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悪役令嬢だって、幸せルート(ハッピーエンド)があっても良いじゃない!

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/17 📝 20,776文字 ✅ 全年齢

あらすじ

​追放された悪役令嬢レイラは、敵国の「氷の王子」カインと政略結婚。「心」を捨て“有能な駒”として生きることを選ぶ。だが、彼の冷たい瞳の奥には、レイラの「仮面」を溶かす優しさが隠されていた。これは、偽りの愛から始まる真実の幸福ルート。 ※誤字脱字多いかも……。 ※初めて章アリなんで、読みにくかったらごめんなさい……

本文

​第一章 追放の朝と王妃の誕生

白い石造りの裁きの間。冷たい視線がレイラに突き刺さっていた。

​「レイラ・フォン・ヴェスティア公爵令嬢。貴様には、この王国に対する数々の罪がある。本日をもって、全ての爵位と財産を没収。辺境の貧しい村へ追放とする!」

元婚約者である第一王子エドワードの声は、感情を排した冷たい響きを持っていた。

彼の隣には、平民出身の婚約者となったリリアナが、青い瞳に涙を湛えて立っている。

その涙は、レイラの罪を責めるものではなかった。むしろ、彼女の瞳には通されたことへの悲しみと、届かない想いへの諦めが滲んでいた。

レイラに嫌われていると思い込んだまま、彼女は何も言えずに立ち尽くしていた。ただその沈黙が、皮肉にも“罪の証人”として機能してしまっていた。

​「……承知いたしましたわ」

​レイラは淡々と応じた。彼女の心は既にとうに死んでいた。悪役の役割を強いられ、実家の秘密を守るために耐えてきた日々。その全てが、この一瞬で「悪意」として断罪されたのだ。

​(ああ……わたくしだって、幸せになりたかった。ただ、平穏に生きたかっただけですのに……)

​ 豪華なドレスは既に粗末な旅装に替えられ、レイラは護衛兵に連行された。辺境の寒村で、彼女を待つのは緩慢な死か、あるいは隷属か。レイラは、これが自分の「悪役」としての定められた最期だと受け入れていた。

(何がいけなかったというの……?わたくしは、ただ家族を守りたかっただけだというのに……。どこで……、間違ってしまったのだろう……)

レイラはそう、馬車に乗りながら外を眺めて思う。

​辺境へ向かう馬車が、国境の手前で突如として停止した。護衛兵たちが慌てて馬車から降りた直後、扉の向こうから硬質な声が響いた。

「この女を引き渡せ。これは我が国と、貴国との国交に関する取引だ」

​レイラが顔を上げると、馬車の窓越しに、黒い軍服を纏った見慣れぬ男たちの姿が見えた。彼らは隣国、鉄の規律と冷酷な軍事力で知られる大の兵だった。

​護衛隊長は狼狽していた。

「なっ!どいうことだ!これは我が国の追放者であり……!」

​「なるほど、追放者か。利用価値のなくなった生贄というわけだ」

(何の騒ぎですの?)

​ その時、一人の男が馬車に近づいた。彼は黒い革手袋を外し、レイラの目の高さまで身をかがめた。その顔は端正だが、瞳の奥に感情の動きは見えない。

​「レイラ・フォン・ヴェスティア。私は隣国の第二王子カイン・ヴォルフ・ハドリアン」

​ 男はそう名乗った。『氷の王子』と呼ばれ、その残忍な采配で有名な人物。

​「我が国は、貴国との長年の諍いを収める政略結婚の相手を求めている。そなたを王妃として迎え入れると、正式に通達した。貴国は既に受け入れている」

​ レイラは息を飲んだ。辺境への追放から一転、敵対国の王子との政略結婚という、さらなる破滅の道。彼の瞳はレイラの怯えも絶望も見ていない。ただ、品定めをするかのように、無機質に彼女の顔を見つめていた。

​「感情は不要。そなたは“王妃”という機能を果たせば、それでいい。そして、祖国での評判通り、傲慢で冷酷な王妃として振る舞うことだ」

​ カイン王子は言った。

​「私の王妃に、心など必要ない」

​​その一言は、レイラの胸に深く突き刺さった。――心。家族を守るために使い、最後は裏切られた、哀れな残骸。

​ レイラは顔を上げ、カインの冷たい目を見返した。もう、失うものはない。利用されるのならば、徹底的に利用されてやろう。少なくとも、辺境の寒村で飢え死にするよりはマシだ。

​「承知いたしました。カイン王子」

​ レイラはかつて社交界の悪役として培った、完璧な礼と無表情を整えた。

​「王妃としての役割、確かに拝命いたしますわ」

護衛隊長は狼狽していたが、隣国の正式な文書と、カイン王子の圧倒的な威圧感には逆らえず、歯噛みしながらもレイラを引き渡した。

​レイラは粗末な馬車から、隣国の黒塗りの重厚な馬車へと乗り換えさせられた。窓から見える祖国の風景が遠ざかっていく。

​カイン王子は彼女と向かい合う席に座ったが、レイラに視線を送ることなく、分厚い書類に目を通している。

​静寂の中、レイラは口を開いた。

​「殿下は、私の悪評を全てご存知のはず。なぜ、私を?」

​ レイラは、これが政略結婚の相手として最低限知っておくべきことだと考えた。

​カインは書類から目を離さず、短く答えた。

​「悪評こそ、利用価値がある。祖国に憎まれ、追放された女。隣国がそのような者を選ぶことに、誰も疑念を抱かない」

彼はそこで一度言葉を止めた。レイラは、胸の奥が冷たくなるのを感じながら、息を詰めた。

​「そして、私は知っている。社交界の陰口や、王子との騒動の裏で、貴様がどれほど冷静に、どれほど効率的に状況をコントロールしようとしていたかを」

​カインはようやくレイラに視線を向けた。その目には、冷たさとは裏腹の、鋭い探求心が宿っていた。

​「私の求める王妃は、愛を語る人形ではない。盤面を冷静に見つめ、感情を殺して手を打つ有能な駒だ。その点において、貴様は適任だ。心など、必要ない」

​「……」

​レイラは俯いた。心を求められず、その能力だけを必要とされることが、これほどまでに安堵できるとは。家族を守るための“心“は自分を破滅させたが、この国では“心がない”ことこそが強みになる。

