欠けまでが増えそう
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
井戸の朝は、音が先だ。
ぎい。きゅ。ぽちゃん。
それが揃うと、胸が勝手に「回る」に落ち着く。
今日は揃っていた。揃ってるって言うな。胸の中で揃ってる。
揃ってるのに、別のものが揃いすぎて危ない。
「……木片、増えてる」
ハルが小さく言った。
「言うな」
ユリネが即座に刺す。
「……胸の中で増えてる」
「胸の中なら勝手にしろ」
水場に着くと、欠け桶はちゃんと井戸の横に座っている。
その縁に、昨日みたいに小さい木片が一枚。洗濯ばさみで挟まっている。
欠けまで。
短い。いい。
……だけじゃなかった。
井戸の支柱に、別の木片。
ここまで。
さらに、別の人の桶の取っ手に、布の切れ端。
みず、ここ。
そして極めつけに、子どもが持っている木片。
おおめ。
「おおめって言うな」
ユリネが刺した。
「えっ、でも多めに入れたら足りるじゃん!」
「足りるって言うな」
「……胸の中で足りる!」
「胸の中でも増やすな」
当番の人が、眉をひそめた。
昨日の当番だ。今日はちゃんと欠け桶を置いている。置いているのに、目が泳ぐ。
泳ぐ目は、また見落とす。見落とすのは水じゃない。言葉だ。
「……これ、どれが正しいの」
当番の人がぽつりと言った。
正しい。
危ない単語。
正しいは、秤を呼ぶ。秤は揉める。揉めると井戸が井戸じゃなくなる。
「正しいにするな」
ユリネが短く言った。
短いから刺さらない。刺さらないのに、当番の口が止まる。止まれるなら勝ち。
でも止まったところへ、善意が滑り込む。
「昨日の“欠けまで”良かったから、みんなで作ってきた!」
近所のおばさんが、笑顔で木片の束を出した。
束。
束は便利に見える。便利は増える入口。
ミナギが目を輝かせた。輝くな。
「うわ、配れるやつだ!」
「配るな」
ユリネが刺す。
「えっ、でもみんな助かるし」
「助かるって言うな」
「……胸の中で助かる」
「胸の中なら勝手にしろ」
コトが、木片の束を見て、笑顔のまま首を傾げた。
「言葉が増えると、目が迷うかも」
「迷うって言うな」
ユリネが反射で刺して、すぐ言い直す。
「……迷わせるな」
すでに迷いは起きていた。
ここまで、を見て桶を満たす人。
欠けまで、を見て止める人。
おおめ、で溢れそうになる子ども。
違う線が並ぶと、人は勝手に比べる。比べると「自分が損した気がする」が芽を出す。
「え、私の桶、少なくない?」
誰かが言いかけた。
少ない、は足りないを呼ぶ。足りないは公平を呼ぶ。公平は秤を呼ぶ。
やめろ、増える階段を登るな。
「言うな」
ユリネが短く切った。
短いから喧嘩にならない。喧嘩にならないと、井戸の音が死なない。死ぬって言うな。止まる。
タケルが真顔で一歩だけ前へ出た。
足元を指で示す。指先だけ。増えない合図。
「見るのは一個」
「一個?」
「欠け」
タケルは欠け桶の縁を、ちょん、と叩いた。
コン。
小さい音。呼び笛にならない。
「欠けが一つあるなら、言葉はいらない」
言い方が真顔で怖いのに、刺さらない。生活の怖さだ。
「でも、木片あると分かりやすいよ?」
おばさんが困り顔になる。困りは刺さる。刺さると善意が走る。
レンカの肩が上がりかけた。泣かせない係が走る肩だ。止まれ。
レンカは息を吸って止めて、言い直した。
「……分かりやすい、は増える入口」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で、入口」
「胸の中なら勝手にしろ」
当番の人が、木片の束を見て、欠け桶を見て、また木片を見る。
目が迷う。迷うって言うな。胸の中で迷う。
迷っている当番は、当番として一番つらい。つらいと声が大きくなる。大きい声は増える。
コトが一歩だけ近づいて、当番の人の手元を見た。
当番の手元には洗濯ばさみがある。
ばさみは、境目を作るやつだ。昨日、干し場で効いたやつ。
「木片、使うなら“一枚だけ”。当番が挟む」
「一枚だけ」
