【欄】と、はんこ係チヨの崩落
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
織帳院の朝は、だいたい張り紙から始まる。
人の世界でいうなら、今日の予定表。こっちの世界でいうなら、今日の事故予報。
職員室の壁、掲示板のいちばん目につく位置に、すでに一枚貼ってあった。
『欄の増殖は申請では止まらない』
文字は太い。
太いのに、なぜか言い訳がましい。
言い訳がましいのに、どう見ても負けを認めている。
「……ぁ」
申請受付審査室。
はんこ係のチヨは、机に突っ伏していた。
突っ伏していると言っても、寝ているわけではない。
肩が小刻みに揺れている。机の上には、角が揃った紙束と、角が揃っていない紙束と、どっちでもない紙束が、絶望的な三すくみをしている。
「……いや……いやぁ……」
泣き崩れている。
ただし、悲劇の泣きではない。
業務量の泣きである。
チヨの机の横では、スタンプ台が妙に元気に待機していた。
現象スタンプ【欄】。
四角い枠の中に、四角い「欄」の字。
そのシンプルさが、今は憎い。
「チヨー? 起きてるー?」
ドアを開けて入ってきたのは、主犯神アマネだった。
元気。明るい。涙ゼロを目指すあまり、周囲の涙が増えるタイプの元気。
胸を張って、いつもの決め台詞を放つ。
「おねぇちゃんに、まかせて!」
「まかせた結果がこれですぅ……!」
チヨの敬語が崩れた。崩れ方が急で、本人もびっくりしている。
びっくりしながら、また机に突っ伏した。
「ぅうう……角が……角が揃わないぃ……欄が……欄が増えるぅ……」
アマネはチヨの背中を、よしよし、と軽く叩いた。
叩き方は優しい。優しいのに、方向が悪い。
「大丈夫! 欄が増えるなら、増やした分だけ埋めればいいよ!」
「埋める欄が増えるから泣いてるんですぅ……!」
正論で殴るな。
ここは職員室だ。職員室は戦場じゃない。戦場じゃないからこそ、正論が刺さる。
机の上の紙を、アマネが一枚つまんだ。
つまんだ瞬間、紙の端が、ふわり、と伸びた。
伸びたというより、「余白が生えた」。
「ほら見て! ここ、欄、増やせる!」
「増やせちゃだめなんですぅ……!」
増やせる、が良いことになるのは、だいたい趣味の世界だけだ。
仕事の世界で増やせるは、だいたい事故の合図。
その時、職員室の隅から、乾いた声が飛んだ。
「アマネ。触るな」
マドカだ。
机の上の紙に近づかず、遠くから見ただけで顔をしかめている。経験がある顔。
「え、でもこれ、すっごく便利だよ? だってさ、地上の人たち、人数が増えたり減ったり……」
「その“増えたり”を、お前が増やすな」
「増やしてないよ? 増えてるだけだよ?」
アマネは無邪気に笑った。
無邪気な人ほど、現象に対して責任がない。責任がないのに現象は付いてくる。困る。
チヨが机から顔を上げた。涙で前が見えていないのに、角だけは見ている。
「……角が……角が揃ってない……」
「揃える?」
アマネが両手を合わせた。
やめろ、その手はだいたい世界を盛る手だ。
「揃える! おねぇちゃんに、まかせて!」
アマネが紙束の角を、トントン、と揃えた。
揃えた。
揃えた、はずだった。
紙束の角は揃った。
だが、揃った瞬間、紙束の横腹から――欄が、にょき、と生えた。
縦に一本。
横に一本。
枠線が増える音はしない。だからこそ怖い。
「……ぁ……」
チヨの声が、もはや音になっていなかった。
マドカが机に、バン、と手を置いた。
「張り紙、見たか」
職員室の掲示板を指差す。
『欄の増殖は申請では止まらない』
「止められないのに、なぜやる」
「止めようとしてないよ? 整えようとしてる!」
「整えるな。現象を整えるな。現象は止めろ」
アマネは首を傾げた。
「止めるって、どうやって?」
「……ゆれりん」
マドカが、職員室の隅に置かれた小さな鈴……いや、呼び出し装置を見た。
“ゆれりん”が、すでにうっすら揺れている。嫌な予感に反応している。
チヨが涙目で、スタンプ台を抱きしめた。
「【欄】……押しても……押しても……欄が増えるぅ……」
「押すな」
マドカが言う。
「押さないと……報告が……」
「押すな。今日は押すと増える」
「……押すと増える……」
チヨはそっとスタンプを台に戻した。
戻したのに、スタンプの枠線が、台の上にうっすら残った気がした。気のせいであってくれ。
そこで、職員室の扉がまた開く。
「呼ばれた?」
ナギが顔を出した。案件次第で叱り梯子の途中に立つ人。
今日は顔が半分で止まっている。嫌な予感の半分。
マドカが即答した。
「アマネが欄を増やしている」
「増やしてないよ? 増えてるだけだよ?」
「増えてるのを触って増やしてる」
「……あー」
ナギは、分かった顔になった。
分かった顔の人は、だいたい諦めの一歩手前にいる。
「チヨ、泣いてる?」
「泣いてません……泣いてますぅ……」
敬語が崩れて戻らない。新人癖が最大出力だ。
ナギは一歩だけ室内に入って、机の上を見る。
紙束。角が揃っている。揃っていない。どっちでもない。
そして、枠線が増えた紙。
「現象スタンプは?」
「ここです……でも……押すと増えるんですぅ……」
ナギは深く息を吸った。
この職員室でも、深呼吸は役に立つ。
「……張り紙、更新」