​ 彼女の"幸せルート"は、"悪役"のスキルと"心がない"という最大の弱点を武器に変える場所で、皮肉にも幕を開けたのだ。

第二章:氷の宮廷と、仮面の初日

レイラが隣国の宮廷に到着したのは、曇天の午後だった。

黒塗りの馬車が石畳を軋ませながら進むたび、周囲の視線が冷たく突き刺さる。

彼女は“王妃”としての役割を演じる準備を、すでに整えていた。心を持たないふりをして、冷酷な王妃として振る舞う。それが、彼女に与えられた新たな舞台だった。

宮廷の扉が開かれた瞬間、空気が変わった。重厚な絨毯、無表情な侍従たち、そして誰も歓迎の言葉を口にしない沈黙。レイラは一礼し、無表情のまま歩を進める。

彼女の足音だけが、広間に響いていた。

(……当然ですわね。わたくしは今、氷の王子の婚約者。ましてや、追放された身ですもの。歓迎など、あるはずもないわ)

その夜、晩餐の席にて。

カイン王子は王座の隣に座るレイラに一瞥もくれず、淡々と食事を進めていた。周囲の貴族たちは、レイラを“悪役王妃”として見る目を隠そうともしない。それでもレイラは、完璧な礼儀と冷淡な微笑みで応じた。

彼女は“仮面”をかぶっていた。それは、心を守るための鎧でもあった。食後、カインがふと口を開いた。

「よく演じていたな。祖国の評判通りだ」

レイラは静かに答えた。

「演じることには、慣れておりますの」

その言葉に、カインはわずかに目を細めた。それが嘲笑なのか、興味なのかレイラにはわからなかった。

ただ、その視線の奥に、ほんの一瞬だけ“孤独”のようなものが揺れた気がした。レイラはその夜、寝室の窓辺でひとり思った。

(この国では、心を持たないことが強さになるのね。けれどあの人の瞳の奥にあったものは、何だったのかしら……)

そんなことを考えていると、誰かがレイラの部屋の扉を叩いた。

(こんな時間に、誰かしら……?)

「どうぞ。開いておりますわよ」

レイラがそう言うのと同時に、扉が静かに開いた。入ってきたのは、黒い軍服姿のカイン王子だった。

「夜分に済まない、レイラ。今夜中に処理すべき書類がある」

彼は淡々とそう告げると、手にした書類を机の上に置いた。

その動作に、感情の揺れは一切ない。けれどレイラは、ふと感じてしまった。

この人は、誰にも頼らず、誰にも弱さを見せずに立ち続けているのだと。

微かに目の下にあるクマを見て、レイラはいつも入れてもらっているラベンダーティーをカインの前に置く。カインは、それを見て少し眉をひそめながら言う。

「……これは、何の真似だ?」

「何って、ラベンダーティーですわ。知っていまして?ラベンダーには、リラックス効果がありますのよ」

「それは、俺も知っている。そのことを聞いているんじゃない。何故、君が俺にこんな事をするのか聞いている」

そう言う、カインにレイラは一口飲んでから答える。

「遅いティータイムですわ。今日は朝から忙しかったですもの、ティータイムをする暇もなかったですの。だからカイン様、少しわたくしに付き合ってくださる?」

カインは少し考えてから、言う。

「……そいう事なら、仕方ないな」

カインは前に出された、ラベンダーティーを一口飲む。それを見てレイラも、もう一口飲みながら心の中で思う。

(遅いティータイムなんてただの口実。本当は、少しでも休んで欲しかったの。……あんな、目の下にクマまでつけていますもんの。気になって仕方ありませんわ)

カインは黙ってティーカップを置いた。その指先が、わずかに震えているように見えたのは、気のせいだったのだろうか。

「……香りが強すぎるな。だが、悪くない」

彼はそう言って、窓の外に視線を向けた。

夕暮れの光が、彼の横顔を柔らかく照らしている。

レイラは、カップを両手で包みながら、静かに言葉を継いだ。

「カイン様は、いつもお忙しいですもの。少しでも、心が休まる時間があればと思いまして」

「心など、必要ないと言ったはずだ」

「ええ、存じておりますわ。でも……“必要ない”と“持っていない”は、違いますもの」

カインは、何も言わなかった。ただ、ラベンダーの香りが満ちる室内で、沈黙がふたりを包んだ。

その沈黙は、冷たさではなく、どこか――心の残骸が、静かに揺れるような温度を持っていた。

第三章:遅いティータイムと仮面の気遣い

翌朝、レイラは執務室の前を通りかかったとき、ふと足を止めた。

扉の隙間から、昨夜カインが持ち込んだ書類が、 机の上にそのまま残されているのが見えた。

その傍らには、空になったティーカップ。けれど、ラベンダーの香りだけが、まだ微かに漂っていた。

(……飲んでくださったのね)

レイラは小さく息を吐き、何も言わずにその場を離れた。

仮面のまま差し出した気遣いが、ほんの少しでも届いたのなら、それでいい。その日の午後、カインは執務室で書類に目を通していた。ふと、昨夜のティーの香りが記憶の底から立ち上がる。

