第三章 赤いマフラーの夜・ 番外編
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
その夜、U中の不良学生―岸田は繁華街の裏路地に立っていた。
別にカツアゲをしに出歩いていたわけではない。ただ、コンビニで買った肉まんを片手に、暇を持て余してフラフラしていただけだ。柄の悪い金髪と、崩れた制服のシルエットが、街灯の下でやけに浮き立っている。
(——おいおい、なにやってんだよ)
駅前のロータリーに差し掛かったところで、岸田はその光景を目にした。酔っ払いの中年男二人が、女の子に絡んでいる。
絡まれている片割れの顔を見て、岸田の足が思わず止まった。
——江村じゃねぇか。
ショートカットに眼鏡。元風紀委員長、江村玲愛。
岸田にとって、彼女は妙に忘れられない相手だった。かつて自分がU中の不良グループを率いて好き放題やっていた頃、正面から怯まずに説教を仕掛けてきた数少ない人間だ。
普通なら無視するか、もっと怖い目に遭わせて終わりにするところだが——なぜかあの時は、妙に素直に話を聞いてしまった。理由は今でもよくわからない。
とにかく、江村は岸田にとって「世話になった相手」のカテゴリーに入っている。
肉まんを持ったまま、岸田はしばし固まった。
(……これは、行くべきなんじゃねぇか?)
脳内で、柄の悪い男なりの義理人情のスイッチが入る。
江村が困ってる。自分はかつて世話になった。ここで颯爽と現れて酔っ払いを片付ければ、男として、いや人間として、貸しを少しでも返せるんじゃないか——。
肉まんを近くの自販機の上にそっと置き、岸田は覚悟を決めて路地から一歩踏み出した。
その瞬間だった。
弾丸のような勢いで、誰かが横から駆け抜けていった。
「は?」
岸田はその顔を見た瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。
忘れようにも忘れられない顔だった。少し前、佐藤からカツアゲをしていたところに割り込まれ、有無を言わさず地面に這わされた相手だ。あの時の、静かなのに有無を言わせない圧力。思い出すだけで背筋が冷える。
「な、なんでこんなとこにまでいるんだよ……!」
岸田は声にならない声で呟きながら、慌てて自販機の陰に身を隠した。
出る幕を完全に見失った間抜けな格好で、肉まんだけが自販機の上に取り残されている。
陰からそっと様子を窺うと、勇介が酔っ払いの腕を一瞬で極めていた。
「いだだだだ!」
「大きな声を出すと、余計に締まる」
淡々とした声。表情はむしろ穏やかで、それがなおさら不気味だった。
(……あいつ、あんな大人相手にも容赦ねぇのかよ)
勇介は男の腕をゆっくりとさらに極め、苦しむ様子を確かめるように声音を一段落として囁いていた。その瞬間、岸田の背中に冷たいものが走った。
(うわ、今のなんだ。完全に楽しんでただろ、あいつ……)
怒鳴り散らすわけでもなく、ただ静かに、相手が壊れる一歩手前まで追い込んでいく。怖いのはその容赦のなさより、楽しそうにすら見えるその余裕だった。
岸田は自販機の陰でガタガタと震えながら、両手で口を塞いだ。
(あいつは、恐ろしいやつだ……絶対に、近づいちゃなんねぇ……)
自分が以前に痛い目を見たときの恐怖が、生々しく蘇る。あの時はまだマシな部類だったんじゃないか、とさえ思えてくる。
「だぁ〜! すみません! もうしません!」
酔っ払いが泣きそうな声で許しを請う様を見て、岸田の脳裏に自分自身の記憶が重なった。
もう一人の男の前には、ガタイのいい男子二人が無言で立ちふさがり、それだけで撃退に成功していた。完全に、決着がついていた。
岸田は呆然と、自販機にもたれかかったまま動けなかった。
やがて、勇介がレイの眼鏡をそっと直し、コートから使い捨てカイロを取り出して渡しているのが見えた。先程までの圧の権化のような男が、今は妙に優しい顔をしている。
その温度差に、岸田はさらに混乱した。
「……は? さっきまであんなに怖かったのに、今度はカイロ配ってんのかよ……」
頭の中で情報がうまく処理できない。
しばらくして、田中たちが「また明日な」と手を振って去り、残された勇介とレイの二人だけが連れ立って夜道を歩いていく。何やら親しげな距離感だ。
岸田は自販機の陰から首だけ伸ばし、その背中を見送りながら呟いた。
「……あの二人、付き合ってんのか? どうなってんだよ……」
誰に問うわけでもない疑問が、虚空に消えていく。
しばらくその場にしゃがみ込んだまま、岸田は膝に肘をついて項垂れていた。やがてゆっくりと立ち上がり、自販機の上から肉まんを取り戻す。少し冷めている。
「……まあ、江村が無事だったから、別にいいけどさ」
ぶつくさと言いながら、岸田は冷めた肉まんに齧り付いた。味がいまいち分からない。
「あー……関わったら絶対やられる。あいつには、二度と関わりたくねぇ……」
不貞腐れたような、それでいてどこか怯えの抜けない足取りで、岸田は反対方向へとふらふら歩き出した。
その背中は、なんとも言えず締まらないものだった。