夏休み② 宿題は言わない
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
学校の片隅に置かれた「応援ポスト」。 HELP(困ってる)とTHANKS(助かった)を、誰でも匿名で入れられる。 返事も誰でも書ける。極稀に先生も書く。ただし、ひとつだけルールがある。 “追伸だけは必ず書くこと。” 中学も、高校も、大学も。 頑張り方に迷う誰かの紙に、知らない誰かの言葉が届く。 励ましじゃなくて、明日を軽くする「やり方」が、追伸に残る。 学園青春×短編連作 匿名お悩み相談(手紙) じんわり回復+時々クスッ 更新:週1は守ります。基本14時に届きます。たまに増えます。
本文
中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。
どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。
返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。
共通しているのはひとつだけ。
“追伸だけは必ず。”
夏休みの宿題だけ、言った瞬間に量が増えることがある。
紙の枚数が増えるわけじゃない。
ワークのページ数が伸びるわけでも、読書感想文の字数が勝手に上乗せされるわけでもない。
でも、誰かに「どこまでやった?」と聞かれて、自分もつい「まだ半分」とか「全然」とか「あと理科が」とか答えた瞬間だけ、宿題は机の上の量以上の顔をし始める。
比べるつもりなんて、最初はたいていない。
ないのに、ページ数とか冊数とか“あとどれくらい”の言い方をした途端、宿題は急に重くなる。
夏休みの宿題って、たぶん終わっていない量そのものより、口に出した時の広がり方の方がずっと厄介だ。
応援ポストは、開いている図書室の前の掲示板の横に置かれていた。
八月の予定。開室日。部活。補習。返却の締切。終業式の頃より紙は少ないのに、来ている子の鞄だけはやけにふくらんで見える。
ワーク、単語帳、ノート、感想文用の本。
持ってきているだけなのか、ちゃんとやるつもりなのかは、外から見ると分からない。
でも夏休みの学校にいると、そういう曖昧さがすぐ話題になる。
「今日何やる?」
「どこまで進んだ?」
「もう終わった?」
軽い顔で飛ぶ言葉が、今日は妙に机の上をのぞきこんでくる。
「今日の図書室、ページ数が歩いてる」
横から札の子が言った。
もう腕章も札もない。ただの在校生の顔で立っているのに、こういう日の言い方だけは相変わらず現場寄りだ。
「分かる」
私は頷く。
「誰も冊子を振り回してるわけじゃないのに、“何ページやった”が空気に混ざってる」
「しかも、聞く方はだいたい悪気ゼロ」
「そこが強い」
「うん。“どこまで?”って、挨拶みたいに飛ぶ」
その言い方が妙にぴったりで、私は少し笑った。
「去年のあなた?」
「去年の私」
「何したの」
「“英語まだ三十ページ”って言って、その瞬間に残りが四倍の顔して死んだ」
「現場比喩?」
「現場比喩」
でも、すごく分かる。
宿題って、一人で見ている時はまだ“今日やる分”の顔をしてくれる。
でもページ数でしゃべった瞬間だけ、夏休み全体の顔をする。
そしてその顔はだいたい、少しでかすぎる。
私は箱の蓋を開けた。
白い紙が一枚。折り目はきれいなのに、最初の二行だけ少しだけ強かった。
【HELP】
夏休みの宿題のことを言うのが苦手です。
図書室や開室日に来ると、「どこまでやった?」と軽く聞かれることがあります。
でも、ページ数や冊数を答えると、その瞬間に宿題がすごく増えた感じがします。
終わっていないことを言いたくないわけじゃないけど、量の話にしたくないです。
今日、新入生に「宿題って何を言えば言わないで済みますか」と聞かれて答えられませんでした。
夏休みの宿題は、どこから返せば重くなりませんか。