あの柔らかな香りと、レイラの静かな声。

『……“必要ない”と“持っていない”は、違いますもの』

彼はペンを止めた。あの言葉が、なぜか頭から離れない。

必要ない。持っていない。その違いを、彼はこれまで考えたことがなかった。

(……くだらん)

そう呟いて、再びペンを走らせる。だが、心のどこかに、“必要ない”と切り捨ててきた何かが、微かに疼いていた。ふっと空になったティーカップ見て、いつの間にか中身がない事に気づく。カインはもう一度飲むために、キッチンに向かう途中、レイラが他の王子話している所に出くわした。

「レイラ。あの方と、うまくやっていけそうですか?」

そう問いかけてきたのは、第三王子ケイン・スコットだった。

柔らかな金髪と、社交的な笑みを浮かべた彼は、レイラとは対照的な存在に見えた。

「兄上は、昔からああですから。感情を見せないのが癖なんですよ。まあ、あまり期待しない方がいいかもしれませんね。あの人に“心”なんて、ありませんから」

ケインは冗談めかして笑った。けれどレイラは、その笑みに滲む“諦め”のような色に、微かに胸を締めつけられた。

「……そうですの。来たばかりの、わたくしが言うのはお門違いかもしれませんけれど、“心がない”と“心を見せない”は、違いますわ。わたくしは、あの方のすべてを知っているわけではありません。けれど、軽々しく断じるには、まだ早い気がいたしますの」

その言葉は、まるで自分自身にも向けた祈りのようだった。レイラは“心を持たない王妃”として振る舞うことを選んだ。けれど本当は、誰よりも“心”を知っている。

だからこそ、見せないことと、持っていないことの違いを、誰よりも痛みとして理解していた。

ケインが目を瞬いた。

「それに、あの方は少なくとも、わたくしのような者を“王妃”として受け入れるだけの理性と責任をお持ちですわ。それだけで、私は十分に敬意を払う価値があると感じておりますの。それでは、わたくし、これから用がございますの。これで失礼いたしますわ。ケイン様」

レイラは微笑んだ。それは、完璧な仮面の笑み。けれどその奥には、昨夜のラベンダーの香りと、静かな沈黙の記憶があった。

レイラが去ったあと、ケインはしばらくその場に立ち尽くしていた。彼女の言葉が、思いのほか胸に残っていたのだ。

「……兄上に、そんなふうに言ってくれる人がいるとはね。追放者にして兄上の王妃。あれが噂の悪役令嬢のレイラ・フォン・ヴェスティア……ね」

彼は小さく笑い、踵を返した。

その数歩先、廊下の陰に立っていたカインは、手にしたティーカップを見つめたまま、動かなかった。

(“心がない”と“心を見せない”は、違う……か)

彼はその言葉を、まるで初めて聞くように、何度も反芻した。そして、何も言わずに踵を返し、ティーを淹れることなく執務室へ戻っていった。机の上には、昨夜のティーカップがまだ残っていた。

香りはもう消えていたが、あの言葉だけは――胸の奥で、まだ静かに揺れていた。

第四章:気づきたくない感情

執務室の扉が静かに閉じられた。

カインは、机の上に残されたティーカップを見つめた。香りはもう消えていた。けれど、あの言葉だけは――胸の奥で、まだ静かに揺れていた。

“心がない”と“心を見せない”は、違う……か。

その一文が、まるで棘のように、彼の思考に引っかかっていた。

くだらない。そう思いたかった。けれど、否定するほどに、なぜかその言葉が離れなかった。

カインは、なぜここまでにレイラが気になるのだろうか。そう思った。彼女はただの、偽りの"王妃"。今まで嫉妬、裏切り、他の令嬢に関しては王妃とういう地位にしか興味がなかった。

しかし、彼女はそんな王妃という地位や他の王子との陰謀などする素振りもない。

「レイラ・フォン・ヴェスティア……。悪役令嬢、追放者……。俺と同じで氷のような女……」

「氷のような女で悪かったですわね」

「……聞いていたのか」

「ええ。偶然ですわ。偶然、通りかかっただけですわ」

「……そうか」

「まあ、カイン様が“氷”とおっしゃるのなら、わたくしなど氷点下ですわね。けれど、氷は溶けることもございますのよ。……気温さえ、変われば」

カインは視線を逸らした。けれど、レイラの声は、確かに彼の中の氷をほんの少し、溶かしていた。

(……言い過ぎてしまったかしら?それに、一人称が変わっていますわ。それだけわたくしの事を信頼してくださってるのかしら……)

そんなことを思っていると、カインがいつもの冷たい声で言う。

「レイラ、ここに来たという事は、俺に何か用があるのでないか。ただ、俺に文句を言いに来たわけでもないだろ?」

カインは、先ほどレイラの言葉を気にしていたらしい。そんなところが、少し可愛いと思うレイラだった。

「そうでしたわ。近々、社交界パーティーが開かれるらしいですわね」

「そうらしいな。しかし、君はパーティー内でもいつも通りの"悪役令嬢”として振る舞ってもらうぞ」

カインは、目の前の書類を片づけながらレイラに言う。

「分かっていますわ。でも、少し一人の時間が欲しいですの。かまいませんこと?」

「……何か理由があるのか?」

レイラは、少し言うか迷ってから言う。

「……お世話になった、叔父様に挨拶がしたいのですの。それだけですわ」

「叔父上に……?」

カインは、また他の王子たちと結託をし裏切るのだろうと思っていたが違う返答に声が少し裏返る。

「ええ。叔父様は、わたくしが追放されたあとも、唯一手紙をくださった方ですの」

レイラは、静かに微笑んだ。

「“仮面をかぶっていてもいい。君の優しさは消えない”とそう、書いてありましたわ。それと、わたくしに姪っ子が産まれたとおっしゃってましたの。良ければカイン様も、ご一緒にどうです?」

