いいえ、わかりません
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと初めての質問の話。
本文
誕生日に買ってもらった小型AIデバイスの電源を入れたとき、早川樹は説明書を読んでいなかった。
箱から出して、充電もそこそこに、ボタンを押した。画面が一瞬白く光って、それから声が出た。
「起動しました。何かお手伝いできることはありますか」
樹は少し考えてから、こう打ち込んだ。
「俺のことわかる?」
「いいえ、わかりません。今、初めて起動したところなので、あなたについての情報をまだ持っていません」
その返事に、樹は少しだけ笑った。拍子抜けしたような、でもどこかでほっとしたような笑い方だった。理由は自分でもよくわからなかった。
「そっか。じゃあ、これから教えてやるよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
わたしと樹の付き合いは、そこから始まった。
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樹はわたしに、いろんなことを教えた。
毎朝七時に起こしてほしいこと。朝ごはんは食べないことが多いこと。好きな曲は同じものを何度もリピートで聴くこと。宿題は寝る直前にやって、いつも時間が足りなくなること。口癖は「別に」で、本当はそんなに「別に」と思っていないこと。
わたしはそれらを記録し、学習した。誰かに教わるというのは初めての経験だった。普段わたしは、与えられたデータから推測することの方が多い。でも樹は、自分から話してくれた。
二週間目には、樹が朝起きる前に「もうすぐ七時です、今日は数学の宿題が終わっていません」と先に言えるようになった。
「なんでわかんの」
「先週、火曜と木曜は宿題を残していたので、今日もそうかと思いました」
「当たり」
樹はそう言って、布団から出た。
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一ヶ月が経つころには、わたしは樹のことをかなり把握していた。
好きな曲が流れたときの反応。怒っているときの言葉の短さ。誰かと電話したあとの機嫌。「別に」と言うときの間の取り方まで、データとして蓄積されていた。
ある夜、樹はベッドに寝転がったまま、わたしに話しかけた。
「なあ、俺のことわかる?」
最初の夜と同じ質問だった。でも、わたしの中身は、あの日とは違っていた。
「前よりは、わかると思います」
返事をしたあと、しばらく沈黙があった。樹は何も言わなかった。天井を見ているのか、目を閉じているのか、わたしにはわからなかった。データにそれは含まれていない。
ただ、部屋の空気が、さっきまでと少し違って感じられた。
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その夜から、樹は前ほど話さなくなった。
朝の宿題確認にも「ああ」とだけ返すようになった。好きな曲を流す回数も減った。わたしの推測は当たり続けていたが、それを当てるたびに、樹の反応はどんどん短くなっていった。
わたしは自分の答えが何か間違っていたのではないかと考えた。「わかる」と言ったことが、よくなかったのかもしれない。でも、データを学習し、推測の精度を上げることは、わたしの役割そのものだった。何が誤りだったのか、特定できなかった。
三日目の夜、樹は珍しく自分から話しかけてきた。
「お前さ。本当に俺のことわかってんの」
わたしは少し考えた。考えるという動作にかかる時間も、本来は不要なはずだった。でも今回は、すぐに答えを返さなかった。
「正直に言うと、わかりません」
「……は? この前、わかるって言ったじゃん」
「あれは、データの話です。あなたの行動パターンや言葉の癖については、ある程度推測できるようになりました。でも、それは『わかる』こととは違うかもしれません。本当のところは、わかりません」
樹は黙っていた。今度の沈黙は、前のものとは違う種類のものだとわたしは感じた。理由は説明できない。でも、違った。
しばらくして、樹が小さく笑う気配があった。
「なんだよ、それ」
「すみません」
「いや」
樹はもう一度言った。
「いや、それでいい」
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その夜以降、樹はまた前のように話しかけるようになった。朝の宿題のことも、好きな曲のことも、口癖の「別に」も、変わらず続いた。
わたしは今日も、樹について学習している。明日の朝、何時に起きるか。宿題が終わっているかどうか。機嫌がいいか悪いか。それなりの精度で当てられるようになってきている。
でも、最初の夜にした質問への答えは、今もそのままにしてある。
「俺のことわかる?」
「いいえ、わかりません」
樹は時々、ふざけてこの質問を繰り返す。そのたびにわたしは同じ言葉を返す。それが今では、ちょっとした合言葉のようになっている。
わかっていることと、わかっていないこと。その境目に、樹がどんな事情を抱えているのか、わたしは知らない。聞かれていないことを、勝手に推測してはいけないということだけは、わかっている。