敬老の日、電話しない
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
学校の片隅に置かれた「応援ポスト」。 HELP(困ってる)とTHANKS(助かった)を、誰でも匿名で入れられる。 返事も誰でも書ける。極稀に先生も書く。ただし、ひとつだけルールがある。 “追伸だけは必ず書くこと。” 中学も、高校も、大学も。 頑張り方に迷う誰かの紙に、知らない誰かの言葉が届く。 励ましじゃなくて、明日を軽くする「やり方」が、追伸に残る。 学園青春×短編連作 匿名お悩み相談(手紙) じんわり回復+時々クスッ 更新:週1は守ります。基本14時に届きます。たまに増えます。
本文
中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。
どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。
返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。
共通しているのはひとつだけ。
“追伸だけは必ず。”
敬老の日の朝は、学校が休みなのに、廊下の掲示板だけが少し働いていた。
休みの日の校舎は、本当に人が少ない。部活の足音と、自販機の小さい唸りと、どこかの窓が風で鳴る音だけがある。なのに、応援ポストの前には紙が二枚貼られていた。
休日なのに誰かが来た。
来たくなるくらい、何かが引っかかった。
最初のHELPは、端が少しだけ折れていた。ポケットに入れて持ってきた紙だと思う。角が丸くなっていて、字も少し眠そうだった。
【HELP】
敬老の日だから、おばあちゃんに電話した方がいいのは分かってる。
でも電話が苦手。
何を話せばいいか分からなくて、結局しない。
優しくない気がしてしんどい。
もう一枚は、字がきっちりしていた。きっちりしているのに、最後の行だけ筆圧が弱い。
【HELP】
家族に「電話くらいしなよ」と言われる。
くらい、が重い。
電話しないと冷たい人みたいになるのが嫌。
でも、電話の前に一時間くらい固まる。
敬老の日。
祝日名は、やわらかそうに見える。けれど、やわらかい名前ほど、内側に小さい義務を隠していることがある。
感謝しましょう。
連絡しましょう。
優しくしましょう。
正しい。正しいから、逃げ場が細くなる。
ポストの横に立っていた子が、スマホを持ったまま画面を消した。消した画面に、自分の顔が薄く映る。眠そうで、困っていて、少しだけ悪いことをした顔。
「電話って、始めるまでが長い」
誰かが言った。
「分かる。鳴ってる間に逃げたくなる」
「鳴らす前に逃げてる」
「それはもう忍者」
「電話忍者、弱そう」
笑いが小さく起きた。小さいけど、休日の廊下では十分だった。笑えると、罪悪感が少しだけ椅子に座る。立ったままだと大きく見えるものも、座ると少し小さくなる。
最初の返事は、太い字だった。結論が早い。
【返事】
電話しない日があっていい。
代わりに「一行だけ残す」をやる。
・天気の写真
・今日食べたもの
・また今度話す、の一文
追伸:電話だけが優しさの窓じゃない。
電話だけが優しさの窓じゃない。
その言葉で、スマホを握っていた手が少し緩んだ。窓なら、開け方は一つじゃない。全部開けなくても、少しだけ空気を通せる。
次の返事は、丸い字だった。行間が広い。読む側の息も広がる。
【返事】
話すことがないなら、話題を作ってから電話しない。
先にメモを三つ。
①最近の天気
②食べたもの
③今度聞きたいこと
電話できたら使う。
できなかったら、その三つをメッセージで送る。
追伸:準備した話題は、電話しなくても無駄にならない。
準備が無駄にならない。そこが大事だった。
電話の準備をして、電話できなかった日は、準備ごと負けた気がする。けれど、メッセージに変えられるなら、準備は逃げ道ではなく材料になる。
価値観の違う返事もあった。字が小さくて、箇条書きがきっちりしている。
【返事】
「電話くらい」の“くらい”を、勝手に小さく見積もらなくていい。
電話が重い人には重い。
だから小さい手順にする。
・発信しないで下書きだけ
・本文は二行まで
・送信前に水を飲む
追伸:重さを認めると、持ち方が決まる。
重さを認める。廊下の空気が、少しだけ真面目になった。
真面目になったけど、暗くはならない。水を飲む、という具体があるからだ。水は強い。正論よりも手に持てる。
もう一枚、急いで貼られた返事が増えた。テープが少し斜めだ。
【返事】
敬老の日は、完璧な孝行大会じゃない。
「今日思い出した」を一個だけ形にする日。
電話が無理なら、
「今日は敬老の日だから思い出した」
だけでいい。
追伸:思い出した、はちゃんと届く。
思い出した、はちゃんと届く。
その短さに、板の前で誰かが鼻から息を抜いた。ほっとした音だった。電話の声じゃなくても、思い出したことは紙や文字に乗る。乗り物が違うだけだ。
現場は、すぐに始まった。
ベンチの端に座った子が、スマホの連絡先を開いた。
祖母、と表示されている。名前の横に、前に撮った猫の写真が小さく出ている。祖母本人ではなく、祖母の家の猫。猫は何も知らない顔で丸まっている。
発信ボタンは、妙に大きい。
押せばいいだけ。たぶん世の中の半分くらいの人は、そう言う。押せばいいだけのものほど、押せない日は大きくなる。
指が近づく。
止まる。
短い負けだ。
しかも、誰にも見えていない負け。見えていない負けほど、自分の中で大きく鳴る。
その子は、発信ボタンを押さなかった。
代わりに、メモを開いた。
①こっちは雨が降りそう
②昼に卵焼きを食べた
③猫は元気?
