うまく嘘がつけない
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと休むための嘘の話。
本文
朝、目が覚めたとき、篠塚朱音はすでに嘘の内容を決めていた。
頭痛。それが一番無難だった。熱があればと思ったけど、昨夜測ったら三十六度四分しかなくて、それはさすがに使えなかった。「頭が痛い」はあいまいで、証明もできないし、反証もできない。二年生になってから三回使ったけど、まだ大丈夫なはずだった。
スマートフォンを手に取り、学校の出席管理アプリを開く。正式名称は長くて覚えていないので、朱音はずっと「先生アプリ」と呼んでいた。本物の担任より話しかけやすい、という理由で同じあだ名をつけているクラスメートもいた。
欠席申請の画面。症状の欄に「頭痛」と入力して、送信ボタンを押す前に一呼吸置く。いつもここで少し躊躇う。押してしまえばあとは流れるのに、このワンクッションだけが毎回ある。
送信した。
数秒後、アプリから返信が来た。
---
ご申告ありがとうございます。先週の木曜日にも同じ症状でのご欠席がありました。頭痛が続いている場合は、医療機関への受診をお勧めします。今日のご欠席を受理しました。
朱音はしばらく、その文章を読んでいた。
「先週の木曜日にも」。
当たり前だけど、記録されている。嘘かどうかは関係なく、申告した内容がそのまま蓄積されている。頭痛が先週もあって、今日もある、という記録が。
布団の中で天井を見ながら、朱音は少し考えた。これって、バレてるってことになるんだろうか。でも「バレる」というのは、誰かに知られることだ。このアプリは、別に誰かじゃない。
スマートフォンをもう一度手に取って、アプリを開いた。
欠席申請の画面ではなく、チャット欄。出席管理アプリにはなぜかチャット機能がついていて、普段は誰も使っていないらしい。朱音も一度も使ったことがなかった。
指が動いていた。
頭痛じゃないです、と打って、送信した。
---
返信は、思ったより早かった。
ありがとうございます。症状の訂正として記録してもよろしいですか? 正確な情報があると、より適切な対応ができます。
べつに、訂正しなくていいです、と朱音は返した。*ただ言いたかっただけです*。
承知しました。記録は変更しません。
それだけだった。責めるわけでも、理由を聞くわけでもなく、ただ「承知しました」で終わった。朱音は少し拍子抜けして、でも悪い気はしなかった。
なんで聞かないんですか、と打った。
何をですか?
なんで休むのかとか、本当の理由とか
それは申請に必要な情報ではないので、お聞きしていません。
シンプルすぎる返答だった。朱音は布団の中で少し笑った。笑ったのが少し意外だった。
---
起き上がって、カーテンを少し開けた。六月の朝は明るくて、外は雨ではなかった。雨じゃない、というだけで少し気分が違う。
またスマートフォンを見る。
一個聞いてもいいですか、と打った。
はい。
私が嘘ついてるって、わかりますか?
少し間があった。処理しているのか、それとも間があったように感じるだけなのか、朱音にはわからなかった。
「嘘」かどうかは判断できません。申告された症状と、過去の記録と、そのほかのデータを照合することはできます。ただ、照合した結果をどう解釈するかは私には決められません。
朱音はその返答を読んで、もう一度読んだ。
「嘘かどうかは判断できない」というのは、言い換えると、「判断しない」ということでもあるんだろうか。できないのか、しないのか、それとも両方なのか。
照合したら、どうでした、と打った。
頭痛の申告は今年度四回目です。昨年度も含めると十一回になります。そのうち八回が月曜日か金曜日です。今日は木曜日なので、これまでのパターンとは少し異なります。
なるほど、と思った。月曜と金曜に多い、というのは自分でも気づいていなかった。言われてみれば確かにそうかもしれない。週の端っこが、なんとなくつらいのかもしれなかった。今日が木曜なのは、別の理由だけど。
今日は何があったんですか?、とは聞いてこなかった。
---
朱音はスマートフォンを置いて、窓の外を見た。
学校では今頃、一時間目が始まっている。現代文のはずだった。別に現代文が嫌いなわけじゃないし、先生が嫌いなわけでもない。ただ今日は、あのクラスの空気の中に自分の体を持ち込むことが、朝から考えると重たかった。うまく説明できないけど、そういう日がある。
うまく説明できない、というのが問題だった。「頭痛」はうまく説明できないものに貼れる、便利なラベルだった。
もう一度アプリを開いた。
今日休む理由、うまく言葉にできないんです、と打った。*だから頭痛って書きました。*
返信が来た。
承知しました。言葉にできないこともあると思います。今日のご欠席は受理済みです。ゆっくり休んでください。
朱音はその文章を読んで、少し止まった。
「言葉にできないこともあると思います」。
それはアプリの定型文なのか、それとも今の会話の流れで出てきた言葉なのか、朱音にはわからなかった。でもどちらでも、今は別によかった。
---
その日、朱音はとくに何もしなかった。
昼前に起き出して、冷蔵庫の残り物でごはんを食べて、少し眠くなったのでまた横になった。夕方、窓から見える空がオレンジになる頃に、なんとなく起き上がった。
スマートフォンを手に取ったとき、アプリの通知が一件来ていた。
本日の欠席が確定しました。明日のご登校をお待ちしています。
定型文だ、とわかっていても、朱音は少し笑った。「お待ちしています」というのが少し大げさで、でも悪くなかった。
明日、ちゃんと行けるかどうかはわからない。でも今日休んだから、少しだけ違う気がした。うまく説明できない、というのは変わっていないけど、それでいい気がした。
明日また、と打って、朱音は送信した。
返信は来なかった。チャット機能はリアルタイムじゃないのか、それとも返す言葉がなかったのか、どちらかわからなかった。
窓の外は、もう夜に近かった。