ハルが小さく復唱した。復唱は作法になる。
おばさんが言い返しかける。
「でも、みんなの桶に付けたら」
「付けるな」
ユリネが即答。
「えええ」
「付けると、違う言葉が増える」
「増えると守れない」
タケルが真顔で続けた。
「守れないと、揉める」
真顔の列挙は怖い。怖いけど想像できる怖さは止まる。
子どもが小さく手を上げた。
「じゃあぼくの“おおめ”は?」
「捨てろ」
ユリネが言って、強すぎるからすぐ直す。
「……外せ」
「外す!」
子どもが復唱して、自分で木片を外した。外せるなら勝ち。
外した木片はポケットに入れる。増やさない場所へしまう。偉い。
当番の人が、木片の束から一枚だけ選んだ。
字はこれ。欠けまで。
他の言葉は選ばない。選ばないのが一番大事。
当番の人は、それを欠け桶の縁に挟み直した。
そして、残りの木片の束を、おばさんに返した。
「ありがとう。でも、今日は一枚で回したい」
言い方が柔らかい。柔らかいのに線がある。線があると、場が落ち着く。
おばさんが口を尖らせかけて、笑った。
「はいはい。じゃあ束は、胸の中にしまっとく」
「胸の中なら勝手にしろ」
ユリネがいつもの調子で返して、周りが少し笑った。刺さらない笑いは、井戸の水面に落ちる。
井戸の音が戻る。
ぎい。
きゅ。
ぽちゃん。
欠けまで。
止まる。
こぼれない。
こぼれないから、拭き手が増えない。
増えないから、当番の目が落ち着く。
落ち着くと、見落としが減る。減ったって言うな。胸の中で減る。
そこへ、朝市の籠を抱えた人が来て言った。
「葉っぱ、ここで洗っていい?」
また来た。
でも今日は、当番が当番の声で返せる。
「今日は汲むだけ」
一語じゃないけど短い。
短いと揉めない。揉めないと井戸が井戸のままだ。
「……わかった」
その人は言い直さずに頷いて去った。頷きは増えない。
ミナギがぽつり。
「木片増えると、欄みたいになるな」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で欄」
「胸の中でも言うな」
ミナギが口を尖らせたまま、欠け桶を見て黙った。黙れるなら勝ち。
◆(神界・短カット)
申請受付審査室。
チヨが机に突っ伏して、顔だけ上げた。
「……地上、木片を増やしそうになって止めたんですぅ……」
「良い」
ナギが淡々。
「こっちは止まらないのに……」
「止めろ」
廊下からマドカ。
チヨが小さく言い直す。
「……胸の中で止めたい」
「胸の中なら勝手にしろ」
三人が同じことを言って、なぜか静かに笑った。刺さらない笑いは、職員室にも効く。
◆
昼前、当番の人は欠け桶の木片を外した。
外して、ポケットに入れた。
当番が終わったら外す。
外せる仕組みは、増やさない仕組みだ。
「……外すの、えらい」
レンカが言いかけて、口を押さえた。
「褒めるな。増える」
ユリネが刺す。
「……胸の中で褒める」
「胸の中なら勝手にしろ」
帰り道、レンカが欠け桶を振り返って小さく言った。
「言葉は一枚。あとは欠け」
「言うな」
「……胸の中で一枚」
「胸の中なら勝手にしろ」
家に戻ると、汲んだ水が鍋に入る。
野菜が入る。豆が入る。
ぐつ、ぐつ。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「今日、木片を増やさなかったな」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で増やさない」
「胸の中なら勝手にしろ」
ハルが小さく頷く。
「……見えるのは欠けで足りた」
シノがぼそり。
「……手、増えなかった」
コトが笑う。
「増やさないの、上手になってるね」
「言うな」
「……胸の中で上手」
コトが言い直して、刺さらない笑いが湯気に混ざった。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」
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