落とし物が増える
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
朝市は、足音が多い。
足音が多い日は、落とし物も多い。
多いのは悪じゃない。多いのは……回し方が要る。
「今日は、落ちる日だ」
タケルが真顔で言った。
「断定するな」
ユリネが即座に刺す。
「……推測で、落ちる日っぽい」
「推測の使い方が雑だ」
コトが笑って、レンカが笑って、笑ったぶんだけ人の流れが増えた。
増えた流れは、朝市の角で曲がる。
曲がるところに、だいたい落ちる。
曲がると肩が当たる。肩が当たると手が離れる。手が離れると、落ちる。
最初に落ちたのは、銅貨だった。
かちん。
音が軽い。軽い音ほど、焦る。
「あっ!」
声が上がる。
声が上がると、足が止まる。
足が止まると、後ろが詰まる。
詰まると、また肩が当たる。
当たると、また落ちる。
「拾う!」
レンカが言いかけた。
「拾うな」
ユリネが即座に言った。
「えええ」
「今、手が増えると、足が増える」
「でも落ちた!」
「落とした本人が拾え」
落とした本人は、前の人だ。
前の人は気づいていない。
気づいていない人に声をかけると、また止まる。止まると詰まる。詰まると落ちる。無限。
コトが一歩だけ前へ出た。
一歩だけ。大事。
「すみません、落ちました」
声は小さい。小さい声は、朝市で強い。
前の人が振り向き、足元を見て、顔が青くなった。
「うわ、ごめん! 今の私だ!」
「拾える?」
「拾える拾える!」
本人がしゃがむ。
本人が拾う。
拾ったら終わり。
終わりがあると、また流れが動く。
動いた途端、次が落ちた。
布の包み。
結び目がほどけて、端がひらっと舞った。
舞う布は、拾いたくなる。拾いたいのが善意だ。善意は今日、危ない。
「拾う!」
「拾うな」
ユリネの反射が早い。早さが生活向き。
布の包みは、舞って、舞って、誰かの足元に引っかかった。
引っかかると、止まる。止まると詰まる。詰まると、また落ちる。
「……道」
ハルがぽつりと言った。
道が消えそうな顔だ。
ハルの「道」は、大体当たる。
「道を作れ」
ユリネが短く言った。
「俺、道」
タケルが腕を広げて、人の流れを一本にした。
走らない。押さない。声を増やさない。腕だけで線を引く。
線が引かれると、布が拾える。
拾うのは誰か。
持ち主が分からないと、拾うな。
ここで、シノが小さく息を吸った。
「……あれ」
視線の先。布の包みの端に、目印みたいな縫い取りがある。
シノは「自分のじゃない」を見分けるのが早い。
「うちじゃない」
シノが小さく言った。
「うん、うちじゃないね」
コトが頷く。頷きで終わらせる。説明しない。増えない。
布の包みの持ち主は、少し先で立ち尽くしていた。
手が空っぽになって、顔だけ焦っている。
焦っていると、また落とす顔をする。
「……あの人」
コトが指差さず、顎だけで示した。
顎だけは、朝市の礼儀だ。
ユリネが言った。
「持ち主、呼べ。声は一回」
短い指示は、増えない。
「すみません! 包み!」
タケルが一回だけ声を出した。
持ち主が振り向いて、顔が救われる。
救われた顔は、周りを見ない。周りを見ないと詰まらない。偉い。
包みが戻る。
戻った瞬間、朝市が「回る」顔になる。
回る顔になったところで、レンカが小さく呟いた。
「……落とし物、今日、多い」
「多い日は、置き場が先に死ぬ」
ユリネが淡々と言った。
「置き場……」
レンカの目がきらっとした。置き場を“作る”目だ。危ない。
朝市は、買い物だけじゃない。
試食がある。匂いがある。声がある。おまけがある。
そして、おまけがある日は、袋が増える。袋が増えると、手が足りない。手が足りないと落ちる。
次に落ちたのは、小さな木の匙だった。
試食の匙。口に入れる前に落ちた。落ちた匙は、拾いたくない。拾いたくないのに、踏まれたら嫌だ。
「踏む!」
レンカが叫びかけた。
「叫ぶな」
ユリネが刺す。
「踏まれそう!」
「踏まれない場所へ、置け」
置け。
置け、が出ると、空気が変わる。
置く場所が要る。置く場所がないから、今まで拾うが増えた。
コトが、朝市の角の“欠けた石”を見た。
欠けは今日も目印だ。目印があると、そこが「ここ」になる。
「欠けまで」
コトが小さく言った。
「欠けまで?」
レンカが復唱する。復唱は札になる。札になると、動ける。
ちょうど角の屋台の人が、木の小皿を出していた。
釣り銭用の皿だ。
皿は、置くためにある。
「すみません、落とし物、ここに“置いて”いい?」
コトが訊いた。訊き方が軽い。軽いと、相手が断りやすい。断りやすいのが、朝市の優しさ。
屋台の人が、状況を一瞬で見て笑った。
「いいよ。欠けの横ね」
欠けが共有された。共有されると、線が一本増える。線が増えるのは、今日は正しい。
木の匙が、皿に置かれた。
置いたら終わり。
終わりがあると、拾うが増えない。
……はずだった。
皿に置いた瞬間、また落ちた。
今度は紐。
紐は、どこからでも落ちる。紐は絡む。絡むと、拾う人が増える。増えると、また落ちる。
「拾う!」
「拾うな」
ユリネが今日だけで何回言うんだ、という顔をした。
顔だけ。声は増やさない。偉い。
落としたのは、ミナギだった。
いつの間にか居る。元気。手が多い。手が多いのに落とす。才能が逆。
「やべ、俺の!」
「本人が拾え」
「はい!」
ミナギがしゃがむ。