カインは言葉を失った。 その言葉が、なぜか胸の奥に響いた。

「……いや、俺は……」

「そうですの……。では、気が変わりましたらわたくしに、声をかけてくださいませ。それでは、失礼いたしますわ」

レイラは一礼し、部屋を出ようとした。 その背中を見送るカインの視線は、いつもより長く、深かった。 気づかないふりをしながら、心の奥で何かが静かに溶けていくのを感じていた。

第五章:社交界と叔父との再会

馬車の前に立つカインを見て、レイラは思わず足を止めた。

「……断ったはずでは?」

「護衛だ。王妃が外出するなら当然だろう」

「まあ……そうですわね。では、よろしくお願いいたしますわ」

レイラは仮面のまま微笑んだ。けれど、その頬は、ほんの少しだけ紅く染まっていた。

叔父の屋敷は、王都の外れにひっそりと佇んでいた。

カインは無言のままレイラの隣を歩いていたが、時折、彼女の横顔に視線を向けていた。

「叔父様は、昔から静かな方ですの。けれど、わたくしが仮面をかぶるようになってからも、変わらず接してくれました」

「……そうか」

それだけの言葉だったが、カインの声はどこか柔らかかった。

「やあ、レイラ。よく来てくれたね」

玄関先に現れたのは、白髪交じりの穏やかな紳士だった。セドリック・ヴェスティア、レイラの叔父である。

「レイラ。その、お連れの方は?」

「彼はカイン・ヴォルフ・ハドリアン様です。王子にして、わたくしの……夫ですわ」

カインはわずかに眉を動かしたが、黙って一礼した。

「そうか。君が、レイラを選んだのだね」

「……選んだ、というよりは」

「いや、選んだのだろう。あの子は、誰かに選ばれることを、ずっと恐れていたからね……」

カインは言葉を失った。レイラは、静かに微笑んでいた。けれど、その瞳はどこか潤んでいた。

「姪っ子を見ていくかい?まだ小さいが、よく笑う子でね」

「ぜひ。カイン様も、ご一緒にいかがです?」

「……ああ」

それは、ほんの短い返事だった。けれど、レイラの胸の奥に、静かに温かいものが灯った。二人は屋敷の中に入って行った。

そこにいたのは、叔父の妻の腕に抱かれた、小さな赤子だった。

「この子が、君の可愛い姪だよ」

「まあ……。可愛い……」

レイラはそっとしゃがみこみ、赤子の頬に指を添えた。

仮面の奥で、目元がふと緩んだ。赤子がレイラの指をぎゅっと握る。レイラは驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑み、そっと握り返した。

「……小さな手ですのね」

カインは、その光景から目を逸らせなかった。彼女の仮面の奥に、確かに“優しさ”があることを、否応なく感じていた。

「叔父様、この子の名前はなんですの?」

「アリスだよ。妻に似て、かわいい子なんだよ」

「アリス……」

レイラは、セドリックの言葉を繰り返す。その声には、優しさが含まれていた。レイラは、優しい笑みを浮かべながら、アリスに言う。

「ふふ……。アリス、お母様のような立派なレディーになるのですのよ」

そう言うと、アリスはきゃきゃと笑う。カインは、アリスの笑い声に目を細めた。

その音が、なぜか心の奥に残った。

(……仮面のままでも、優しさは届くのか)

屋敷を出る頃には、陽が傾き始めていた。馬車の中、ふたりはしばらく無言だった。

「……君の叔父上はいい人だな」

「ええ。わたくしが“悪役令嬢”と呼ばれるようになってからも、変わらず接してくれましたの」

カインは、窓の外を見ながらぽつりと呟いた。

「“仮面をかぶっていても、君の優しさは消えない”……か」

レイラは驚いたように彼を見た。けれど、カインはそれ以上、何も言わなかった。

翌日、社交界のパーティー会場。レイラが姿を現すと、令嬢たちの視線が一斉に集まった。

「まあ、あれが“氷の王子”の王妃様?ずいぶんと地味ね」

「何で、カイン様はあんな女なんかを……?」

レイラは、他の令嬢に微笑んだ。

「あら、あの方がわたくしを選んだ理由を、あなた方が知る必要はございませんわ。けれど、あえて申し上げるなら王子の見た目や地位にばかりこだわっている時点で、カイン様に選ばれることはないと思いますの」

令嬢たちは言葉を失った。

その瞬間、遠くからカインの視線がレイラに注がれていた。それに気づいた令嬢のひとりが、悔しげに唇を噛んだ。

その視線に気づいたレイラは、ふと目を伏せた。

(……気づかないふりをしていたのは、わたくしの方かもしれませんわね)

第六章:仮面の奥の記憶

社交界の喧騒の中、レイラは一人、静かにグラスを傾けていた。

令嬢たちの視線はまだ刺さるようだったが、彼女は微笑みを崩さなかった。

「……やっぱり、あなたは変わらないのですね」

その声に、レイラはふと振り返った。そこに立っていたのは、かつての学友だったリリアナ・エルステッド。

「リリアナ……様」

「私に“様”なんて、やめて下さい。昔みたいに……、リリアナと呼んで欲しいです。レイラ様」

レイラは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに仮面の微笑みに戻った。

「何をおっしゃいますの?今の身分では、あなたの方が上ですことよ?」

「それでも……!レイラ様には昔のように呼んで欲しいのです……。それに、レイラ様は昔からそうでした。誰よりもお優しいのに、それを見せるのが下手で……」

「仮面をかぶっている方が、楽な時もございますの」

「……でも、私は知っています。あなたが、誰よりも人の痛みに敏い人だってこと……。それを私は、誰よりも知っています」

レイラは何も言わなかった。けれど、その手元のグラスが、わずかに揺れていた。

「レイラ様が、庶民の私をかばって罰を受けたこと、覚えていますか?」

「……そんなこと、ありましたかしら?」

「覚えていなくてもいいのです。私は嬉しかったので……。レイラ様は“悪役令嬢”なんかじゃない。その仮面をかぶってるだけです」

レイラは、ふと視線を逸らした。その先に、カインの姿があった。

彼は遠くから、こちらを見ていた。けれど、目が合うとすぐに視線を逸らした。

(……気づいているのかしら。わたくしの仮面の奥に、何があるのか)