ナギが掲示板に向かい、隣の空きスペースに一枚貼った。
紙は角が揃っている。揃っているのに、貼った瞬間に一箇所だけ角がふわっと丸くなった。
チヨがそれを見て、また泣きそうになる。
貼られた一行。
『角を揃えると、欄が喜ぶ』
「喜ぶなぁ……!」
チヨが叫んだ。叫んだ瞬間、自分でびっくりして口を押さえた。
敬語だけじゃなく、声量も崩れている。
アマネが両手を上げた。
「じゃあ、角を揃えなければいい! 角を、あえて、バラバラに!」
「それはそれで泣きます!」
チヨが言い切る。
泣く方向が確定しているのは、ある意味で強い。
ゆれりんが、ついに、りん、と鳴った。
職員室全体が一瞬だけ止まる。
止まってから、みんな同じ方向を見た。
技術室の大きな出入口の方。
“外直結”。
つまり、現象が外に漏れる前に処理しろ、の合図だ。
「……ゲン、来るやつだ」
ナギが言った。
「ゲン印【幸】は、今回まだ早い」
マドカが言う。
「早いのに終結判定出したくなるのがアマネだ」
ナギが言う。
「出したくならないよ!」
アマネが胸を張る。
「涙ゼロ目指すから、終わらせるんじゃなくて、整えるんだよ!」
「整えるなって言ってるだろ!」
マドカがツッコミ、チヨがその勢いに合わせて机に突っ伏した。
泣き崩れが、二度目の崩落。
そこへ、職員室の奥から、にこにこが来た。
「おはようございます」
院代。にこにこ怖い。
男性陣は「先生」、女性陣は「にこちゃん先生」と呼ぶあの人だ。
「どうして、今日は机が泣いているんですか?」
「机は泣いてません!」
チヨが即答した。敬語が崩れたまま全力で否定する。
にこちゃん先生は、にこにこしたまま、机の上の紙を一枚だけ持ち上げた。
持ち上げた瞬間、紙の余白が、すっと広がった。
欄が増える気配。
「……なるほど」
にこちゃん先生は、紙をそっと戻した。
戻し方が、鍋の蓋を置くみたいに丁寧だった。
丁寧さは、生活の味方だ。神界でも。
「欄が増殖していますね。【欄】」
にこちゃん先生が、現象スタンプを手に取った。
チヨが息を止める。
マドカが肩を固める。
ナギが目を閉じる。
アマネが目を輝かせる。やめろ。
にこちゃん先生は、スタンプを押さなかった。
押さずに、スタンプ台の蓋を閉めた。
「押さないほうが良い日です。素敵な学びですね」
「学びで済ませないでくださいぃ……!」
チヨが泣き声混じりに言って、また自分で口を押さえる。
新人癖が今日も暴れる。
にこちゃん先生は、職員室の掲示板を見た。
張り紙が増えている。
増えているのに、角が揃っていないものが混ざっている。
チヨが泣く理由が、いま確定した。
「チヨさん」
「はい……!」
「角は揃えなくていいです。今日は“揃っているフリ”だけでいきましょう」
「……揃っているフリ……?」
「紙束を、紐で束ねてください。見た目が揃えば、心は落ち着きます」
紐。束。
結び家の順番札みたいな話を、神界でやっている。
生活は場所を選ばない。
ナギが、はっとした顔をした。
「束ねる、か」
「束ねる!」
アマネが両手を叩いた。
「束ねれば、欄が増えても迷子にならない!」
「増える前提にするな!」
マドカがまたツッコむ。ツッコミが今日の救命具。
チヨは涙を拭きながら、引き出しから紐を出した。
書類用の、あの、少し固い紐。
角が揃わなくても、束ねれば“ひと塊”になる。
束ねる。
束ねると、机の上の三すくみが、ちょっとだけ一つになる。
にこちゃん先生は、にこにこしたまま言った。
「よし。生きていますね」
その一言で、職員室の空気がふっと軽くなる。
軽くなると、チヨの肩が下がる。
肩が下がると、泣きが収まる。
収まったところで、アマネが口を開きかけた。
「じゃあ、私、次は欄を……」
「触るな」
マドカ・ナギ・チヨが、三重に言った。
三重の即答は強い。
アマネは一瞬だけ口を尖らせて、それからぱっと笑った。
「わかった! じゃあ、私は……湯を沸かす!」
職員室の給湯室。
ここにもちゃんと湯がある。
神界の生活は、結局そこに戻る。
にこちゃん先生が頷いた。
「飯も用意しましょう。反省会は、そのあとです」
「反省会……!」
チヨがまた涙目になりかけて、にこちゃん先生が追加で言う。
「短いやつです。泣かないやつ」
「泣かないやつ……!」
チヨは、泣くのを我慢した。
我慢できたことが、今日いちばんの勝利かもしれない。
湯が湧く音が、職員室の隅で小さく鳴った。
紙束は紐で束ねられ、角の揃っていない世界が、今日は“揃っているフリ”でなんとか回る。
掲示板の張り紙は、最後にもう一枚だけ増えた。
にこちゃん先生が、さらさらと書いて貼った一行。
『欄は増えても、湯は減らない』
チヨがそれを見て、ふふ、と笑ってしまった。
笑ってから、慌てて口を押さえた。
でも、笑えたなら、今日は勝ちだ。
「よし。生きた。寝ろ」
にこちゃん先生の締めは、結び家の姉御と同じ匂いがした。
アマネは湯気の向こうで胸を張る。
「おねぇちゃんに、まかせて!」
「任せる範囲を覚えてくださいぃ……!」
チヨの泣き声は、もう泣き崩れじゃない。
仕事の湯気に溶けて、ちゃんと明日の職員室へ繋がっていった。
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