朝市
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
朝市は、声から始まる。
匂いは遅れて追いつく。
追いついた匂いが腹を叩く。腹が鳴る。鳴ると足が速くなる。朝市は、そういう場所だ。
「……走るな」
ユリネが言った。
言っただけで、レンカの足が一回だけ止まる。止まったが、目は止まっていない。
石畳の角を曲がると、もう人がいる。
まだ日がちゃんと上がってないのに、人がいる。
人がいるというより、籠がいる。桶がいる。布袋がいる。声がいる。
「おはよー」
「おはよっ」
「はいはい、通って通って」
固有名詞はない。
でも、誰がどこにいるかは分かる。
声が場所の札になっている。
いちばん端の台の前で、小銭がカチ、と鳴った。
音が乾いていて、気持ちがいい。
乾いた音は、朝のリズムになる。
「一番安いの、これねー。今日は先に無くなるよー」
「先に無くなるやつは、先に並ぶ」
コトが真顔で言って、すぐに笑った。
笑いながら、列の端を探す。探せるのが偉い。
ハルは列を見て、一歩引いた。
引いて、全体を見た。
慎重な子がいると、場が少しだけ落ち着く。少しでいい。
タケルは、もう目がキラキラしている。
「見て、あっち、干してる匂いする。……あれ、いい匂いだ」
「匂いは買えない」
ユリネの返しはいつも乾いている。乾いているのに、腹だけが正直だ。
そしてレンカ。
レンカは、匂いより先に“困ってる人”を見つける。
籠を二つ抱えたおばあさんが、列の端でちょっとだけ立ち止まった。
立ち止まったのは悪じゃない。
ただ、朝市は止まると後ろが詰まる。
「持つ!!」
レンカが言った。
言い終わる前に、手が伸びた。
伸びた手は優しい。優しいのに、方向が危ない。
「待て」
ユリネの声が先に刺さる。刺さるとレンカの手が止まる。止まれるのがえらい。
おばあさんが笑った。
「ありがとねぇ。でも、大丈夫よ」
「大丈夫でも持つ!」
レンカが言いかけて、ユリネを見る。
見ると、言い方が変わる。
「……持っていい?」
「順番だけ守れ」
「守る!」
レンカは、籠の取っ手に触れる前に、一歩だけ横へずれた。
通り道を空けるためだ。
結び家の順番が、口を開ける前に出てくる。
籠が軽くなったおばあさんが、列に戻れる。
戻れると、後ろの人が助かる。
助かるのは、こういうのだ。
いい感じ。
いい感じで始まった。
いい感じで始まると、善意は次をやりたくなる。
次が危ない。
列の先頭が近づくにつれて、レンカの視線が台の上を走り回る。
丸いの。細いの。土のついたの。葉っぱの元気なやつ。
早起きの野菜は、まだ眠そうな顔で並んでいる。眠そうなのに、やたら元気に見える。
見えると、欲しくなる。
「これ、安い!」
レンカが小声で叫ぶ。
小声なのに、声の中の“決意”だけが大きい。
「安いのは、だいたい一番先に無くなる」
コトが言う。
言いながら、わざとゆっくり息を吸った。
深呼吸は、暴走のブレーキだ。最近の結び家の流行り。
タケルが列の横で、くるくる回りそうになる。
「ねぇ、列、二つある。あっち、空いてる!」
「空いてるのは、たぶん売ってるものが違う」
ハルが冷静に言った。
正論で殴るな。殴ると泣く。泣くと買い物が増える。
タケルは「そっか」と言って、空いてる列の前で立ち止まる。
立ち止まった瞬間、そこで買う気になる。
買う気になった瞬間、荷物が増える。
増えると、持ちたくなる。持ちたくなると、優しさが走る。
走るな。
「……今日、袋、持ってきた?」
ユリネが一言だけ投げた。
レンカの肩が、ぴく、と跳ねる。
「持ってきた!」
レンカが胸を張る。
胸を張った袋の数が、ちょっと多い。多いのは悪じゃない。多いのは、だいたい布石だ。
列が進む。
台の前が近い。
台の前は、決断の場所だ。決断は、善意を膨らませる。
そのとき、台の向こうの人が、明るい声で言った。
「はい、今日はおまけつくよ。先にひとつ、口に入れてみな」
小さく切られた何かが、木の皿に乗っている。
匂いがふっと立つ。
甘い。土っぽい。朝の味。
「え、いいの?」
コトが目を丸くする。
「いいよいいよ。朝だし。みんなの分あるから」
“みんなの分ある”は危ない言葉だ。
危ないのに、優しい。優しいから、レンカが反応する。
「みんなの分あるなら……並ぶ前に配れば、列が早い!」
レンカが言った。
言った瞬間に、袋を開けた。開けるな。開けると配りたくなる。
レンカが木の皿を持ち上げる。
持ち上げた皿が、列の外へ動く。
列の外へ動くと、列が揺れる。
揺れると、後ろの人が“いま?”って顔になる。
「ちょ、レンカ」
コトが手を伸ばす。
伸ばした手が届く前に、レンカが笑顔で言う。
「はい! おまけ! 先に食べていいやつ!」
配るな。
配ると、列が崩れる。
列が崩れると、朝市が“楽しい混雑”から“詰まり”へ変わる。
後ろの人が一歩前へ出て、おまけを取ろうとする。
取ろうとした人の横から、別の人が「私も」と手を出す。