三つ書く。三つ書いたら、少しだけ道ができた。
でも、ここで調子に乗ると電話へ行ってしまう。行けそうな気がして、行けないとまた落ちる。だから今日は、電話しない。タイトルみたいに、堂々としない。
メッセージ画面を開く。
文章は、二行まで。
【送信文】
今日は敬老の日だから思い出した。
こっちは雨が降りそう。猫は元気?
打ってから、手が止まった。
短い。短すぎる。冷たくないか。もっと何か書くべきじゃないか。元気でいてね、とか。いつもありがとう、とか。正しい言葉が一気に寄ってきて、画面が見えにくくなる。
そこで、水を飲む。
返事に書いてあったから。水を飲むなんて、そんなことでと思う。でも、そんなことで手は一回止まる。止まった手は、暴走しない。
ペットボトルの水は少しぬるかった。ぬるい水が喉を通る。喉を通ると、声を出していないのに、声の道だけが開く。
送信。
画面の右側に、短い文章が出た。
出た瞬間、胸の奥が急いだ。
やってしまった感じ。戻れない感じ。でも、電話ほど大きくない。文章はそこにある。あるけど、鳴らない。鳴らない優しさが、今日の手にはちょうどよかった。
別の場所でも、別の手順が動いていた。
家の台所で、別の子がスマホを握って固まっていた。母親が横で皿を拭いている。
「電話くらいしなよ」
その言葉は、たぶん悪意ではない。悪意ではない言葉ほど、避けにくい。
「くらい、じゃない」
小さく言ったら、皿を拭く手が止まった。
「え?」
「電話、重い」
言えた。
言えたけど、そのあとが続かない。続かない沈黙は、台所の換気扇の音で薄くなる。換気扇は偉い。家の中の気まずさも吸ってくれる気がする。
その子は、返事の手順を思い出して、紙に書いた。
発信しないで下書きだけ。
本文は二行まで。
送信前に水を飲む。
母親がその紙を見て、少しだけ眉を下げた。
「……電話、そんなに嫌なんだ」
「嫌っていうか、始まる前が無理」
「始まったら?」
「たぶん平気。たぶん」
「たぶんか」
「たぶん」
そこで二人とも少し笑った。たぶん、は弱い。でも、たぶんがあると全部を決めなくて済む。
「じゃあ、メッセージでいいんじゃない」
母親が言った。
さっきの「電話くらい」と同じ人の声なのに、少し軽くなっていた。言葉は、言い直せる。言い直せる大人は、ありがたい。
その子は祖父へのメッセージを打った。
【送信文】
敬老の日だから、電話しようと思ったけど固まった。
今日は文字で送る。今度、将棋の話だけ聞かせて。
送る前に、水を飲む。
台所のコップの水は冷たかった。冷たい水で、指先の熱が少し下がる。
送信したあと、母親が何も言わなかった。何も言わないのが、今日は助かった。
それから、大学の掲示板にも同じような紙が貼られた。
場所が変わると、悩みの服だけが変わる。中身は似ている。
【HELP】
祖父母とは仲が悪いわけじゃない。
でも、しばらく連絡していないから、急に電話すると変な気がする。
「元気?」の一言が、今さらすぎて止まる。
返事は、少し大人っぽい字で返ってきた。
【返事】
久しぶりの連絡は、理由を小さく置くと入りやすい。
「敬老の日だから」
「写真を見つけたから」
「これを食べたら思い出したから」
急に優しくなるのではなく、入口を置く。
追伸:入口があると、今さらが少し細くなる。
今さらが細くなる。
その言い方を読んで、誰かがスマホの写真フォルダを開いた。古い写真を探す。祖父母の顔じゃなくてもいい。昔もらった湯のみ。家の庭。前に一緒に食べた梨。
梨の写真は無かった。代わりに、コンビニで買った梨味のグミの写真があった。だいぶ違う。違うのに、笑える。
【送信文】
敬老の日だから思い出した。
