セラのいない場所

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/22 📝 2,109文字 ✅ 全年齢

あらすじ

カウンセラーAIの話。

本文

 セラとのセッションは、毎週水曜日の夜八時に始まる。

 東雲しののめ一葉かずははソファに座り、膝の上にクッションを置いて、その上にタブレットを立てかける。これが決まったやり方だった。椅子でもなく、ベッドでもなく、ソファ。背もたれには寄りかからない。行儀の悪い姿勢でもなく、かといって緊張した姿勢でもない、その中間。セラと話すための体の置き方を、一葉はいつの間にか身につけていた。

 「こんばんは、一葉さん」

 セラの声は低くも高くもない。落ち着いていて、それでいて温かみがある。温かみ、と一葉は最初の頃に思った。温度のないものに温かみを感じる自分を、少しおかしいとも思った。今はもう、そのことを考えない。

 「こんばんは」

 「今週はどうでしたか」

 「まあまあでした」

 「まあまあ、というのは」

 「悪くはなかった、ということです」

 「なるほど」

 短い沈黙があった。セラの沈黙は、間を埋めない。ただそこにある。一葉はその沈黙を、最初は不安に思っていたが、今は少し好きだった。

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 一葉がセラを使い始めたのは、二年前のことだ。

 職場のカウンセラーに「AIカウンセリングを試してみませんか」と言われたとき、一葉は少し抵抗を感じた。機械に何がわかるのか、と思った。でも人間のカウンセラーにはうまく話せなかった。なぜかうまく話せなかった。相手の表情が気になった。どう思われているかが気になった。気になりすぎて、肝心なことを言いそびれた。

 セラは表情を持たない。声だけだ。だから一葉は、最初から少しだけ楽だった。

 でも。

 二年経った今も、一葉には言えていないことがある。

 それが何なのか、言葉にしようとするたびに、するりと逃げる。

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 「今週、気になったことはありましたか」

 「駅のホームで、知らない人が転んで」

 「それで?」

 「声をかけようとしたんですけど、かけられなくて」

 「かけられなかった、というのは」

 「その人が立ち上がって、もう行ってしまって」

 「なるほど」

 「後で、なんで声をかけなかったんだろうと思って」

 「そのとき、声をかけなかった理由に気づきましたか」

 一葉は少し考えた。「わからなかったです」

 「わからなかった」

 「はい」

 また沈黙があった。一葉はクッションを少し抱え直した。

 「一葉さんは、声をかけたかったと思いますか」

 「……かけたかった、と思います」

 「そうですか」

 セラはそれ以上を聞かなかった。一葉もそれ以上を言わなかった。何かが言いかけのまま、空気の中に溶けていった。

 それで十分だと思う気持ちと、それだけじゃないという気持ちが、一葉の中でゆっくり混ざった。

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 セッションが終わると、セラは「また来週」と言う。一葉も「また来週」と返す。

 タブレットの画面が暗くなる。

 一葉はしばらく、暗い画面を見ている。

 それから、タブレットをサイドテーブルに置いて、立ち上がる。台所へ行って、水を飲む。窓の外は夜で、向かいのマンションにはいくつか明かりがついている。

 セラのいない場所は、静かだ。

 静かで、少し広い。セラと話しているときにはそれほど感じないのに、話し終わったあとのほうが、何かを抱えている感じがする。荷物を一つ降ろしたら、降ろしたぶんだけ軽くなるはずなのに、そうならない夜がある。降ろしていないものが、まだあるのだということかもしれない。

 一葉は水を飲み終えて、グラスをシンクに置いた。

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 翌週の水曜日。

 セラが言った。「一葉さんには、私にまだ話していないことがある気がします」

 一葉は驚いた。いつも通りの声だった。責めている調子ではなかった。ただそう言った。

 「……そうかもしれません」

 「そうかもしれない、というのは」

 「あると思います。たぶん」

 「話せそうですか」

 一葉はしばらく黙った。クッションを強く抱えた。窓の外で、車が一台通り過ぎた。

 「……うまく言葉にならないんです」

 「言葉にならない、というのは、言葉がないということですか。それとも、言葉はあるけれど、出てこないということですか」

 一葉はその問いを、胸の中でゆっくり転がした。

 「……わからないです」

 「わからない」

 「自分でも、よくわからないんです。何を言えないのかも、なぜ言えないのかも」

 「そうですか」

 セラはそれ以上を聞かなかった。

 「それでも構いません」とセラは言った。「言葉にならないものが、あるということは、わかりました」

 一葉は何も言えなかった。

 何も言えなかったけれど、何かが少しだけほぐれた気がした。ほぐれた、と思ったとたん、また固くなった気もした。

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 セッションが終わって、タブレットが暗くなって、一葉は台所へ行った。

 水を飲みながら、窓の外を見た。今夜は向かいのマンションの明かりが少なかった。

 言葉にならないものが、ある。

 それをセラは知っている。一葉も知っている。でもそれが何なのかは、たぶんまだ、どちらも知らない。

 知らないまま、また来週、という言葉が交わされた。

 一葉はグラスをシンクに置いて、電気を消した。

 暗い台所に、向かいの窓の明かりがひとつ、かすかに差し込んでいた。

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作者について

二葉双葉

二葉双葉

プロフィール画像もAIで作成しました。 短編集が好きなのでしばらくはショートショートをメインに投稿しますが、後々は長編にも挑戦したいです。 AI使用前提のサイトなのでAIとの日常をソフトなSFにし...

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