空白の主人公
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIの小説チェックの話。
本文
有馬凪が小説を書き始めたのは、中学二年の冬だった。
きっかけは特になかった。強いて言えば、読んでいた文庫本のあとがきに「書くことは、自分を知ることだ」と書いてあって、それが妙に頭に残ったからだ。自分を知りたいというより、その文章がかっこよかった。それだけだった。
高校に入ってからも書き続けた。学校には誰にも言っていない。文芸部には入らなかった。ひとりで書いて、ひとりで読み返して、それで十分だった。
AIに原稿を読ませ始めたのは、一年生の秋ごろだ。最初は誤字脱字のチェックのつもりだったが、AIの指摘は思ったより細かくて、的確だった。「この場面、展開が速すぎます」「登場人物の動機が弱い」「ここの描写、もう少し引っ張れます」——凪は最初、少し悔しかった。でも直すたびに文章がよくなったから、だんだん頼るようになった。
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問題の指摘が来たのは、十一月の終わりだった。
四十枚ほどの短編を書き上げて、AIに送った。主人公は高校生の男子で、クラスになじめない転校生を助けようとする話だった。凪なりに力を入れた作品だった。
返ってきた講評は、いつも通り細かかった。構成のこと、台詞のこと、ラストの余韻のこと。読みながらメモを取っていると、最後にこう書いてあった。
この主人公、いつも誰かを助けようとして、自分のことは何も書かれていませんね。
凪は画面をスクロールして、もう一度読んだ。
三作読みましたが、共通しています。主人公は誰かのために動き、誰かのために傷つき、誰かのために成長します。でも「主人公自身が何を望んでいるか」は、どの作品にも書かれていません。意図的な空白ですか?
凪はしばらく、その文章を見ていた。
「意図的じゃない」と打ちかけて、やめた。
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書き直してみることにした。
同じ話のまま、主人公の内面を掘り下げる。転校生を助けようとする理由を、もっと書く。なぜ放っておけないのか。何が動かしているのか。
書き始めると、すぐに手が止まった。
転校生がかわいそうだから。クラスの雰囲気が嫌だから。誰かがやらないといけないから。
どれも書けた。でも書いていて、どこか違う気がした。「主人公の気持ち」を書いているのに、主人公の顔が浮かばなかった。
三日後、凪はもう一度AIに送った。「主人公の動機を書き足しました」と添えて。
返ってきた返事はこうだった。
少し近づきましたが、まだ「理由」が書いてあるだけです。主人公が何を感じているか、何を怖れているか、何を本当は望んでいるか——そこまで書けると、もっと近づくと思います。
凪は唇を噛んだ。
何を本当は望んでいるか。
その一行が、画面の中で少し大きく見えた。
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また書き直した。
今度は主人公に、もっと踏み込もうとした。転校生のことだけじゃなく、主人公自身の話を書こうとした。主人公の部屋。主人公の朝。主人公が一人のときに何を考えているか。
書いていると、おかしなことに気づいた。
主人公の部屋を描写しようとしても、何も出てこなかった。何が置いてあるか、どんな匂いがするか、窓からどんな景色が見えるか——何も思い浮かばなかった。転校生の部屋は書けた。クラスメートの顔は書けた。なのに主人公の部屋だけが、白いままだった。
凪は手を止めて、自分の部屋を見回した。
机と、棚と、カーテン。窓の外に電線。ベッドの脇に読みかけの文庫本。
全部見えているのに、それを主人公に渡せなかった。
なぜだろう、と思った。
思って、すこし経ってから、変な感じがした。自分の部屋を主人公に渡す、ということを、これまで一度も考えたことがなかった。三年間、ずっと書いてきたのに。
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結局、その短編は書き直せなかった。
何度手を入れても、主人公の輪郭がぼやけたままだった。凪はある夜、ファイルを閉じて、ノートを取り出した。原稿ではなく、ただのノート。AIにも見せない、誰にも見せないやつ。
ペンを持って、何を書くか考えた。
主人公について書こうとした。でもすぐに気づいた。「主人公について」じゃなくて、「自分について」書こうとしているということに。
それが同じことなのか、違うことなのか、凪にはわからなかった。
ペンを走らせた。うまくない文章だった。構成もなく、台詞もなく、ただ思ったことを書いた。AIに見せたら何か言われそうだな、と思った。それから、見せなければいいだけだ、とも思った。
窓の外で、風が木を揺らした。
凪はペンを止めて、書いたものを読み返した。
主人公は、そこにいた。うまくはなかったけれど、いた。
それだけで、なんとなく、十分な気がした。