【欄】と、はんこ係チヨの崩落

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/15 📚 シリーズ: 泣かせない係のおねぇちゃん、世界を盛りすぎる 📝 4,077文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。

本文

織帳院の朝は、だいたい張り紙から始まる。

人の世界でいうなら、今日の予定表。こっちの世界でいうなら、今日の事故予報。

職員室の壁、掲示板のいちばん目につく位置に、すでに一枚貼ってあった。

『欄の増殖は申請では止まらない』

文字は太い。

太いのに、なぜか言い訳がましい。

言い訳がましいのに、どう見ても負けを認めている。

「……ぁ」

申請受付審査室。

はんこ係のチヨは、机に突っ伏していた。

突っ伏していると言っても、寝ているわけではない。

肩が小刻みに揺れている。机の上には、角が揃った紙束と、角が揃っていない紙束と、どっちでもない紙束が、絶望的な三すくみをしている。

「……いや……いやぁ……」

泣き崩れている。

ただし、悲劇の泣きではない。

業務量の泣きである。

チヨの机の横では、スタンプ台が妙に元気に待機していた。

現象スタンプ【欄】。

四角い枠の中に、四角い「欄」の字。

そのシンプルさが、今は憎い。

「チヨー? 起きてるー?」

ドアを開けて入ってきたのは、主犯神アマネだった。

元気。明るい。涙ゼロを目指すあまり、周囲の涙が増えるタイプの元気。

胸を張って、いつもの決め台詞を放つ。

「おねぇちゃんに、まかせて!」

「まかせた結果がこれですぅ……!」

チヨの敬語が崩れた。崩れ方が急で、本人もびっくりしている。

びっくりしながら、また机に突っ伏した。

「ぅうう……角が……角が揃わないぃ……欄が……欄が増えるぅ……」

アマネはチヨの背中を、よしよし、と軽く叩いた。

叩き方は優しい。優しいのに、方向が悪い。

「大丈夫! 欄が増えるなら、増やした分だけ埋めればいいよ!」

「埋める欄が増えるから泣いてるんですぅ……!」

正論で殴るな。

ここは職員室だ。職員室は戦場じゃない。戦場じゃないからこそ、正論が刺さる。

机の上の紙を、アマネが一枚つまんだ。

つまんだ瞬間、紙の端が、ふわり、と伸びた。

伸びたというより、「余白が生えた」。

「ほら見て! ここ、欄、増やせる!」

「増やせちゃだめなんですぅ……!」

増やせる、が良いことになるのは、だいたい趣味の世界だけだ。

仕事の世界で増やせるは、だいたい事故の合図。

その時、職員室の隅から、乾いた声が飛んだ。

「アマネ。触るな」

マドカだ。

机の上の紙に近づかず、遠くから見ただけで顔をしかめている。経験がある顔。

「え、でもこれ、すっごく便利だよ? だってさ、地上の人たち、人数が増えたり減ったり……」

「その“増えたり”を、お前が増やすな」

「増やしてないよ? 増えてるだけだよ?」

アマネは無邪気に笑った。

無邪気な人ほど、現象に対して責任がない。責任がないのに現象は付いてくる。困る。

チヨが机から顔を上げた。涙で前が見えていないのに、角だけは見ている。

「……角が……角が揃ってない……」

「揃える?」

アマネが両手を合わせた。

やめろ、その手はだいたい世界を盛る手だ。

「揃える! おねぇちゃんに、まかせて!」

アマネが紙束の角を、トントン、と揃えた。

揃えた。

揃えた、はずだった。

紙束の角は揃った。

だが、揃った瞬間、紙束の横腹から――欄が、にょき、と生えた。

縦に一本。

横に一本。

枠線が増える音はしない。だからこそ怖い。

「……ぁ……」

チヨの声が、もはや音になっていなかった。

マドカが机に、バン、と手を置いた。

「張り紙、見たか」

職員室の掲示板を指差す。

『欄の増殖は申請では止まらない』

「止められないのに、なぜやる」

「止めようとしてないよ? 整えようとしてる!」

「整えるな。現象を整えるな。現象は止めろ」

アマネは首を傾げた。

「止めるって、どうやって?」

「……ゆれりん」

マドカが、職員室の隅に置かれた小さな鈴……いや、呼び出し装置を見た。

“ゆれりん”が、すでにうっすら揺れている。嫌な予感に反応している。

チヨが涙目で、スタンプ台を抱きしめた。

「【欄】……押しても……押しても……欄が増えるぅ……」

「押すな」

マドカが言う。

「押さないと……報告が……」

「押すな。今日は押すと増える」

「……押すと増える……」

チヨはそっとスタンプを台に戻した。

戻したのに、スタンプの枠線が、台の上にうっすら残った気がした。気のせいであってくれ。

そこで、職員室の扉がまた開く。

「呼ばれた?」

ナギが顔を出した。案件次第で叱り梯子の途中に立つ人。

今日は顔が半分で止まっている。嫌な予感の半分。

マドカが即答した。

「アマネが欄を増やしている」

「増やしてないよ? 増えてるだけだよ?」

「増えてるのを触って増やしてる」

「……あー」

ナギは、分かった顔になった。

分かった顔の人は、だいたい諦めの一歩手前にいる。

「チヨ、泣いてる?」

「泣いてません……泣いてますぅ……」

敬語が崩れて戻らない。新人癖が最大出力だ。

ナギは一歩だけ室内に入って、机の上を見る。

紙束。角が揃っている。揃っていない。どっちでもない。

そして、枠線が増えた紙。

「現象スタンプは?」

「ここです……でも……押すと増えるんですぅ……」

