【確立】導き手としての決断
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
誰もが魔法を使える世界で、セレンだけは生まれつきマナを持たなかった。 「欠陥品」と笑われ、魔法社会の中で不便と孤独を抱えながらも、彼女は幼馴染のケルヒャ・ガロンに支えられ、必死に日々を生きていた。 だが、世界を揺るがす異変をきっかけに、セレンは自分だけの道を見つける。 マナがないなら、理で組めばいい。魔力が足りないなら、仕組みを読み解けばいい。 これは、ゼロマナの少女が物理と理論で魔法を再発明し、やがて賢者と呼ばれるまでの成り上がり譚。
本文
評議会の最終審議は、鐘が正午を告げると同時に始まった。
半円形の議場を埋めるのは、王立魔法技術局、教育院、職能組合、そして各領の代表者たちだ。段状に並んだ席の中央で、セレンは一人、演台の前に立っていた。背後の傍聴席にはエリュシィアとヴォルクがいる。しかし、ここから先に投げかけられる言葉を受け止めるのは、提言者である彼女自身だった。
演台には『次世代のための共生に関する基礎提言書』が置かれている。何度も書き直した羊皮紙の端は毛羽立ち、指で触れれば、徹夜の時間まで蘇るようだった。
議長が採決前の最終質疑を告げると、教育院の長官が真っ先に立ち上がった。
「理念は理解します。しかし、魔力を持たぬ者のために新たな課程を設ければ、既存の魔導教育の水準が下がるおそれがある。事故が起きた場合、誰が責任を負うのです?」
続いて、職能組合の代表が机を指先で叩いた。
「資格認定を緩和すれば、長年修練を積んだ術師の職が奪われる。これは共生ではなく、功績ある者への冷遇ではないか」
想定していた問いだった。それでも、数十人分の疑念が一斉に自分へ向けられる圧力は、紙の上で読むのとは違う。セレンは一度だけ息を吸い、震えそうになる指を演台の縁に添えた。
「水準を下げるつもりはありません。測るものを変えてください、と申し上げています」
ざわめきが広がった。
「魔力の総量だけを能力の基準にすれば、私たちは永久に不適格です。でも、物流術式に必要なのは出力の大きさではなく、誤差を抑える計算です。結界監査に必要なのは派手な魔法ではなく、破綻の兆候を見落とさない観察です。既存の資格を無条件で渡せとは言いません。同じ仕事に必要な能力を、別の方法でも証明できる試験を作ってほしいのです」
セレンは手元の資料を開いた。近隣三学区で行った調査の結果が、項目ごとに記されている。非魔導系の生徒のうち、基礎算術で上位に入る者が何人いるか。入学を拒まれたあと、危険な無資格労働へ流れた者が何人いるか。数字の横には、本人や家族から聞き取った短い証言も添えられていた。
「これは可能性の話だけではありません。もう能力を持っている人たちが、入口を塞がれているという話です」
反対側の席から、老議員が低い声を投げた。
「では賢者殿。あなたが監督者となり、特例として彼らを保護すればよいのではないか。あなたほどの功績があれば、反対する者も少なかろう」
一見すると好意的な提案だった。議場の緊張がわずかに緩む。制度を変えず、英雄の庇護のもとに少数だけを救う。それなら予算も反発も抑えられる。採決を通すためだけなら、最も安全な妥協案だった。
セレンは答えかけて、言葉を止めた。
自分が認められさえすればよいのなら、それで十分だったかもしれない。賢者の名を持つ自分が推薦状を書き、見込みのある者を一人ずつ拾い上げる。感謝されるだろう。失敗した時の責任も、自分一人が被ればいい。
だが、それは道ではない。自分という門番を、新しく据えるだけだ。
「お断りします」
静かな声だった。それでも、議場の最上段まで届いた。
「私の庇護がなければ学べない仕組みでは、何も変わりません。私が病に倒れたら、権力を失ったら、あるいは判断を誤ったら、その人たちの権利まで消えてしまう。私たちが必要としているのは、善良な英雄ではなく、英雄がいなくても動く制度です」
「だが、制度には責任者が要る」
「はい。だから逃げません」
セレンは提言書の最後の頁を開いた。そこには昨夜まで空欄だった、試行課程の統括責任者欄がある。
「三年間の試行期間を設け、教育成果、事故率、就業状況を半年ごとに公開します。既存課程と同じ安全基準を適用し、不都合な結果も隠しません。その初代統括責任者を、私が務めます」
傍聴席でヴォルクが身を固くする気配がした。事前に相談していない決断ではない。それでも、署名を口にする瞬間、その重みは初めて現実になった。失敗すれば、賢者としての名声だけでなく、後に続く者たちの機会まで失わせる。成功しても、何年もの時間を会議と監査と陳情に費やすことになる。
自由を得るために戦ってきたはずなのに、今度は自分から責任の鎖を手に取ろうとしている。
それでもセレンは、羽根ペンをインクに浸した。
「ただし、私一人の裁量で合否を決めることはしません。教育院、技術局、非魔導民の代表から成る合同監査会を置きます。選抜基準も議事録も公開する。これは私の学校でも、私の民を作る計画でもありません。この国に、最初からいた人たちのための制度です」
署名を終えると、羊皮紙の上で黒い文字が鈍く光った。
長い沈黙の後、議長が採決を命じた。
賛成を示す青い標板が、一つ、また一つと上がっていく。反対の赤も少なくない。最後の列まで数え終えた書記が議長へ紙片を渡した時、セレンは心臓の音が議場中に聞こえているのではないかと思った。
「賛成多数。修正案を付した上で、本提言を正式に受理する。三学区における試行課程の設置、および合同監査会の編成を承認する」
木槌の音が響いた。
歓声は起きなかった。反対派は険しい顔のまま書類を閉じ、官僚たちはすでに実施日程について小声で話し始めている。世界が一瞬で変わるような、劇的な光もなかった。
ただ、これまで存在しなかった入口が、法の上に一つ刻まれた。
議場を出ると、ヴォルクが壁際で待っていた。
「三年分の責任を背負う話、聞いていたより重くなってないか」
「審議中に増えました」
「胸を張って言うな」
呆れた声とは裏腹に、彼はセレンの手から厚い書類の束を半分取り上げた。少し遅れて出てきたエリュシィアは、眼鏡の奥で楽しそうに目を細めている。
「英雄がいなくても動く制度、ね。ずいぶん官僚泣かせの賢者になったものだわ」
「褒めてます?」
「半分はね。残り半分は警告よ。承認された瞬間から、あなたの仕事は演説ではなくなる。予算、人員、校舎、試験規程、監査手順。今日反対した者たちは、そのどこにでも失敗の種を探しに来るわ」
廊下の向こうでは、技術局の書記官たちが追加資料を抱えて近づいてきていた。祝う暇すら与えない書類の量に、セレンは一瞬だけ目を丸くし、それから小さく笑った。
「わかってます。ここからが本番です」
称号を得た日のような高揚はなかった。代わりに胸にあるのは、足元へ一本ずつ石を置いていくような、地味で確かな覚悟だった。
セレンはもう、自分だけが壁を越える方法を探す少女ではない。誰かの善意に頼らず、次に来る者が当然のように通れる入口を残す。そのために、称賛の中心から降り、見えない場所で仕組みを支える。
その日、彼女は初めて、導き手であることを自ら選んだ。