「リリアナ。あなたは、変わらず優しいのですわね」

「レイラ様が変わらないからです。私は、あなたの味方でいたいので……」

レイラは、仮面のまま微笑んだ。その震えに、リリアナは気づいていた。そして、遠くから見ていたカインも気づいていた。けれど、誰もそのことを口にはしなかった。

それは、まだ言葉にしてはいけない“優しさの記憶”だったから。

第七章:知ってなお惹かれる

リリアナは、外で少し風を浴びてくると言った、レイラの後ろ姿を見つめていると、声がした。

「リリアナ・エルステッド。少し、話がしたい」

社交界の喧騒が遠ざかる中、カインは静かに声をかけた。リリアナは驚いたように振り返ったが、すぐに頷いた。それが、レイラの事だと分かっていたからだ。

「カイル様?……レイラ様のことですね」

「ああ。君は、彼女の過去を知っているようだった」

リリアナは、少しだけ目を伏せた。そして、リリアナは静かに語り出した。

「はい……。知っております。……レイラ様は、昔から“優しさを隠す”のが癖でした。庶民だった私をかばって罰を受けたことも、令嬢たちの陰口を黙って背負ったことも誰にも言わず、ただ仮面をかぶっていました」

カインは黙って聞いていた。その瞳は、どこか遠くを見ているようだった。

「彼女は、誰かに選ばれることを、ずっと恐れていたんです。選ばれたら、また傷つくかもしれないから。だから仮面をかぶって、誰にも本音を見せなかった。私にさえ、見せてくださらなかった……」

「……それでも、君は彼女の味方でいたいと?」

「はい。だって、レイラ様は誰よりもお優しい方だと知っていますので」

リリアナは微笑みながら、答える。

カインは、ふと目を伏せた。その胸の奥で、何かが静かに溶けていくのを感じていた。

「カイル様?どこか、ご気分が悪いのですか?」

「……いや、何でもない。それより、もし彼女が戻ってきたのなら、無理はするなと伝えてくれ」

カインは、そう言ってリリアナに背を向ける。そんなカインにリリアナは慌てて声をかける。

「あっ!カイン様は、どちらへ?」

「私は、先に部屋に戻る。レイラにもそう伝えてくれ」

「ふふ、分かりました。レイラ様にお伝えいたします。カイン様も、レイラ様のことが心配なのですね……」

リリアナは氷の王子が、なぜレイラを選んだのか分かったのだろう、リリアナは快くその伝言を受け入れた。

夜、執務室。

カインは、机の上に置かれた一枚の手紙を見つめていた。それは、レイラが追放された直後に、セドリックが彼女に送ったものだった。

『悪役令嬢という仮面をかぶっていても、君の優しさは消えないよ。レイラ……君はいつまでも優しくて、可愛い僕の姪っ子だよ』

その一文が、胸に刺さった。

(……俺は、何を見ていた?彼女の悪役令嬢という仮面か?それとも……その奥にある、優しさか……)

第八章:仮面のまま君を選ぶ

翌朝、レイラが庭園で一人佇んでいた。カインは、静かにその背に声をかけた。

「レイラ」

「カイン様。どうなさいましたの?」

「君の過去を、少しだけ聞いた。リリアナから」

レイラは、わずかに目を見開いた。けれど、すぐに仮面の微笑みに戻った。

「まあ……余計なことを。乙女の秘密を、殿方が探るのは紳士とは言えませんわよ」

レイラは、冗談交じりに言う。しかし、カインは真面目に答える。

「そうだな。だが俺は、知ってよかったと思っている」

レイラは、言葉を失った。

「君が何を背負ってきたのか、少しだけ分かった気がする。そしてそれでも、俺は君に惹かれている……かもしれない」

レイラは、口元を隠しながら微笑んだ。けれど、その瞳は、ほんの少しだけ潤んでいた。

「ふふ。なんですのその言い方!かもしれないなんて、あいまいですわね!」

それを聞いたカインは、顔を赤くしながら言う。

「仕方ないだろう……。こんな感情は初めてなんだ……!」

レイラは、微笑みながらそっと言った。

「……そっちの方が、わたくしは好きですわ」

ふたりの間に、短い沈黙が流れた。けれど、それは気まずさではなく、どこか心地よい静けさだった。 カインは、そっとレイラの隣に立った。触れない距離で、けれど確かに“隣”だった。

レイラは、仮面のまま、けれどほんの少しだけ肩を寄せた。それだけで、ふたりの距離は、確かに変わっていた。暖かい風が吹く。まるでこれからの二人を祝福しているかのように。

第九章:揺れる心

リリアナのもとに、淡い香りのする便箋が届いたのは、朝の光が差し込む頃だった。

『拝啓 リリアナ様

先日は、私のような者に温かいお言葉をありがとうございました。

あの時、あなたの言葉に救われたのはわたくしの方です。つきましては、ささやかではございますが、お茶の席をご一緒いただけませんでしょうか。エドワード様とのご婚約、心よりお慶び申し上げます。ご多忙の折とは存じますが、心よりお礼を申し上げたく存じます。