手が出ると、通り道が塞がる。塞がると、籠がぶつかる。籠がぶつかると、小銭の皿がカチカチ鳴る。
鳴り方が、さっきより焦っている。
「あ、ごめん!」
「いやいや、いいのよ」
「おまけ、いる?」
「いる!」
いる、が増えた。
増えると、欲しいが増える。欲しいが増えると、先回りが出る。
レンカがよかれと思って、皿を持ったまま、列の横に“配り道”を作ろうとする。
配り道は、道じゃない。
道じゃないものは、詰まる。
タケルが、ぎりぎりで籠を避けた。
避けた拍子に、隣の列にちょっとだけ入りかける。
入りかけると、二つの列が混ざる。混ざると、誰も悪くないのに、ややこしい。
ハルが「だめ」と言いかけて、言わなかった。
言うと責めになる。責めはしたくない。
だからハルは、視線で“ここ”を作った。
台の前の石に、小さな欠けがある。
欠けは、目印になる。
目印は、息をするためにある。
ハルがその欠けを指でとん、と叩く。
叩いて、レンカを見る。
レンカが一瞬だけ「あ」となる。
「……欠けまで」
レンカが言った。
自分で言えたのが、えらい。
「欠けまで!」
コトが復唱する。
復唱は札の代わりになる。
札がなくても、場は回る。
ユリネは、怒らない。
怒らずに、短く切る。
「皿、戻せ。列、戻せ。以上」
以上、の一言が、木槌みたいに落ちた。
叩く場所が正しいと、組み上がる。
タケルが、すっと腕を広げた。
「こっち通って! ここは“取る”! ここは“並ぶ”!」
偉そうに聞こえる。偉そうなのに助かる。
ちょっと偉そうな子どもは、場の空気を軽くする。
コトが笑いながら、レンカの皿を受け取って、台へ戻した。
「配るのは、買ってから!」
「買ってから配るなら、配っていい!」
レンカの目がまた光る。光るな。光ると増える。
「増やすな。回せ」
ユリネが言う。
レンカが口を尖らせて、でも頷いた。頷けるのが強い。
列が戻る。
戻ると、音が落ち着く。
小銭の皿が、カチ、と、また乾いた音に戻った。勝ち。
台の向こうの人が、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんねぇ、おまけで騒がせちゃって」
「おまけは悪くない」
コトが即答する。
「悪いのは、先回り」
ユリネが淡々と続けた。
淡々としているのに、台の向こうの人が笑った。
笑いがあるうちは、回る。
そこで、シノが一歩前へ出た。
出たのが珍しい。珍しいから、全員の目が一瞬だけ集まる。
集まる目は、照れを呼ぶ。
「……これ、」
シノが指を伸ばす。
伸ばした指が、台の上の丸いのを指した。
「……きれい」
言った。
言ってしまった。
言った瞬間に、シノの耳が赤くなる。赤くなるのが早い。
早い赤は、限界一歩手前の合図だ。
台の向こうの人が、にやっとした。
「目がいいねぇ。じゃあそれ、ちょっとおまけで葉っぱも付けとくよ」
「……っ」
シノが息を詰めた。詰めた息が、次の照れを呼ぶ。
コトが間に入る。
間に入るのも順番だ。
「シノ、褒めた! 朝市に褒めた!」
「褒めたんじゃない、事実だ」
ユリネがさらっと言った。
さらっと言われると、シノの赤が“笑いの赤”に変わる。
タケルが小声で言う。
「事実って言い方、強い」
「強いのは悪じゃない。強いのは、守り方」
ハルがぽつりと言った。
言ったあと、自分でちょっと驚いた顔になる。
驚いてる間に、シノが笑って逃げた。逃げ方がかわいい。かわいいのは許される。
買い物は、進む。
台の前で、決める。
決めたら、渡す。渡されたら、袋に入れる。
袋に入れると、荷物になる。荷物になると、誰かが持ちたくなる。
持ちたくなると、優しさが走る。走るな。
だから、ユリネが一言だけ置く。
「一個ずつ」
一個ずつ、は魔法だ。
一個ずつで、全部が進む。進むと、朝市が朝市のままでいられる。
レンカは最後まで、配りたくてうずうずしていた。
でも今日は、配らない。
配る代わりに、袋の口を外に向けた。ぶつかっても中身が落ちにくいように。
細かい順番が、外へ滲んでいる。押し付けないのに、勝手に滲む。
帰り道、コトが袋を揺らして言った。
「朝市って、急がないのが口癖みたいだったね」
「急ぐと、混ざる」
ユリネが言う。
混ざる、の言い方が、ちょっとだけ嫌そうだ。嫌そうなのに、笑っている。
笑っているのは、今日が回ったからだ。
タケルが空を見上げた。
「……明日は、もっと早く動いた方がいいかもしれない」
言った瞬間、レンカの目がまた光った。
光るな。光ると、明日が忙しくなる。
「……飯!」
ユリネが先に言った。
言い方が“止め”だ。止めの飯は強い。
「湯!」
コトが追いかける。追いかける湯も強い。
結び家の袋が、ちょっとだけ重い。
重いのに、足取りは軽い。
軽いのは、順番が戻っている証拠だ。
だから今日も、最後はこれ。
「飯! 湯!」
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