(高2)
追伸:宿題を隠したいんじゃなくて、宿題の総量を口に出したくないです。
「来たね」
札の子が肩越しに読んで、少しだけ真顔になる。
「今日のやつ」
「今日のやつだね」
宿題をやってるかどうかじゃない。
宿題の話をどこまで言うかだ。
そこがすごく夏休みらしいと思った。
夏休みの宿題って、終わってる人と終わってない人がいる、というより、それぞれが違う単位で抱えているものだ。
冊数、ページ数、教科数、感想文、自由研究。
単位が違うのに、会話になるとすぐ“どこまで”で一列にされる。
その一列の作られ方が、たぶん苦しい。
図書室の前では、机に向かっている子たちが何人かいる。
ひとりはワーク一冊だけ。ひとりは英語と数学を両方広げている。ひとりは感想文用の本を開いているのに、ペンはまだ動いていない。
やっていることは全然ちがう。
なのに「宿題」という言葉でまとめた瞬間だけ、なぜか全部同じ顔になる。
夏休みの困りごとって、たぶんそこにもある。
「宿題の話って、“今日何する”と“どこまでやった”がごっちゃになるよね」
私が言うと、札の子はすぐ頷いた。
「分かる。“今日は英語”で済ませたいのに、すぐ“全部であと何ページ”になる」
「そこまで聞かれてないのにね」
「なのに自分で言い始める」
「それも去年のあなた?」
「去年の私」
少し笑う。
でも、笑いながら本当にそうだと思う。
ページ数や冊数って、数字だから正確そうに見える。
けれど正確な数字ほど、夏休みの宿題には重い。
今日の自分が持っている量じゃなく、残り全部を連れてきてしまうからだ。
最初の返事は、昼休みの終わりに来た。
小さめの字。角ばっていて、必要なことしか置いていかない字だった。
【返事】
高2へ
宿題の返しは、
「今日」
「一冊」
「ここ」
で返すと少し軽いです。
今日=今日は何をやるか
一冊=今開いているもの
ここ=今見ているページや一問
です。
夏休みの宿題は総量で話すと急に大きくなるので、
今の机の上だけで返す方が静かです。
(高3)
追伸:宿題は、残り全部より“今ここ”の方が言いやすいです。
「今日、一冊、ここ」
私は声に出して読んだ。
「いい」
札の子もすぐ頷く。
「“あと何ページ”じゃなくて、“今日は英語”とか“今ここ”なんだ」
「うん。総量じゃなくて机の上で返す」
たしかにそうだ。
夏休みの宿題って、つい“残り”で話したくなる。
でも残りって、今の自分よりでかい。
机の上、一冊、ここ。そのくらいなら、まだ自分の手の中にある。
二枚目の返事は、丸い字だった。行間が広くて、読んでいるこっちの肩が少し下がる。
【返事】
「どこまでやった?」に対しては、
進捗ではなく窓口で返すのもありだと思います。
「今から英語」
「午前は理科」
「今日は感想文を開く」
みたいに。
終わった量より、
今どこから入るかを言う方が、会話が比較になりにくいです。
(大1)
追伸:夏休みの宿題は、進み具合より入り口で返す方が軽いです。
「窓口か」
札の子がそこで言った。
「大学っぽい」
「もう反射だね」
「でも今日も当たってる」
少し悔しいけれど、その通りだった。
宿題の会話が重くなるのって、比較が始まるからだ。
でも“今から英語”なら比較になりにくい。
まだ始めていなくても、いま自分が立っている入口の話だからだ。
三枚目は短かった。
【返事】
ページ数を言わない。
比べが始まります。
(中3)
追伸:夏休みの宿題は、数字にした瞬間にクラス全体の顔になります。
「つよ」
私と札の子が同時に言った。
数字にした瞬間にクラス全体の顔になる。
その一行が、今日の図書室にはすごく似合っていた。
英語三十ページ、理科まだ半分、感想文一枚目。
数字や単位で言うと、自分の机の話だったはずのものが急にクラス全体の比較になる。
それがいちばんいやなのだと思う。
四枚目は少し遅れて来た。
字は小さいけれど、最後だけ少しやわらかい。
