洗濯の取り違え未遂
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あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
洗濯は、たぶん戦いじゃない。
でも、晴れた日に限って風が強い。風が強い日に限って布が多い。布が多い日に限って「手伝うよ」が集まる。
集まると、混ざる。混ざると、間違える。
間違えると、だいたい「善意」が一番困る顔をする。
「……洗」
結び家の柱から、ユリネが札を一枚外した。
厚めの紙。生成り。角が丸い。穴がひとつ。
そして真ん中に、でかい数字。でかい数字の下に、一語だけ。
洗。
「今日、洗」
「洗!」
レンカが反射で復唱して、すでに袖をまくっている。早い。早いのは悪じゃない。早いのは、方向が要る。
「先に水を汲め」
ユリネの声が先に刺さる。
「汲む!」
レンカが走りかけて止まった。
「……走るな」
「走ってない!」
「走りそうな顔をやめろ」
乾いた返しに、レンカが悔しそうに笑った。笑えるなら勝ち。
水場には、桶が二つ。
桶の横に、札がもう一枚ぶら下がっていた。
洗の札の数字が、朝の光でやけに目立つ。
「でかいね」
コトが言う。
「見落とせないように、でかい」
ユリネが短く返す。説明じゃない。事実だけ。事実は増えない。
布が集まる。
タオル。服。ひも。小さい布。大きい布。
ハルは黙って布をたたんでから、洗い籠へ入れる。たたんでから入れると、洗う前に既に「戻す」気持ちがある。強い。
タケルは、布の量を見て眉を寄せた。
「……今日、干すのも多いな」
「干は後」
ユリネが切る。
後と言えると、今が軽くなる。
シノは布の端をつまんで、指先で小さく確かめる。
指先だけで分かることがある子は、洗濯で強い。
「……ふわ」
シノがぼそり。
誰も拾わない。拾うと、言葉が増える。言葉が増えると、手が止まる。今日は手を動かす日だ。
そこへ、戸の外から声がした。
「おーい、結び家。今日、洗い? うちも洗いだよ」
近所のおばさんが、籠を抱えて立っていた。
籠の中も布だらけ。布だらけの顔は、助けたくなる。助けたくなるのが、事故の入口。
「場所、借りていい?」
「いい」
ユリネは即答した。
即答は優しい。即答は危ない。でも、即答の後に手順が来るなら勝てる。
「欠けまで」
ユリネが、水場の端の石の欠けを指でとん、と叩いた。
「欠けまで?」
「欠けまで。籠はそこ。道を空けろ」
道が空く。
道が空くと、布が通る。布が通ると、桶が動く。桶が動くと、水が跳ねる。
跳ねる前に、線を引く。欠けは線になる。
レンカが、おばさんの籠を見て、目を輝かせた。
「私、洗うの手伝う!」
「手伝うな」
ユリネが即座に言った。
「え、でも同じ洗いだし!」
「同じだから混ざる」
混ざる、の一言で、レンカの手が止まる。止まれるのが偉い。
おばさんが笑った。
「うちのは見れば分かるよ。ほら、模様」
「模様は濡れると似る」
ユリネが淡々と返す。
正論で殴るな(二回目)。
でも、この正論は命を救う正論だ。たぶん、布の命を。
コトがにこっとして、おばさんに指を一本立てた。
「見れば分かるを、数字で上書きしよう」
「数字?」
「札」
コトが、結び家の洗の札を軽く持ち上げる。
おばさんの籠の取っ手にも、札がぶら下がっていた。
厚めの紙。角丸。穴ひとつ。
でかい数字。下に一語。
干。
「……あら、うちも札ある」
「あるなら、勝ち」
タケルが真顔で言って、ユリネに肘で小突かれた。
「勝ちとか言うな」
「……推測で勝てる」
タケルが言い直して、コトが笑った。笑いは生活向きだ。
洗いが始まる。
水が濁る。
布が沈む。
手が動く。
動く手が増えたところで、風が来た。
ばさっ。
干し綱が、どこかで鳴った。
庭の方。
レンカが反射で顔を上げる。
「干すの、今じゃない」
ユリネが先に言う。
言われると、レンカは歯を食いしばって戻る。戻れるのが強い。
なのに、風は待ってくれない。
おばさんが庭を見て「あ」と声を漏らした。
「うちの、干してたの、飛ぶ!」
飛ぶ、は事故の合図。
飛ぶと、拾うが発生する。
拾うと、混ざるが発生する。
混ざると、取り違えが発生する。
レンカがもう、庭へ走り出しかけた。