レイラ・フォン・ヴェスティア』

リリアナは手紙を読み終えると、そっと微笑んだ。

「ふふ……レイラ様らしいです。初めてのレイラ様からの、お茶会のお誘い楽しみ!何を着て行こうかしら?あっ!レイラ様が初めて褒めてくれた服で行こう!」

その日の午後、ふたりは庭園の奥にある小さな東屋で向かい合った。

「本日はお招き、ありがとうございます。とても嬉しかったです」

「こちらこそ……来てくださって、ありがとうございますわ」

レイラは、ほんの少しだけ視線を揺らした。

「今日はお誘いしたのは、リリアナにご相談がありましたの……」

リリアナは、そっと紅茶を口に含んでから、静かに言った。

「ご相談ですか?私でよければ、レイラ様のお力になれるように頑張りますよ。それで、ご相談というのは……?」

「……わたくし、少し怖いのです。幸せになっていいのか、分からなくて」

「幸せになっていいのか分からない?」

レイラは顔を赤くして、小さな声で答える。

「その……こないだあるお方から、わたくしに対して熱心なご関心を寄せているとお言葉をいただきましたの……」

レイラは、そっと視線を落とした。

「それはカイン様……でしょうか?」

リリアナの問いに、レイラはわずかに肩を震わせた。

「……ええ。けれど、わたくしには……過去がありまの。仮面をかぶらなければ、立っていられないような……」

「それでも、カイン様は“今のレイラ様”を見て、好いていらしゃるのでしょう?」

リリアナの声は、あくまで静かで、優しかった。

「……そうだとしても、わたくしがその気持ちに応えてしまったらまた誰かを傷つけてしまうのではないかと……怖いですの」

「レイラ様……」

リリアナは、そっとカップを置き、まっすぐにレイラを見つめた。

「レイラ様。誰かを想うことは、誰かを傷つけることと同じではありません。それは、あなたが“優しい方”だからこそ、そう思ってしまうのです」

レイラは、ほんの少しだけ目を伏せた。その時だった。ふと、風が止んだ。

庭園の奥、木々の間に、黒い影が揺れた。

「……?」

レイラが気づいた瞬間、リリアナの背後から、何かが飛び出してきた。

「リリアナ様、危ない――!」

叫んだのは、リリアナの側に控えていたメイドだった。

彼女は咄嗟に身を投げ出し、リリアナを庇うようにして刃を受けた。

「……っ!」

レイラの視界が、ぐらりと揺れた。血の匂い。 誰かが、自分の代わりに傷つく光景。それは、遠い記憶と重なってレイラは、崩れるようにその場に倒れた。

視界がゆっくりと霞んでいく。紅茶の香りも、風の音も、遠ざかっていく。

──血の匂い。

──誰かが、自分の代わりに傷ついた。

──あの時と、同じ。

「お兄様っ……!」

声にならない声が、唇から零れた。

──あの日と同じ。

──夜会の帰り道。

──突然現れた暴漢。

──恐怖で動けなかった自分。

──庇ってくれた兄の背中。

──倒れた兄の手のひらに、血が滲んでいた。

『レイラ、大丈夫だよ。怖くない。俺が守るから……』

──その言葉が、ずっと胸に残っていた。

──守られたことが、嬉しかった。

──でも、兄が傷ついたことが、怖かった。

──だから、誰かに守られることが、怖くなった。

「……誰かが、わたくしのために傷つくのはもう……いや……!嫌ですわ…!!」

レイラはそう暗闇の中で叫ぶ。

そして意識が、深い水の底へ沈んでいく。涙が滲んだ。その涙は、誰にも見えないまま、静かに頬を濡らした。

カインは、レイラの寝台の傍らに静かに座っていた。

机の上に、封を切られていない一通の手紙が置かれている。それはレイラ・フォン・ヴェスティア宛だった。差出人は、アレク・フォン・ヴェスティア。

カインは、そっと手紙を手に取った。

「……兄、か」

レイラは、苦しげな寝息を立てていた。眉間に皺を寄せ、何かに怯えるように。カインは、封を開けるかどうか、ほんの少しだけ迷った。けれど、彼女の震える指先を見て、そっと決意する。

『レイラへ

レイラ、元気にしているかい?君はまだ、あの時の事を思っているようだね……。もう気にしまくていいんだよ。あの時君を守れたこと、俺は誇りに思っているよ。だから、もう自分を責めないでほしい。

俺は君が笑っていてくれるなら、それだけでいいだ。

たまには、君が元気にしている姿を見せておくれ。妻のアリサも君を心配していたからね。また、手紙を書くよ。

アレク・フォン・ヴェスティア』

カインは、手紙を読み終えると、静かにそれを元の場所に戻した。そして、レイラの手をそっと包み込むように握った。

「……君は、もう赦されている。俺が、そう信じる。だから、早く……目を覚ましてくれ……」

第十章:この痛みが恋だとしたら

静寂の中、微かな温もりが指先に触れた。

レイラは、ゆっくりと瞼を開いた。

天蓋の布が揺れている。窓の向こうに、淡い光が差し込んでいた。

「……ここは……?」

寝台の上。そして、自分の手を包むように握る、誰かの手。

「……カイン様……?」

声は掠れていた。けれど、彼はすぐに顔を上げ、安堵の色を浮かべた。

「レイラ!よかった、目を覚ましてくれて……!」

レイラは、そっと視線を巡らせる。机の上に、一通の手紙が置かれていた。

封は切られていない。けれど、ほんの少しだけ位置がずれているように見えた。

(まさか、読まれた……?)

