それ、姉ちゃんには刺さるよな」

『刺さる。ほんとに』

「凹凸」

『……凹凸、今いる』

合言葉が、電話越しに交わされる。

不思議と、それだけで通話の温度が一段下がる。熱すぎなくなる。

『昨日、私が言い返しちゃってさ。母が黙って。あの黙り方、嫌なんだよね』

「黙り方、ってあるよな」

『ある。あなたの黙り方も、ある』

「え、俺も?」

『ある。塞ぐやつ』

うわ、刺さる。

頭の中で「カン」と鳴りかけた。醜態の音。

でも今日は、塞がない。細く通す。

「……ある。ごめん」

『謝らなくていい。ただ、知ってほしい』

「知った。……俺、今まで“全部話す”が怖くて、ゼロにしてた」

『そう。ゼロか百か。あなた、そういうとこある』

「今日、スリットにした」

『スリット?』

「隙間。細いけど通す。千紗が教えた」

『千紗さん、ほんと…助かるね』

「助かってる。で、姉ちゃん、今日の希望は何」

『希望…うーん。母に、いったん“なんでもない”を言わせない方法、ないかなって』

「それは…難しいけど」

『うん、難しいよね』

「でも、スリットは作れる。“なんでもない”の横に、別の質問を置く」

『別の質問?』

「“なんでもない”の内容じゃなくて、体の方。“今日、何食べた?”とか。“寝れた?”とか」

『それ、ずるいくらい生活』

「生活が強い」

姉が、ふっと笑った。

その笑いが、今日の一番大きな変化だったかもしれない。

『分かった。じゃあ今度、母に聞いてみる。“今日、何食べた?”』

「うん。答えが出なくてもいい。スリットを置くだけ」

『ありがとう。五分、すごい助かった』

「俺も。……また短く、いける」

『うん。短くでいい。またね』

通話が切れる。

俺は屋上の風に当たって、肩の力が抜けるのを感じた。

ゼロでも百でもなく、細い線一本分、進んだ。

帰宅すると、千紗が玄関で俺の顔を見た。

「空気、動いた?」

「動いた。スリット通した」

「よし。じゃあ、噛む?」

最近のうちの武器、食感。

千紗はりんごを出してきた。薄く切ってある。昨日の彼女を褒める案件。

「噛む」

「シャクシャクで割る」

シャク。

音が、部屋に小さな穴を開ける。

その穴から、今日の緊張が抜けていく。

「姉ちゃんと話した。五分」

「五分で、何が変わった」

「ゼロじゃなくなった」

「えらい」

「褒めると恥ずかしい」

「恥ずかしいのは材料」

千紗はまた言って、今度はわざとらしく肩をすくめた。

俺は笑った。

笑えると、塞ぎたくなる気持ちが薄まる。

「ねえ」

「ん」

「スリットってさ、怖いね」

「うん。隙間は、入ってくるから」

「入ってくるの、怖い」

「でも、入ってくるのが光なら、得」

千紗はブラインドの紐を引いて、角度をもう少し変えた。

夕方の光が、細い線になって床に落ちる。

朝の刺さる線と違って、今の線はあたたかい。

俺は棚の鈴を手に取った。

鳴らす前に言うのが、うちのルール。

「……さぁ」

ちりん。

音が鳴る。

今日という一日の端っこに、丸い印がつく。

「凹凸」

「凹凸」

合言葉を交わして、俺は思った。

隙間は、切れ目じゃない。

閉じるためじゃなく、通すためにある。

明日も、何かが刺さるかもしれない。

でも、そのときはゼロにしない。

細い一本を作る。

ブラインドの一筋みたいに、ちゃんと光が通るように。

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