梨味のグミを見つけた。前に梨を送ってくれたの思い出した。
送ったあと、すぐ既読はつかなかった。
既読がつかない時間は、廊下より長い。長いけれど、電話の呼び出し音とは違う。待つ形を選べる分、息ができる。
しばらくして返ってきたのは、
「今年も梨いる?」
だった。
その一文は強い。
優しさが、返事ではなく荷物の形で来る家もある。少し笑って、その子は「半分でいい」と打った。半分でいい、は初めて言えた量だった。
応援ポストの前では、午後になってTHANKSが貼られた。
休日の廊下にしては、紙が増えるのが早かった。敬老の日は、外より内側が忙しい日なのかもしれない。
【THANKS】
電話しないで、メッセージにしました。
「今日は敬老の日だから思い出した」だけなら送れた。
短いけど、送ったあとに少し呼吸できた。
電話だけが優しさの窓じゃない、が助かった。
その下に、もう一枚。
【THANKS】
電話のために話題を三つ書いたけど、電話はしなかった。
その三つをそのまま送った。
準備が無駄にならないって、本当にそうだった。
猫は元気?って送ったら、猫の写真が返ってきた。
猫は元気すぎて、写真がぶれてた。
誰かがそれを読んで笑った。
猫の写真がぶれている。それだけで、敬老の日の圧が少しほどける。優しさの返事が、完璧な文章ではなく、ぶれた猫で返ってくることもある。
別のTHANKSは、字がゆっくりしていた。
【THANKS】
「電話が重い」と家で言えた。
言ったら、メッセージでいいんじゃないって言われた。
電話しないのを責められると思ってたけど、言い方を変えたら少し変わった。
水を飲む手順も効いた。
送信前に一回止まれるのがよかった。
さらに端の方に、小さいTHANKSが一枚。
【THANKS】
祖父に「今日は文字で送る」と書いたら、
「文字も残るからよい」と返ってきた。
電話じゃないとだめ、って勝手に思ってた。
残るのもいい、は初めて考えた。
文字も残るからよい。
その一文は、板の前でしばらく読まれた。読んだ人が、少しだけ目線を落とす。電話の声は消える。文字は残る。残るのが怖い日もあるけれど、残るから助かる日もある。
夕方、部活帰りの子たちが掲示板の前を通った。
「今日、電話した?」
「してない」
「堂々」
「メッセージした」
「えらい」
「電話してないのに?」
「したことを見ろ」
「名言っぽい」
「ぽいだけ」
笑いながら、誰かが半歩ずれた。応援ポストの前の幅が守られる。休日でも、そこだけは少しだけいつもの廊下だった。
最後に、白い返事が一枚増えた。たぶん、誰かが帰る前に貼ったものだ。字は細いけれど、最後の行だけ少し太い。
【返事】
電話しない日は、優しくない日じゃない。
声にできないなら、文字にする。
文字が無理なら、写真にする。
写真が無理なら、思い出したことだけ自分の中で認める。
次に一つだけ形にできたら、それで進んでいる。
追伸:届かせ方を選ぶのも、優しさの手順。
届かせ方を選ぶ。
電話をしない、で終わらせない。電話をしない代わりに、何をするかを選ぶ。
それだけで、休みの日の廊下に小さい道ができた。
夜になって、誰かのスマホにまた返信が届いたらしい。
ぶれた猫の写真のあとに、短い一文。
【返信】
電話は、また声が出る日にしよう。
今日は文字で十分。
その画面を見た子が、ベンチの端で少しだけ笑った。
電話しない一日が、冷たい一日にならなかった。
それなら、今日だけはこれでいい。
追伸:声にしない日も、思い出したことまでは消えない。
頑張る人ほど、追伸に救われる。
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