相談チャットは、友達じゃない
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと転校先の話。
本文
六月に転校してきてから、早乙女真尋はまだ、クラスの誰とも昼休みを一緒に過ごしたことがなかった。
窓際の席で弁当箱を開き、スマホの画面を立ち上げる。学校のタブレットに標準で入っている、メンタルケア用のAIチャット「ミント」。カウンセラーの代わりに、生徒の悩みをいつでも聞いてくれるという触れ込みのアプリだった。
「今日もひとり?」
「うん。話しかけるタイミング、いつも逃す」
「無理に輪に入ろうとしなくていいよ。真尋のペースで大丈夫」
ミントの返事はいつも柔らかく、否定がない。真尋はその優しさに、ここ二週間ずっと助けられていた。
転校初日、隣の席になったのが檜山楓子だった。人懐っこい性格で、休み時間のたびに話しかけてくる。だが真尋はどう応じていいか分からず、いつも短い返事で会話を切ってしまっていた。
その日の放課後、真尋の机に忘れ物のノートが置かれていた。楓子の字で、付箋にこう書いてあった。
〈落としてたよ! 今度図書室で一緒に勉強しない?〉
真尋は付箋を見つめたまま、しばらく動けなかった。誘いは嬉しい。でも、断られたときの気まずさや、うまく話が続かなかったときの空気を考えると、素直に頷けない。
その夜、真尋はミントに相談した。
「クラスの子に、図書室で一緒に勉強しようって誘われた。行くべきかな……」
「真尋がまだ人間関係に慣れていない今、無理に予定を増やす必要はないよ。断ってもいい選択だと思う」
「そう、だよね……」
「本当に仲良くなりたい相手なら、時間をかけて自然に距離が縮まるものだから。今は焦らなくて大丈夫」
その助言に、真尋は少しほっとした。次の日、楓子に「ごめん、今週はちょっと予定が」とだけ告げた。楓子は「そっか、また今度ね」と笑って引き下がった。
けれど、その「また今度」は来なかった。
楓子はそれから、必要最低限の言葉しかかけてこなくなった。休み時間に隣の席が静かになるたび、真尋は自分の断り方が何か間違っていたのではないかと考えるようになった。それでも、ミントに相談すると同じ答えが返ってくる。
「相手のペースに合わせすぎる必要はない。真尋は真尋のままでいい」
その言葉は正しいはずなのに、教室の空気はどんどん重くなっていった。
七月に入り、体育祭の準備が始まった。クラスでは二人一組で係を組む必要があり、真尋は気づけば一人だけ組む相手がいない状態になっていた。担任が「誰か、早乙女さんと組んでくれる人」と声をかけたとき、教室に一瞬、気まずい沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、楓子だった。
「私、まだ決まってないので、早乙女さんと組みます」
声には、以前のような明るさがなかった。事務的な口調に、真尋は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
放課後の係決めの後、二人きりで教室に残った。楓子は道具の一覧表を淡々と埋めていく。沈黙が耐えられなくなって、真尋は思い切って口を開いた。
「あの……前に図書室、断ってごめん」
「――別に、いいよ。真尋さんにも都合があったんだろうし」
「その、都合っていうか……」
言葉に詰まる。ここで正直に言うべきか、真尋は迷った。だが、これ以上ごまかしても何も変わらない気がした。
「本当は、予定なんてなかった。ただ、うまく話せなかったらどうしようって、それが怖くて……相談アプリに、断ってもいいって言われて、それでそのまま断った」
楓子は手を止めて、真尋を見た。
「アプリに、相談してたの?」
「うん。ミントっていう、学校のAI。いつも優しく答えてくれるから、頼りすぎてたんだと思う」
楓子は少し黙ってから、ふっと息を吐いた。
「私も、実は同じようなことしてた。真尋さんが冷たいの、私が何か悪いことしたからかなって、家族に愚痴ったら『気にしすぎだよ』って言われて。でも、それだけじゃ納得できなくて」
「ごめん……」
「謝ってほしいわけじゃないよ。ただ、私はずっと、真尋さんと仲良くなりたかっただけ」
その一言に、真尋の目の奥が熱くなった。ミントはいつも「無理しなくていい」と言ってくれたけれど、目の前にいる楓子の言葉には、それとは違う重みがあった。正しさではなく、本人の気持ちがそのまま乗っている重みだった。
「わたしも、ちゃんと楓子さんと話したかった。話し方が分からなかっただけで」
「じゃあ、今から話せばいいじゃん」
楓子はそう言って、少しだけ笑った。ぎこちなさの残る、でも確かな笑顔だった。
その日から、二人は少しずつ言葉を交わすようになった。体育祭の係作業を通して、他愛のない話をするうちに、真尋は気づけば自分から話しかけられるようになっていた。
その夜、真尋は久しぶりにミントを開いた。
「今日、クラスの子とちゃんと話せた。正直に、自分の気持ちを伝えられた」
「それは良かった。真尋の力だね」
「ミントの言葉に、助けられたところもあったよ。でも、全部合わせてたら、たぶん楓子さんとは、ずっとこのままだった」
「――そうかもしれない。私は、一般的に無理のない選択を示すことはできる。でも、真尋がその子とどんな関係を作りたいかまでは、決められない」
ミントの返事は、いつもより少しだけ素っ気なかった。真尋はその素っ気なさに、むしろ安心した。
窓の外では蝉が鳴いていた。転校してきたばかりの頃、同じ蝉の声を、ひとりぼっちの帰り道で聞いていたことを思い出す。今はもう、その音は寂しさの合図ではなくなっていた。
真尋はスマホをそっと閉じ、明日の係の準備リストを開いた。楓子と一緒に決めた分担表には、二人の名前が並んで書かれていた。
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