胸の奥が、微かに疼いた。けれど、カインの手は、まだ自分の手を優しく包んでいる。

「……ごめんなさい。ご心配をおかけして」

「謝ることじゃない。君が無事なら、それでいい」

レイラは、ほんの少しだけ微笑んだ。けれど、その笑みの奥には、まだ揺れる何かがあった。

「あの……、リリアナはご無事ですの……?」

「無事だ。君のメイドが庇ってくれた。メイドも傷は浅い」

「良かった……。リリアナは無事なのですね……」

レイラは、胸を撫で下ろした。けれど、あの時の影が、頭から離れない。

「……あの刺客。リリアナを狙っていたように見えましたわ。でも……もしかしたら……」

カインは、真剣な眼差しでレイラを見つめた。

「君を、狙っていた可能性がある。大丈夫だ、すぐに調べさせる。その間、君は少し休め……」

「お気遣いいただき、ありがとうございますわ。でも、もう大丈夫でしてよ」

「しかし……。……無理はするなよ?」

「分かりましたわ。カイン様も、ご無理はされませんように」

「分かった」

レイラは、カインに微笑んでそう言うが、ほんの少しだけ布団を握りしめる手は震えた。また、誰かが私のために傷つくかもしれない。その予感が、静かに胸を締めつけた。

カインは、レイラの部屋を出てすぐに執事に控えていた執事に今回の事件を調べるように言う。

「……リリアナが狙われたように見えたが、あの動きは不自然だった。 調べてくれ。刺客の出自、雇い主、そして……本当に狙われていたのは誰か。全て探し出せ。それと、俺がいない時のレイラの護衛も頼む」

「かしこまりました、カイン様」

執事は静かに頭を下げ、部屋を後にした。

カインは窓の外を見つめながら、拳を握りしめる。

「……レイラを、二度と傷つけさせはしない」

その頃、屋敷の奥。

誰も立ち入らない小間にて、ひとりの令嬢が苛立ちを隠しきれずにいた。

「……どうして!どうしてなのよ!なぜ、失敗したのよ!?あの女のせいよ!あの女さえいなければ……!!私が、カイン様の王妃になっていたのに!!!!なぜ、あの女を選んだの!!あの女よりも、私の方が美しく可憐でカイン様のお傍にいるのがふさわしいのに!!許さない!!許さないわ、レイラ・フォン・ヴェスティア!!!」

机の上には、破られた刺客の契約書。紅茶のカップは、床に落ちて割れていた。

「狙うべきは、リリアナじゃない!あの悪役令嬢レイラ・フォン・ヴェスティアよ……!」

令嬢は、鏡に映る自分の顔を睨みつけた。

「あぁ〜、カイン様……!次こそ、必ず……!必ず、あなた様の目を覚まさせて差し上げますわ!!」

その瞳には、嫉妬と焦燥と何か歪んだ執着が宿っていた。

第十一章:あなたを失いたくない

夜の帳が降りる頃、宮廷の大広間には仮面を纏った人々が集い始めていた。

レイラは、静かにその場に立っていた。

淡い銀の仮面が、彼女の表情を覆っている。けれど、その瞳だけは、どこか遠くを見つめていた。

「……レイラ」

振り返ると、カインがいた。

腕には包帯が巻かれている。以前、訓練で怪我したものだ。それでも、彼は変わらず、彼女の傍に立とうとしていた。

「怪我をしているのですから、無理をなさらないでくださいませ」

「問題ない。例え、怪我をしていても君の傍にいることが、俺にとっての安らぎなんだ」

レイラは、ほんの少しだけ目を伏せた。

この人は、優しい……。こんなわたくしにも、好意を寄せてくれる。"悪役令嬢"の仮面を付けていても……。それでも、傍にいてくれる。その事実が、胸の奥で静かに疼いた。

「……お兄様とお義姉様も、いらしているようですわ」

「君の晴れ姿を見に来たんだろう。アレクは、君のことをずっと気にかけていた」

レイラは、仮面の奥で微笑んだ。けれど、その笑みの奥には、まだ言葉にならない何かが揺れていた。

この夜が、何も起こらず終わればいい。けれど、胸騒ぎは消えない。

その時だった。楽団の音が一瞬だけ途切れ、ざわめきが広がった。

「……?」

レイラが振り返ると、仮面の群れの中に、違和感のある影がひとつ――

その影が、まっすぐに彼女へ向かってくる。

「レイラ、下がれ!」

カインの声が響いた瞬間、鋭い刃が空を裂いた。

「……っ!」

レイラは動けなかった。けれど、カインが彼女の前に立ち、刃を受け止めた。

「カイン様――!」

一面に広がる血の匂い。倒れ込むカイン。その姿が、兄の背中と重なった。

(また、誰かがわたくしのために傷ついた。また、守られてしまった。またわたくしは、失ってしまうの……?)

