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小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/18 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 3,392文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

玄関のドアが閉まる音が、いつもより軽かった。軽いのに、空気が重い。矛盾って、たいてい本物だ。

「ただいま」

千紗が言って、靴を脱ぎながら小さく「チッ」と鳴らした。舌打ちというより、ブザー。苛立ちをそのまま撒き散らさないための、うちの運用。

俺の受信機が立つ。相手の小さな叫びは、声量じゃなくて、音の端っこに引っかかる。

「凹凸?」と俺が聞くと、千紗は一度まばたきしてから頷いた。

「うん、凹凸。……刺さった。今日のは、胸の真ん中」

「手すり、どうぞ」

俺は言って、テーブルの端に置いてある小さな鈴を指でつまんだ。まだ鳴らさない。合図は“鳴る前”に置いておくだけでも、気持ちが落ち着くときがある。

千紗はリビングの椅子を見て、ソファじゃなく椅子に座った。背もたれの角度を少し立てる。キュ、と床が鳴る。第三の動きが、先に空気を整える。

「……今日さ」千紗が言う。「“行けるでしょ”って言われた」

言われた、の発音が乾いている。表面だけが先に乾く、あの感じ。

「誰に?」

「上の人。来月の企画、私に任せたいって。で、“千紗なら行けるでしょ”って」

千紗は笑った。笑ったけど、泡じゃない。炭酸じゃない笑い。薄い紙みたいに揺れて、すぐ戻る。

「褒められてるじゃん」

「褒められてるんだよ。分かってる」千紗は指でテーブルの木目をなぞった。細い溝。スリットみたいに、線が続く。「でもさ、“行けるでしょ”ってさ、便利すぎない? こっちの中身、見ないまま進める言葉」

