任せるという選択
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
「刻印盤」と呼ばれる装置が、処置や運用の“条件”を可視化し、制度として人々の判断を支えている世界。けれど現場では、盤そのものよりも「最後に目が向く先」が決まってしまっていた。刻印を使うか否かの結論は、いつも桐生さんの一言で落ち、理由は求められない。便利さは安心を生み、やがて「次も同じ扱いで?」が口癖になって前例が積み重なっていく。 その空気の変化を、リーナは最初の違和感として掴む。前例は迷いを減らす一方で、過程を薄くし、残るのは「名前と結果」だけになる。判断は制度ではなく人に貼られたラベルとなり、「座っている人」が責を背負う構図が固まっていく。そんな中で席の移譲が始まり、リーナ自身も“任される側”へ。失敗が起きた時、隠して無難に済ませることもできたが、彼女は「失敗も含めて残す」と宣言し、判断の手触りを取り戻そうとする。 やがて刻印盤は、決めてくれる道具ではなく「考える起点」として残される。盤が示すのは条件だけ。選ぶのは人。リーナとフィオは、その当たり前を“当たり前にし直す”ために、今日も席に座り続ける。
本文
任せる、という言葉が増えた。
「この件は、そちらで判断を」
そう言われること自体は、珍しくない。
でも最近は、その後に続く言葉が変わってきている。
「前と同じで、大丈夫ですよね」
確認というより、同意を求める調子。
私はその言い方に、少しだけ引っかかった。
前、というのはいつの前だろう。
昨日か、一週間前か。
それとも、もっと前の、最初の判断か。
「問題ないと思います」
そう答える自分の声が、思ったより落ち着いていて、少しだけ驚いた。
否定する理由は、確かにない。
条件は揃っている。
結果も出ている。
桐生さんの判断が、すでに前例として機能している。
「じゃあ、その前提で進めますね」
相手は安心したように頷き、話を先に進めた。
私は、その様子を横で見ながら、胸の奥に小さな違和感を溜めていた。
任せられること自体は、悪くない。
信頼されている、という感覚もある。
でも。
「……それって」
会議が終わった後、私は小さく呟いた。
隣で資料をまとめていたフィオが、顔を上げる。
「何ですか?」
「“任せる”ってさ」
言葉を選ぶ。
「責任も一緒に渡してる、ってことだよね」
フィオは、すぐには答えなかった。
考えてから、慎重に口を開く。
「……はい」
「全部?」
「少なくとも、判断に関しては」
私は息を吐いた。
「そっか」
軽く言ったつもりだった。
でも、その言葉は思ったより重く落ちた。
刻印盤の前に立つ人の数が、減っている。
盤を見るのは、必要な時だけ。
その代わり、人を見る時間が増えた。
誰が言うか。
誰が決めるか。
誰が引き受けるか。
「リーナさん」
フィオが、少し遠慮がちに声をかける。
「判断が、早いのは……いいことだと思います」
私は彼女を見る。
「現場は、助かってます」
その言葉に、嘘はない。
それが分かるから、余計に返す言葉を失う。
「でも」
フィオは、言葉を探すように続けた。
「もし間違えたら……」
「間違えたら?」
「……誰が、謝るんでしょう」
私は、答えなかった。
答えられなかった、のかもしれない。
桐生さんは、その日も何も言わなかった。
任せられても、受け取られても、動かない。
それが正しいと、私はまだ思っている。
思っている、はずなのに。
――任せる、という選択は、
受け取る、という選択でもある。
その重さを、私はまだ、ちゃんと量れていなかった。
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