【返事】
新入生に聞かれたなら、
「宿題を言わない」じゃなくて
「宿題の総量を言わない」
で考えていい、
も伝えていいと思います。
「やってる」
「今日はこれ」
「今はここ」
そのくらいなら、隠している感じも少ないです。
(高3)
追伸:夏休みの宿題は、全部を公開しなくても、今やっている一枚だけ見せれば十分です。
「総量を言わない、か」
札の子が小さく言った。
「それもいい」
「うん。宿題の話そのものをやめるんじゃなくて、全部にしない」
「そこならかなり違う」
ほんとうにそうだと思う。
“言わない”にすると、急に秘密っぽくなる。
でも“総量を言わない”なら、会話は続けられる。
しかも、自分の机の大きさのままで。
掲示板の横には、今日も紙一枚ぶんの余白がある。
開室日のお知らせが少し端へ寄っていて、その前に細い幅が残っている。
夏休みの宿題にも、たぶんあれと同じものがいる。
全部を話さないための余白。
一冊ぶん、一行ぶん、今ここぶんだけを置いておける幅。
その時、短い負けが来た。
新しい制服の子が一人、図書室の入口の手前で止まっていた。
高一っぽい。手には英語のワークと、まだ閉じたままの国語の感想文用ノート。両方とも持っているのに、どっちもまだ“今”になっていない顔だ。
そこへ同じクラスらしい子が笑いながら声をかけた。
「宿題どこまでやった?」
出た、と思った。
夏休みの図書室でいちばん返しに困るやつだ。
悪気のない顔。だからこそ、数字に寄りやすい。
「行く?」
札の子が小声で聞く。
「うん」
私は頷いた。
近づきながら、危うくこう言いそうになった。
まだって言えばいいじゃん。
でも今日は、その言い方だと少し足りない気がした。
“まだ”だけだと、空白が大きすぎる。
たぶん今いる入口の方を渡した方がいい。
「宿題、総量の顔してる感じ?」
私はそう聞いた。
新しい制服の子は少し驚いた顔をして、それから小さく頷いた。
「あ、はい」
「なんか……今ここじゃなくて、夏休み全部聞かれてる感じで」
その止まり方がすごく今日らしかった。
まさにそれだと思う。
「今日は何開くか、で返そう」
私は言った。
その子がきょとんとする。
「何開くか」
「うん。どこまで、じゃなくて」
すると札の子が横からすぐ言う。
「今から英語、とか」
それがちょうどよかった。
新しい制服の子は一回だけ息を吐いて、それから聞いてきた子の方を見る。
「今から英語」
そう言う。
短い。
ページ数も、残りも、冊数もない。
でも、それで十分だった。
聞いた子も一瞬きょとんとしてから、「あー、えら」と笑う。
そこで会話が止まる。
かなり助かった、と思った。
でも、ここで終わらないのが夏休みの会話だ。
別の子が横から「感想文は?」と聞いた。
出た、と思った。
一個うまく返せても、宿題の総量はすぐ別の入口から戻ってくる。
私は危うく「今日はそこじゃない」と言いそうになった。
でもそれをやると、会話が急に固くなる。
「それはまだ開いてない」
札の子が先に言った。
短い。
でも、それが今日に一番合っていた。
新しい制服の子も一拍だけ止まって、それから小さく笑う。
「感想文はまだ開いてない」
そのまま返す。
聞いた子も「わかる」と笑う。
それで終わる。
“まだ終わってない”じゃない。“まだ開いてない”だ。
その差がすごく大きかった。
「それでいいんだ」
新しい制服の子が小さく言う。
「うん」
私は答える。
「総量じゃなくて窓口の話で返せばいい」
そう返した時、自分でもすごく今日の話っぽいと思った。
その子は図書室の机に座って、英語のワークだけを開いた。
感想文ノートはまだ閉じたまま、端に置く。
それだけなのに、持っている宿題の総量が少し縮んで見える。
縮んだわけじゃない。ただ、いま机の上にいるのが一冊だけになったからだ。
宿題って、たぶんそういうものだと思う。