ユリネの声が、庭より先に刺さる。
「……干」
ユリネが柱から、干の札を外した。
洗の札を、水場の杭に掛ける。
干の札を、自分の手首に引っかける。
「洗はここ。干は今」
短い。
短いのに、全員の足が同じ向きになる。
庭へ出ると、干し綱がぶんぶん揺れていた。
布が、ひらひらじゃない。ばさばさだ。
ばさばさは、善意を呼ぶ。
善意が呼ばれる前に、順番で止める。
「押さえるのは二人」
ユリネが言う。
「私!」
「……ハル」
レンカの手は上がったが、ユリネは無視してハルを指名した。
無視は冷たい。でもここでは優しい。レンカは押さえたら、押さえる場所を増やす顔だ。
ハルが無言で綱を押さえる。
押さえ方が「止める」じゃない。
「揺れても同じ位置に戻す」押さえ方だ。
風に勝とうとしない。風と折り合う。強い。
レンカは、押さえる代わりに布を拾う役に回りそうになった。
「拾う!」
「拾うな」
ユリネが即座に言う。
「えええ」
「拾うのは、落ちた布の持ち主だけ」
おばさんが「あらまぁ」と笑って、でも頷いた。
「そうね。うちのはうち」
持ち主だけ。
それだけで、手が増えない。
手が増えないと、布が混ざらない。
……混ざらないはずだった。
風に煽られて、布が一枚、地面を滑った。
滑った布が、結び家の布にぴたりと重なった。
重なると、一枚に見える。
一枚に見えると、誰かが掴む。
掴むと、勝手に「戻す」が始まる。
勝手に戻すは、だいたい取り違えの入口だ。
レンカの手が、ふっと伸びた。
伸びた指が布の端に触れる。
触れた瞬間、レンカの目が「きれいに戻す」になる。危ない。
「……見る」
コトが短く言って、レンカの手首を軽く押さえた。
押さえ方が優しい。優しい押さえは止まれる。
「数字」
コトは布の端についている札を、指先でちょん、と弾いた。
紙札がひらっと揺れる。
でかい数字。下に一語。
干。
レンカが目を細める。
「……これ、うちの?」
「数字」
コトは答えない。答えると、説明が増える。説明を増やすと、次は失敗する。
代わりに数字だけを見せる。数字は裏切らない。
レンカが自分の干の札を見る。
でかい数字が違う。
違うだけで、心臓が冷える。
冷えると、止まれる。
「……違う!」
レンカが叫ぶ手前で止めた。
止めて、布をそっと置いた。
置けるのが強い。置けると混ざらない。
おばさんが笑った。
「えらい。うちのだった」
「未遂」
タケルが真顔で言った。
「未遂って言うな」
ユリネが切る。
「……でも未遂」
タケルが小声で言い直して、コトが笑った。笑いは生活の潤滑油だ。
ここで終わればよかった。
だが、洗濯はだいたい「終わる直前」に雨を持ってくる。
ぽつ。
誰かの頬に、水が当たった。
もう一つ。
もう一つ。
「……降る」
ハルが言った。
短い。短いが、全員が同時に空を見る。
空が灰色だ。灰色は、急に来る。
「取り込み!」
レンカが叫んだ。叫ぶと増える。でも今は、増えるのは布だけでいい。声は最低限でいい。
「走るな」
ユリネが言う。
「走らない!」
レンカが言いながら、足が速い。速いのは許す。今日は雨だ。
ただし、雨の日の取り込みは、混ざる。
混ざると、取り違える。
取り違えたら、善意が一番困る顔をする。
だから、順番。
「干の札、回せ」
ユリネが言った。
干の札を持っている者が、取り込む。
持っていない者は、道を作る。
道を作る者は、布を抱えない。
抱えない者は、混ざらない。
タケルが腕を広げて通り道を一本にした。
「こっち! 布の道一本! 籠は壁際!」
偉そうなのに助かる。ちょっと偉そうは雨の日に必要。
コトが、取り込んだ布を一旦“数字で”置く場所を作った。
床に、札を三つ並べる。
でかい数字が並ぶ。
それだけで、布が「置いていい場所」に見える。人間はだいたい単純で助かる。
「数字の上に置く」
コトが言う。
「数字?」
おばさんが息を切らしながら聞く。
「数字。干の札の数字」
説明じゃない。指示だ。指示は増やさない。
布がどさどさ運ばれてくる。
運ばれるたびに、レンカの善意が膨らむ。膨らむ善意は、まとめたくなる。
「一つにまとめる!」
「まとめるな」
ユリネが即座に言う。
「えええ」
「まとめると、戻すのが死ぬ」
死ぬは言い過ぎだが、気持ちは分かる。
戻すのが難しくなる。難しいと、泣く。今日は泣かせない係だ。