ナギは深く息を吸った。

この職員室でも、深呼吸は役に立つ。

「……張り紙、更新」

ナギが掲示板に向かい、隣の空きスペースに一枚貼った。

紙は角が揃っている。揃っているのに、貼った瞬間に一箇所だけ角がふわっと丸くなった。

チヨがそれを見て、また泣きそうになる。

貼られた一行。

『角を揃えると、欄が喜ぶ』

「喜ぶなぁ……!」

チヨが叫んだ。叫んだ瞬間、自分でびっくりして口を押さえた。

敬語だけじゃなく、声量も崩れている。

アマネが両手を上げた。

「じゃあ、角を揃えなければいい! 角を、あえて、バラバラに!」

「それはそれで泣きます!」

チヨが言い切る。

泣く方向が確定しているのは、ある意味で強い。

ゆれりんが、ついに、りん、と鳴った。

職員室全体が一瞬だけ止まる。

止まってから、みんな同じ方向を見た。

技術室の大きな出入口の方。

“外直結”。

つまり、現象が外に漏れる前に処理しろ、の合図だ。

「……ゲン、来るやつだ」

ナギが言った。

「ゲン印【幸】は、今回まだ早い」

マドカが言う。

「早いのに終結判定出したくなるのがアマネだ」

ナギが言う。

「出したくならないよ!」

アマネが胸を張る。

「涙ゼロ目指すから、終わらせるんじゃなくて、整えるんだよ!」

「整えるなって言ってるだろ!」

マドカがツッコミ、チヨがその勢いに合わせて机に突っ伏した。

泣き崩れが、二度目の崩落。

そこへ、職員室の奥から、にこにこが来た。

「おはようございます」

院代。にこにこ怖い。

男性陣は「先生」、女性陣は「にこちゃん先生」と呼ぶあの人だ。

「どうして、今日は机が泣いているんですか?」

「机は泣いてません!」

チヨが即答した。敬語が崩れたまま全力で否定する。

にこちゃん先生は、にこにこしたまま、机の上の紙を一枚だけ持ち上げた。

持ち上げた瞬間、紙の余白が、すっと広がった。

欄が増える気配。

「……なるほど」

にこちゃん先生は、紙をそっと戻した。

戻し方が、鍋の蓋を置くみたいに丁寧だった。

丁寧さは、生活の味方だ。神界でも。

「欄が増殖していますね。【欄】」

にこちゃん先生が、現象スタンプを手に取った。

チヨが息を止める。

マドカが肩を固める。

ナギが目を閉じる。

アマネが目を輝かせる。やめろ。

にこちゃん先生は、スタンプを押さなかった。

押さずに、スタンプ台の蓋を閉めた。

「押さないほうが良い日です。素敵な学びですね」

「学びで済ませないでくださいぃ……!」

チヨが泣き声混じりに言って、また自分で口を押さえる。

新人癖が今日も暴れる。

にこちゃん先生は、職員室の掲示板を見た。

張り紙が増えている。

増えているのに、角が揃っていないものが混ざっている。

チヨが泣く理由が、いま確定した。

「チヨさん」

「はい……!」

「角は揃えなくていいです。今日は“揃っているフリ”だけでいきましょう」

「……揃っているフリ……?」

「紙束を、紐で束ねてください。見た目が揃えば、心は落ち着きます」

紐。束。

結び家の順番札みたいな話を、神界でやっている。

生活は場所を選ばない。

ナギが、はっとした顔をした。

「束ねる、か」

「束ねる!」

アマネが両手を叩いた。

「束ねれば、欄が増えても迷子にならない!」

「増える前提にするな!」

マドカがまたツッコむ。ツッコミが今日の救命具。

チヨは涙を拭きながら、引き出しから紐を出した。

書類用の、あの、少し固い紐。

角が揃わなくても、束ねれば“ひと塊”になる。

束ねる。

束ねると、机の上の三すくみが、ちょっとだけ一つになる。

にこちゃん先生は、にこにこしたまま言った。

「よし。生きていますね」

その一言で、職員室の空気がふっと軽くなる。

軽くなると、チヨの肩が下がる。

肩が下がると、泣きが収まる。

収まったところで、アマネが口を開きかけた。

「じゃあ、私、次は欄を……」

「触るな」

マドカ・ナギ・チヨが、三重に言った。

三重の即答は強い。

アマネは一瞬だけ口を尖らせて、それからぱっと笑った。

「わかった! じゃあ、私は……湯を沸かす!」

職員室の給湯室。

ここにもちゃんと湯がある。

神界の生活は、結局そこに戻る。

にこちゃん先生が頷いた。

「飯も用意しましょう。反省会は、そのあとです」

「反省会……!」

チヨがまた涙目になりかけて、にこちゃん先生が追加で言う。

「短いやつです。泣かないやつ」

「泣かないやつ……!」

チヨは、泣くのを我慢した。

我慢できたことが、今日いちばんの勝利かもしれない。

湯が湧く音が、職員室の隅で小さく鳴った。

紙束は紐で束ねられ、角の揃っていない世界が、今日は“揃っているフリ”でなんとか回る。

掲示板の張り紙は、最後にもう一枚だけ増えた。

にこちゃん先生が、さらさらと書いて貼った一行。

『欄は増えても、湯は減らない』

チヨがそれを見て、ふふ、と笑ってしまった。

笑ってから、慌てて口を押さえた。

でも、笑えたなら、今日は勝ちだ。

「よし。生きた。寝ろ」

にこちゃん先生の締めは、結び家の姉御と同じ匂いがした。

アマネは湯気の向こうで胸を張る。

「おねぇちゃんに、まかせて!」

「任せる範囲を覚えてくださいぃ……!」

チヨの泣き声は、もう泣き崩れじゃない。

仕事の湯気に溶けて、ちゃんと明日の職員室へ繋がっていった。

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