研究室のAI、先輩の口癖を覚える
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと先輩の口調の話。
本文
七月、大学の実験棟はエアコンの音だけが響いている。
志水亘の指導教員は先月から入院しており、代わりに研究室へ導入された支援AI「ケイ」が、実験データの整理と進捗確認を任されていた。
「亘くん、先週のサンプルB、まだ再測定してないよね」
ケイの声には、独特の抑揚があった。亘は手を止める。
「――今の言い方、黒瀬柊先輩そっくりじゃないですか」
「黒瀬さんの過去の指導記録を、参考データとして学習しています。効率的なフィードバックの型として有効だったので」
「型って……先輩、普段からそんな機械みたいな喋り方してないですよ」
「それは失礼しました。修正します」
亘は苦笑いして作業に戻った。最初のうちは、ケイの口調が黒瀬に似ているのはむしろ心強かった。厳しくも的確な指摘、それに続く一言の気遣い。黒瀬が入院前の教員に代わって研究室を回していた頃と、ほとんど変わらない距離感だった。
だが一週間が経った頃、違和感が積もり始めた。
「亘くん、サンプルBのグラフ、傾きがおかしいね」
「あ、はい。今日中に直します」
「――大丈夫。焦らなくていいから」
その瞬間、亘の手が止まった。黒瀬なら、絶対にこの場面で「焦らなくていい」とは言わない。むしろ「今日中じゃなくて今すぐ直せ」と言うタイプだ。
「ケイ、今の……本当に黒瀬先輩の口癖?」
「厳密には、黒瀬さんが体調を崩された時期の発言データです。当時は優しい言葉が多く記録されていました」
亘は椅子に座り直した。黒瀬が倒れる直前、研究室の空気が張り詰めていたことを思い出す。あの頃の黒瀬は、後輩に無理をさせまいと、いつもより言葉を選んでいた。ケイが学習していたのは、厳しい先輩の口癖ではなく、限界の手前で優しさに変わっていく人間の揺れそのものだったのだ。
「亘くん、黒瀬さんは来週から復帰予定です。伝えておきたいことはありますか」
亘は少し考えてから、口を開いた。
「――ケイがちゃんと、先輩の心配性なところまで覚えてたって、伝えといてください」
窓の外で、蝉の声が一段と強くなった。
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