全部を抱えている時と、今一冊だけ開いている時では、同じ量でも顔が違う。
ところが、ここでさらに短い負けが来た。
その子がぽつりとこう言ったのだ。
「でも、英語開いてても、後ろで国語が見てる感じする」
やっぱりそこは残る。
閉じていても、閉じている宿題は消えない。
夏休みはそういうところがある。
私は危うく「気にしなくていい」と言いそうになった。
でも今日は、その言葉も少し広すぎる気がした。
「後ろにいるなら、まだ後ろでいい」
私は短く言った。
新しい制服の子が目を上げる。
「え」
「今机の真ん中じゃないなら」
すると札の子が横から足す。
「後ろの宿題は、後ろのままで」
それで十分だった。
全部を前へ出さない。見えていても、今の机の真ん中に置かない。
そのくらいの線で、かなり違う。
新しい制服の子は今度はちゃんと笑った。
「じゃあ、今日は英語だけ前」
「うん」
私は答える。
「それでかなりいい」
そう言うと、その子の背すじが少しだけ伸びた。
宿題の総量が減ったわけじゃない。
でも、いま前にいるものが決まっただけで、人はずいぶん座りやすくなる。
図書室の中では、ページをめくる音がいくつかしている。
全員ちがうものをやっているのに、音だけは少し似ている。
夏休みの学校って、そういう場所だ。
家ではできない“いまここ”が、ここでは作りやすい。
だからこそ、総量の話にしない方がいいのかもしれない。
机の上の一冊だけなら、ちゃんと人の手に乗るから。
夏休みの宿題って、隠したいわけじゃない。
でも全部を言いたいわけでもない。
その中間の言い方を、学校はあまり教えてくれない。
今日の箱がやっていたのは、たぶんそこだ。
言わないんじゃなくて、総量にしない。
今の入口だけで返す。
そのくらいの手順で、宿題はかなり静かになる。
昼休みの終わり、箱の中にTHANKSが一枚入っていた。
折り目は最初のHELPと同じ。真ん中の行だけ少し強い。
【THANKS】
夏休みの宿題は、
言うか隠すかのどちらかだと思っていました。
でも今日、新入生に
「今日」
「一冊」
「ここ」
で返すと少し楽だと伝えました。
その子も、
「どこまでやった?」に「今から英語」、
「感想文は?」に「まだ開いてない」
で返していました。
宿題を隠すんじゃなくて、宿題の総量を前に出しすぎない話だったんですね。
(高2)
追伸:夏休みの宿題に欲しかったのは、全部を説明する言葉じゃなくて、今机の真ん中にある一冊だけをそのまま言える返しの方でした。
読み終わって、私は開室日のお知らせの紙をもう一度見た。
日付も、時間も、返却の注意も、ちゃんと書いてある。
でも、その前で人が本当に困るのはもっと小さいところだ。
宿題が終わっているかじゃなくて、今どの入口に立っているか。
それが分かるだけで、夏休みの机はずいぶんやさしく見える。
たぶん、八月の最初に必要なのはそういう切り分けなのだと思う。
「じゃあ」
札の子が、わざと少し改まった顔で言う。
「夏休み二話目の結論は」
「宿題は言わないんじゃなくて、総量にしない」
私が返す。
「語呂は弱い」
「でも意味は強い」
「うん、今日はそれ」
そこで二人で少し笑った。
笑って戻れるなら、夏休みの二話目としてはたぶん十分だ。
夏休みの宿題って、たぶん誰にとっても少しだけ全体で見えすぎる。
冊数も、ページ数も、感想文も、まだ手をつけてないものも、全部を一度に持たされやすい。
でも、今日は英語、今ここ、まだ開いてない。
そのくらいの返しなら、宿題はちゃんと今の机の大きさに戻る。
夏休みに要るのは、全部を語る正直さじゃない。
一冊ぶんだけ、自分の手の中で言える小さい言葉の方なのだと思う。
追伸:夏休みの宿題は、全部を言わなくてもよかったんです。今日の一冊、今ここ、まだ開いてない。そのくらいの言葉で、机の上の宿題はちゃんと人の大きさに戻ってくれました。
頑張る人ほど、追伸に救われる。
追伸は週1以上、基本は14時更新