雨が強くなる。
布が増える。
札が揺れる。
揺れた札が、ひとつ、ふっと外れて地面に落ちた。
ひらり。
落ちた札。
角丸。穴ひとつ。
でかい数字。下に一語。
干。
「……札、落ちた」
シノがぼそりと言った。
ぼそりが、全員の背中を一瞬で固める。
固まるのは悪じゃない。拾うために固まる。
レンカが飛びつきそうになった。
「拾う!」
「拾うな」
ユリネが即座に言った。
「えっ」
「持ち主が拾え」
持ち主。
今、それが分からない。
分からないときに拾うと、取り違えが確定する。
確定は避ける。未遂で終わらせる。
ユリネが、札を見下ろしたまま言った。
「……数字」
コトが札を覗き込む。
タケルも覗き込む。
おばさんも覗き込む。
覗き込む手は出ない。足も出ない。偉い。
「これ、うちの数字じゃない」
おばさんが言った。
言った瞬間、レンカが自分の干札の数字を見る。
違う。
コトも違う。
タケルも違う。
ハルも違う。
「……じゃあ、これ、誰」
レンカが小声で言った。
小声で言えるのが偉い。大声にすると雨が増える。雨はもう増えてるけど。
ユリネは淡々と、柱から別の札を外した。
たた。
「干は続ける。たたは今、置け」
短い指示。
短いのに、空気が割れて、動ける。
コトが、落ちた干札を“数字の上”に置いた。
布じゃない。札だけ。
札だけが先に置かれると、布が後から迷わない。
「この数字の布が来たら、ここへ」
コトが言う。
「来たら?」
「来る」
ユリネが即答した。
断定は危ないが、これは断定していい。札は必ず戻る。戻らないと生活が回らない。
そして、来た。
雨の中、通り道の端から、近所の子が布を抱えて走ってきた。
走るなと言いたいが、今日は雨だ。許す。
「これ、落ちてた!」
子が差し出した布の端に、穴の位置が同じ札が付いていた。
でかい数字。下に一語。
干。
落ちてた札の数字と一致した。
「……ここ」
コトが、地面に置いた札の上を指さす。
子がそこへ布をそっと置く。
そっと置けるのが強い。雨の中でそっとができると、だいたい一生役に立つ。
おばさんが息を吐いた。
「助かったぁ……うちのだった」
未遂。
取り違え未遂。
数字だけで止めた。説明なしで止めた。勝ちだ。
雨が止み始めた頃には、庭の布が全部中に入っていた。
床に並んだ数字の札の上に、布がそれぞれ積まれている。
積まれているのに、混ざってない。
混ざってないと、胸が軽い。
レンカが布の山を見て、目を輝かせた。
「たたむ!」
「たたむのは一山ずつ」
ユリネが言う。
「一山ずつ!」
レンカが復唱して、自分の手を一回ぎゅっと握った。増やさないための握り。いい。
タケルは布を運ぶ役をやめて、道の水を拭いた。
拭くと滑らない。滑らないと泣かない。今日は泣かせない係だ。
ハルは黙って、布の端を揃える。
揃え方が几帳面で、見ていると心が落ち着く。
シノは、たたまれていく布の山を見て、ぼそり。
「……きれいに戻る」
誰も拾わない。
拾うと、褒めが増える。褒めが増えると、善意が膨らむ。膨らむと、また手伝うが増える。今日は増やさない。
おばさんが帰り支度をしながら笑った。
「札、いいねぇ。数字がでかいのが、いい」
「でかいのは、見落とさないため」
ユリネが事実だけ返す。
「見落とさないと、混ざらない」
コトが続ける。
「混ざらないと、泣かない」
レンカが言って、最後に自分で口を押さえた。
泣かないを言えるのが偉い。泣かないは、生活の勝利条件だ。
布が全部戻る。
札も全部戻る。
柱に、洗/干/たた が順番に掛かって、最後に飯が残る。
残る飯は、今日も逃げない顔をしている。
ユリネが、鍋の前で一息だけ吐いた。
「……よし」
レンカが湯気のない鍋を覗き込みながら言う。
「今日、取り違え、しなかった!」
「未遂で止めた」
タケルが真顔で言って、ユリネが即座に刺す。
「未遂って言うな」
「……推測で未遂」
「推測の使い方が雑だ」
コトが笑って、みんなが笑った。
笑えるなら勝ちだ。
勝てるなら、飯だ。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」
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