便利な言葉は、表面張力が強い。つるっとして、引っかからない。引っかからないから、こぼれる。

俺の中で「チッ」が鳴った。千紗への苛立ちじゃない。見落としそうなところへ滑っていく、あの危険への警報。

ブザー→凹凸→一手。

「一手、やる?」俺は鈴を鳴らした。チリン。

「さぁ」俺が続ける。「“行ける”を、うち仕様に翻訳しよう」

「翻訳って何」千紗は半分笑って、でも目が真面目だ。「英語にすんの?」

「逆。表面の言葉を、中身が見える言葉にする」

俺は冷蔵庫からりんごを取り出した。こういう話は食感が要る。食感で割る。りんごのシャクは、極端を防ぐ。

「シャク、いる?」

「いる」千紗は即答した。「今日、口の中が粉っぽい」

りんごを切る。今日は厚め。噛む回数を増やす厚みは、気持ちを薄くしないための設計だ。

千紗がひと切れ噛む。

シャク。

部屋の輪郭が、少しだけ立った。外の音が遠くなる。今いる場所が“内側”になる。

「ねえ」千紗が言う。「私、行けるのかな」

「行けるか行けないか、の二択にしない」

「出た、ゼロか百か禁止令」

「うん。椅子一センチの世界で考える」

俺はテーブルの上にメモ用紙を置いて、真ん中に一本、線を引いた。左に「SURFACE」、右に「中身」。スリットを作る。

「左が“行けるでしょ”」

「右が?」

「“いまの私は、どこまでなら行ける?”」

千紗はペンを持ったまま、少し止まった。表面張力の膜が強いと、インクが落ちるまで時間がかかる。

「書いたら、責任が発生する気がする」

「責任は罰じゃない。次の一手の材料」

俺はカップを五つ並べた。白湯、紅茶、ほうじ茶、コーヒー、炭酸。内なる五人で、感情を分業する。

「今日の主役、誰?」俺が聞く。

千紗はりんごをもうひと切れ、シャク。噛んでから答えた。

「コーヒー」

「怒り?」

「怒りっていうより……焦り。『行けるって言われたら行けよ』って急かしてくる」

「ほうじ茶は?」

「落ち着けって言う。『いつも通りで』って」

「紅茶は?」

「説明したい。上の人に、私の不安をちゃんと伝えたい」

「炭酸は?」

「笑って誤魔化したい」

「白湯は?」

「黙って抱えてる。重たいまま持ってる」

千紗は自分で言って、少しだけ笑った。「うわ、私、忙しい」

「忙しいなら分けるのが正解」

千紗は右側に、短く書いた。

『私は、行けると言われると、置いていかれそうになる』

その下に、もう一行。

『行きたい気持ちもある』

矛盾が、紙の上でちゃんと並ぶ。並ぶと、暗くならない。暗さって、混ざって絡まるときに出る。

「ねえ」千紗が言う。「置いていかれそうってさ、変だよね。任されるのに」

「任されるって、速度が上がるってことでもある」

「速度……」

千紗は椅子を少しだけ引いた。キュ。第三の動きが“距離”で調整する。近づきすぎると息が詰まる。離れすぎると孤立する。その中間を探す動き。

「行けるかどうかじゃなくて」俺は言った。「行き方を決めよう」

「行き方?」

「うん。たとえば“全部一人で”は、行けるの定義として禁止」

千紗が吹き出した。「禁止って言い切るの、あなたらしい」

「背中押す合図、鳴らす?」俺は鈴に触れた。

「鳴らして」千紗が言う。目が少しだけ潤んでるけど、落ちない。表面張力がいい働きをしている。

チリン。

「さぁ、行き方の候補」俺は指を一本立てた。「一。下書きだけ今週作る。完成は来週。期限を自分で二段にする」

「スリットが入る」

「二。上の人に“確認ポイント”を三つだけもらう。迷ったらそこに戻る」

「凹凸の手すりだ」

「三。『行ける』じゃなく『行くために必要なもの』を言語化してから返事する」

千紗はペン先をくるくる回した。先端をゆっくり、荒く。考える癖が出るときは、ちゃんと踏みとどまれてる。

「三、好き」千紗が言った。「“行けるでしょ”に、乗せられない感じがする」

「じゃあ三で」

「でもさ」千紗は眉を寄せる。「相手に不安を言うの、弱いって思われない?」

「弱いって思われるかも、はSURFACEの想像」

「中身は?」

「中身は、手順の共有。相手が楽になるやつでもある」

千紗は少し黙って、それから右側に追記した。

『私は、確認が三つあれば行ける』

そして、左側に小さく書いた。

『行けます(ただし手順あり)』

「ずるくない?」千紗が言って笑う。「“ただし”」

「ずるくない。仕様です」

「メーカー出た」

「うちのメーカーは、俺と千紗」

千紗の笑いが、ようやく炭酸寄りになった。軽い泡が出る笑い。逃げじゃない、助走の笑い。

そこで、玄関のほうから小さな鈴の音がした。チリン。

アンが、首輪の鈴を鳴らしながら歩いてきた。短い足で、堂々と。

「来た」千紗が顔をほころばせる。「応援団」

アンはテーブルの脚に頬をこすりつけてから、千紗の足元に座った。座り方が、もう家の猫だ。

「ねえ、アン」千紗が言う。「私、行けんのかな」

アンは「にゃ」と鳴いた。意味は分からない。でも、受信機は拾う。拾ったものを“合図”に変えるのが、うちの得意技だ。

「今の、たぶん“行け”」俺が真顔で言うと、千紗が笑った。

「都合よすぎ」

「都合よくしていい。都合よくしないと、都合悪い想像が勝つ」

千紗は立ち上がって、椅子をほんの一センチ、俺の方へ寄せた。キュ。第三の動きが“近づく”方向に働くと、言葉が柔らかくなる。

「ねえ」千紗が言う。「あなたはさ、私が“行ける”って言われるとき、どう思う?」

俺は即答しそうになって、一拍置いた。表面張力を乱暴に破らないための間。

「嬉しい」俺は言った。「千紗の力を見てる人がいるの、嬉しい」

「うん」

「でも、それと同じくらい、“行けるでしょ”に千紗が滑らされるのが嫌だ」

「滑らされる」

「そう。表面がつるつるだと、転ぶ」

千紗は頷いて、メモを指でトントンした。「じゃあ、滑り止めがこれだ」

「凹凸、って書いとく?」

「書いとく」

千紗は紙の端に小さく『凹凸』と書いた。刺さったときの手すりが、文字になってそこに残る。

「明日さ」千紗が言う。「上の人にこう言う。『行けます。確認ポイント三つください』って」

「いいじゃん」

「それで、もし“細かいな”って顔されたら」

「チッ」

「凹凸」

「一手」俺は言う。「『細かいのは、事故を減らすためです』って真顔で」

千紗が吹き出した。「真顔で言うやつ!」

「真顔は武器」

「刃物じゃない武器、また増えた」

俺は鍋を火にかけた。ごっちゃ煮スープ。質問より先に湯が出る。今日の温度を、今日のうちに整える。

湯気が立つ。表面。膜。中の熱が見える形。

千紗が鈴を手に取って、チリン、と鳴らした。

「さぁ」千紗が言う。「ごはん食べて、明日の手順、もう一回読む」

「読み合わせ、編集会議」

「うん。編集会議」千紗は笑って、アンの頭を撫でた。「私の“行ける”は、勢いじゃなくて、仕様で行く」

俺は頷いた。

“行ける”は、魔法の言葉じゃない。

薄い表面のまま使うと滑るけど、凹凸を付ければ、ちゃんと手すりになる。

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