27話 奈央の持ち込み相談
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あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 27話 奈央の持ち込み相談
本文
山門の石の上で、厚い紙の角がぱた、と軽く鳴った。
花の札に使う、少しかたい紙だった。手で折るほどではないのに、指でしならせると、わずかに戻ってくる。花房奈央はその束を掌で押さえ直して、門の内側を見た。
「こんにちは」
先に声を置くと、勝手口のほうから美琴が顔を出した。濡れた手を布巾で拭きながら、奈央の手元の紙束へすぐ目が行く。
「あら、こんにちは」
返事は明るかった。けれど、その次の「あら」は少し意味が違う。花束でも鉢でもなく、奈央が紙だけ持って立っているのが珍しかったのだろう。
「今日は花じゃないんです」
奈央が先に言う。
「見ればそうですねえ」
美琴は笑う。
「どうしました?」
奈央は手の中の札を一枚だけ持ち上げた。白い小札で、上のほうに穴がひとつ開いている。細い針金を通して花束へつけるやつだ。表はつるっとしていて、裏はややざらつく。
「最近、お店で寺さんのこと聞かれることが増えてて」
「うちのですか」
「はい。花を持っていくならいつがいいとか、誰もいない時はどうしたらいいとか、名前は書くのかとか」
言いながら奈央は、持ってきた札をもう一枚、もう一枚とずらして見せた。どれもまだ白いままなのに、並ぶともう何か書かれそうな顔をする。
「私、花のことならいいんですけど、寺さんの答えまで勝手に言うのも違うかなと思って」
そこで美琴は小さくうなずいた。
「なるほど」
返事が早い。早いけれど、すぐに結論へは行かない。先に奈央の持ってきたものをひとつ受け取る。札の紙は思ったよりしっかりしていて、指先へひやりと冷たい。
「立ったままも何ですし、どうぞ」
「でも、これ相談なので」
「相談なら、なおさら座ったほうが早いでしょう」
明るくそう返して、美琴は門を半歩あける。奈央は一瞬だけ迷ったが、札の束を持ち直してうなずいた。
「じゃあ、少しだけ」
台所では、湯気の中へ札の白さが少し浮いた。
美琴が盆をよけて、流しの横の乾いたところへ札を置く。ぱた、ぱた、と軽い音がして、台所の音の中へ妙にまっすぐ混ざった。奈央はその横へ、小さい鉛筆まで出した。花屋で使う短いので、先だけよく削れている。
「店ではこれで名前だけ書いたりするんです」
「ちょうどいいですねえ」
美琴は札を指で軽くそろえた。つるっとした表面が揃うと、束の端だけが少し光る。花屋のものなのに、台所へ置くと何となく家の中の紙にも見える。
「どのくらい聞かれるんですか」
美琴が聞くと、奈央は少し考えた。
「急に毎日じゃないです。けど、一人聞くと、次もっていう感じで」
「広がりますねえ」
「広がります」
そこだけは、二人とも笑った。
智明が茶の間から入ってきたのは、その時だった。札の束と奈央を見て、状況だけすぐ取る。
「何だそれ」
「相談です」
美琴が先に答える。
「花屋さんが寺のこと聞かれるって」
智明はそこで、奈央の手元の札を見た。白い小札。短い鉛筆。花屋の窓口そのものみたいな並びだった。
「どこまで答えてるんですか」
聞き方が現実的だった。奈央はそこで少しほっとした顔をする。
「今は、ほとんど答えてません。『寺さんに聞いてみます』で止めてて」
「それでいいです」
智明はすぐ言った。
「花屋さんで決めなくていい。預かるなら、名前と、何を聞きたいかだけで十分です」
奈央はほっとしたように、でもまだ少し気にするように札をなでた。
「花を持っていく時間とかも、ですか」
「時間を店で決めると、ずれた時に困るでしょう」
「そうですね」
「寺のことは寺で返します」
そこで線が引かれた。ふわっとした慰めではなく、どこまで背負うかの線だ。
美琴はその線をすぐ生活へ落とした。
「じゃあ、札にはお名前と、『花』『相談』くらいあれば足りますね」
「それなら書けます」
奈央が言う。
「あと、誰もいない時」
智明が少し考えてから、台所の勝手口のほうを見る。山門、縁側、茶の間。今はたいてい誰かいる。けれど、絶対ではない。
「その時は、山門の木箱でいい」
「木箱?」
奈央が聞く。
「張り紙の下にあるだろ。今は空いてるやつ」
犬の張り紙をつけた時に、横へ寄せた小さい木箱がある。前は何でもない箱だったが、今は門の紙の近くにあるせいで、受け皿めいた顔をしていた。
「札だけならそこへ入る」
「花そのものは」
「それは店で預からないでください」
智明はそこをはっきり言った。
「持っていくなら持ってきてもらう。預かるのは札まででいい」
「はい」
奈央は素直にうなずく。店で抱えすぎない線が見えると、顔が少し軽くなる。
美琴は札を一枚取り、短い鉛筆でためしに書いてみた。
花房
花
山門へ
たったそれだけだ。けれど、白い札へ字が入ると、何を預かるものかが急にはっきりする。書いた札を台所の端へ置くと、紙の角が木へ軽く当たって、ぱた、と小さく鳴った。
「分かりやすいですねえ」
「花屋っぽいですし」
奈央が少し笑う。
「札って、こういう時も使えるんですね」
「もう使ってますよ」
美琴が明るく返す。
「寺のほうへ半歩入ってます」
智明はそこで一度だけ、札の束を見た。花屋のものだ。けれど、寺の相談を預かるなら、その形のほうが町には合っているのかもしれない。
「増やしすぎないでくださいね」
奈央へ向けたのか、美琴へ向けたのか少し曖昧な言い方だった。
「札がですか」
「窓口がだ」
智明が答える。
奈央はその言い方に、ちゃんと分かった顔でうなずいた。
「分かりました。答えを背負わないで、名前だけ預かります」
「それで十分です」
話が決まると、台所の空気は急に軽くなる。美琴が湯のみを二つ茶の間へ運び、奈央は残りの札を束ね直す。紙の縁が指に当たって、つるっとした感触がまた戻る。持ってきた時より、少し意味のある束になった気がした。
帰る前に、美琴はためしに書いた一枚を奈央へ返そうとして、少し止まった。
「これ、一枚、置いときます?」
智明が見る。
奈央も見る。
書いてあるのは大したことではない。
花房。花。山門へ。
それだけの札だ。
「置いといてもいいですね」
奈央が言った。
「見本になりますし」
美琴はすぐに、物置から出てきた小さい器を一つ持ってきた。白地に薄い青が入った、浅い器だ。前は甘夏をのせたり、短い鉛筆を置いたりしていたやつで、今は茶の間の棚の端に空いている。
そこへ見本の札を一枚だけ立てかける。札の角が器の縁に触れて、ちん、と細い音がした。
その音で、茶の間の棚の並びがわずかに変わった。
白い器。
白い札。
短い字。
奈央は帰り際、山門の木箱を一度だけ見た。犬の張り紙の下、小さい箱。前からあったのに、今は札が入る場所として見える。
「じゃあ、困ったらまず札で」
「はい」
「花は持たせる」
「それで」
短いやり取りで済むくらいには、形ができていた。
山門の外へ出る時、奈央の手の中の札がまたぱた、と鳴る。最初に来た時と同じ音なのに、今は行き先が一つに寄ったみたいに聞こえた。
茶の間の棚では、見本の札が小さい器に立てかけられたままだ。
器の縁へ紙の角がふれている。
まだ鳴らないまま、その位置だけが先に決まっていた。
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