しゃがんだ瞬間、背中の袋がずるっとずれる。
ずれると落ちる。落ちると増える。今日の無限。
袋から、乾いた果実が一粒、ころん。
ころん、は拾いたくなる音だ。
音が鳴ると、レンカの指が動く。動くな。
「……見る」
コトがレンカの手首を軽く押さえた。
押さえ方が優しい。優しい押さえは、止まれる。
「落ちたら、皿」
コトが言う。
「皿」
レンカが復唱する。
復唱が増えると、手順になる。手順になると、朝市が回る。
ころんと転げた果実は、ミナギが拾った。
拾ったら、皿へ置いた。
置いたら、後で戻る。
戻るが約束されると、人は今を慌てない。慌てないと落ちない。たぶん。
たぶん、は危ないが、今日はそれでいく。
皿の上に、物が増えていく。
銅貨。木の匙。紐。小さな飾り。たぶん髪留め。
そして、なぜか片方だけの手袋。
「片方だけ、って悲しいね」
タケルが真顔で言った。
「悲しくするな」
ユリネが刺す。
「でも片方だけって、片方がどこかで泣いてる」
「泣かせない係はここだ」
レンカが胸を張って言い、また落としそうな動きになる。落とすな。
その時、皿の前で立ち止まったおじさんが、手袋を見て首を傾げた。
「……あれ、これ、俺のじゃない?」
言い方が半分疑いだ。
疑いは、やさしく扱わないと刺さる。刺さると、朝市が荒れる。荒れないでほしい。
コトがにこっとして言った。
「落とし物、ここ。欠けまで。見て、違ったら置いて終わり」
終わり、が入ってる。強い。
おじさんが手袋を手に取って、反対の手を見た。
反対の手に、ちゃんと片方があった。
「……俺じゃなかった」
言って、そっと戻した。
そっと戻せると、場が柔らかい。朝市が、いい朝市の顔をする。
「箱があればなぁ」
おじさんが、ぽろっと言った。
ぽろっと言ったのに、みんなの背中が同時に頷く。
「箱……」
レンカが小さく言った。
言い方が「作る」だ。危ない。
「作るな」
ユリネが即座に言った。
「えっ」
「欲しい、で止めろ」
ユリネの声は短い。短いのに、レンカの手が止まる。止まれるのが偉い。
「……箱、欲しい」
レンカが言い直した。
言い直せるなら勝ち。
欲しいで止められるのは、未来の事故を減らす。
皿は便利だ。
便利だから、皿がいっぱいになる。
いっぱいになると、皿が揺れる。
揺れると、また落ちる。
落ちると、拾うが増える。無限が戻ってくる。
「皿、二枚」
ハルがぽつりと言った。
提案が少ないのに、刺さる。
ハルの提案は、だいたい現実に勝つ。
「二枚は一枚」
タケルが真顔で言って、コトが吹き出した。
「違う」
ユリネが即座に刺す。
「でも心は一枚」
「心で皿は増えない」
ユリネの正論で、みんなが笑った。笑いがあると、二枚が許される。
屋台の人が、もう一枚小皿を出してくれた。
「こっちは銅貨だけね。こっちは布だけ」
分ける。
分けると、戻すが早い。戻すが早いと、詰まらない。詰まらないと、落ちない。たぶん。
分けた結果、ほんとに戻り始めた。
銅貨を探してた人が来て、皿から取って、礼を言って終わる。
匙の持ち主が来て、皿から取って、礼を言って終わる。
終わる、が連続すると、朝市が軽い。
ところが、最後に残ったのが、髪留めだった。
小さい。目立たない。きれい。
きれいなものは、落ちると見つからない。
見つからないと泣く。今日は泣かせない係だ。
レンカがじっと髪留めを見て、唇を噛んだ。
「これ、落とした人、困るやつだ」
「困るのは分かる」
ユリネが言う。
「分かる、で終わるな」
コトが笑って言った。
「終わらせるなら、順番」
「順番」
レンカが復唱する。復唱は札になる。
ユリネが屋台の人にだけ、短く言った。
「閉める時、これ、預ける」
「いいよ。明日も出るから」
「明日」
その一語で、レンカの肩が落ちた。
今日解決しなくてもいいことが、世の中にはある。
今日解決しようとすると、だいたい増える。増えると落ちる。
結び家は、朝市の買い物をして帰った。
今日は買いすぎない。今日は落とさない。
両方は無理だが、片方は守る。片方守れたら勝ちだ。
帰り道、ミナギがぽつりと言った。
「でもさ、箱、欲しいよな」
「欲しいで止めろ」
ユリネが言う。
「……欲しい」
ミナギが言い直して、苦笑いした。
言い直せるなら勝ち。雑でも勝ち。
結び家の戸を開けると、台所の匂いが待っていた。
匂いがあると、朝市の喧騒が体から抜ける。
抜けると、手が落ち着く。落ち着くと、落とし物が減る。たぶん。
コトが籠を置いて言った。
「今日は、皿で回した。箱は、欲しいで止めた」
「止めたのが偉い」
タケルが真顔で言った。
「褒めるな」
ユリネが刺す。
「でも褒めないと、次、止まれない」
タケルが引かない。
「……褒めるのは一回」
ユリネが言った。
「一回!」
レンカが元気に復唱して、自分で口を押さえた。増やさない努力。えらい。
ハルが小さく息を吐く。
「……今日は、落ちても戻った」
シノがぼそり。
「……きれいだった」
髪留めのことだろう。
誰も追いかけない。追いかけるとまた落ちる。今日は終わりにする。
鍋が鳴り始めた。
朝市は終わって、生活が始まる。
生活が始まるなら、勝ちだ。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」
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