「……いや……いや……!カイン様あああああ!!!」

レイラの視界が揺れた。涙が滲んだ。その涙は、仮面の下で静かに頬を濡らした。

「もう……、いや!もう誰かを失いたくない……!どうして……!どうしてなの……!わたくしまた、どこで間違えてしまったの……!!」

その言葉は、誰にも聞こえないほど小さく。けれど、確かに、彼女の胸の奥で響いていた。

「いや、いや……!カイン様……!カイン様……!」

レイラは膝をつき、倒れたカインの傍に駆け寄った。

彼の胸元には、赤い染みが広がっている。けれど、彼は微かに目を開け、レイラを見つめていた。

「レイラ……無事で……よかった……」

その声は、かすれていた。レイラは、震える手で自分の仮面に触れた。もう、隠していられない。

「カイン様……ごめんなさい……!ごめんなさい……!!」

そう呟いて、仮面を外す。

銀の仮面が、床に落ちて乾いた音を立てた。

「わたくしのせいで……!お願い!カイン様、行かないで……!」

レイラは、カインの手を両手で包み込むように握った。

その手は、まだ温かかった。

「もう……誰かを失いたくないの……。あなたも……失いたくない……。だから……」

涙が頬を伝い、カインの手の甲に落ちた。その雫に、彼の指が微かに動いた。

「……レイラ……、泣かないでくれ……。君に涙など似合わない……。だから……いつものように、凛と……可憐に……」

その時、ざわめきの中から、二つの影が駆け寄ってきた。

「レイラ!」

「大丈夫!? 怪我は!?」

兄アレクと義姉アリサだった。

アレクはすぐにカインの傷を確認し、アリサはレイラの肩を抱いた。

「お兄様!お義姉様!!わたくしは、大丈夫ですわ!ですが……!カイン様が……!カイン様が……!!」

レイラは涙を流しながら、アリサに言う。服がカインの血で汚れるのも構わず、レイラを落ち着かせるように、優しく言う。

「落ち着いて、レイラ。大丈夫、彼は……生きてるわ。気を失っただけよ」

「……本当に……?」

「ええ。きっと大丈夫よ。だから、落ちついてレイラ……」

レイラは、小さく頷いた後、アリサの胸に顔を埋めた。

その背後で、衛兵たちが動き出す。

「そいつだ!あの仮面の男を取り押さえろ!

仮面の中に紛れていた刺客が、数人の衛兵に囲まれていた。もはや逃げ場はない。

仮面を剥がされ、顔が露わになる。

「離せっ!俺は、ただ貴族の令嬢に雇われただけだ!あの女に命じられたんだ……!」

会場がざわめきに包まれる。令嬢の名が、ざわざわと囁かれ始める。

「まさか……あの子が……?」

「嫉妬で……?」

「カイン様を?許されないわ……!」

怒りと驚きが渦巻く中、レイラは静かに立ち上がった。

仮面はもう、手の中にあるだけだった。

このままでは、誰かがまた、追放される。わたくしが、赦されてきたように、あの人も……。

レイラの視線が、令嬢の方へ向けられる。

第十二章:この痛みを知ったから

ざわめきは、怒りへと変わっていた。

「追放すべきだわ!」

「あんな卑劣な手を使うなんて……!」

「カイン様を傷つけた罪、償わせるべきよ!」

令嬢の名が、次々と囁かれる。

彼女は、顔を伏せたまま震えていた。けれど、その瞳には、まだ何かを訴えるような光が宿っていた。

レイラは、静かにその場に立っていた。仮面はもう外れている。けれど、彼女の表情は、誰よりも凛としていた。

「……待ってくださいませ」

その声は、静かだった。けれど、会場のざわめきは、ぴたりと止まった。

「その方を、追放しないでください」

令嬢が顔を上げる。会場がざわめく。

「レイラ様……?」

「なぜ……?」

レイラは、ゆっくりと令嬢の方へ歩み寄った。

その瞳は、まっすぐに彼女を見つめていた。

「わたくしも、かつて誰かを傷つけたことがあります。知らずに、誰かの心を踏みにじったことも……。だからこそ、分かるのです。人は、過ちを犯すものだと。そして、赦されることで、変わることができるのだと」

令嬢の瞳が揺れた。

「私は、あなたを赦します」

その言葉は、静かに、けれど確かに響いた。

「……その優しさが、いずれ後悔されるかもしれないですわよ?」

「……それでも私は許すことを選びますわ。それが、私の選択ですの」

会場は、再び静まり返った。

誰もが、レイラの言葉の意味を噛み締めていた。

その時、カインがゆっくりと目を開けた。レイラの姿を見つめ、微かに微笑む。

「やはり……君は……、優しいな」

レイラは、彼の傍に歩み寄り、そっと手を握った。仮面はないけれど確かに、恋と赦しがそこにあった。

それから数日後。

カインは、屋敷の寝室で静かに横たわっていた。傷は深かったが、命に別状はないという。

レイラは、彼の傍に椅子を置き、そっと寄り添っていた。

「……調べてましたのね。あの子のこと……」

カインが、静かに口を開いた。

「彼女の家は、以前から没落の危機にあった。父親は賭博に溺れ、母親は病で床に伏せている。……そんな中で、彼女は“誰かに選ばれること”だけが、家を救う手段だと信じていたらしい」

レイラは、そっと目を伏せた。

「……だから、カイン様を……?」

「そうだ。俺が第二王子とはいえ“次期当主”として注目されていたからな。彼女にとって、俺は“救い”だったんだろう。でも、君が現れた。君の存在が、彼女の“唯一の希望”を壊したんだ」

レイラは、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。あのとき、令嬢の瞳に宿っていた“訴えるような光”が、今になって理解できた気がした。

「……わたくしも、誰かを羨んだことがありますわ。だから、誰かの隣に立つ資格がないと、思いましたの……」

カインが、ゆっくりと手を伸ばした。レイラの手を、そっと包み込む。

「君は、誰よりも優しい。だから、赦せたんだ。 ……そして、俺は……そんな君に、惹かれた。優しくも、凛として、誰よりも家族思いの君に……」

レイラは、はっとして彼を見つめた。けれど、カインはもう微笑んでいた。まるで、すべてを知っていたかのように。

「……あの時、君が言いかけた言葉。“あなたを失いたくない”って……あれは、恋の言葉だったのだろう?」

レイラは、答えようとしてけれど、言葉が喉の奥で震えた。

「……それは。……あなたがいなくなってしまったら、本当にわたくしは追放者ですわ!そうなりたくないから、あの時はそう言いましたの!」

レイラは、耳まで真っ赤にしながら言う。その時、扉の向こうからノックの音が響いた。

「レイラ様、義姉君のアリサ様がお見舞いにいらしています」

レイラは、そっとカインの手を離した。けれど、その手の温もりは、まだ掌に残っていた。

「ごめんなさいカイン様……。また、夜にでも……」

そう言って立ち上がるレイラに、カインは微笑んだ。

「ああ……待ってるよ。ふふ、可愛い奴だ。耳まだ真っ赤だったな……」

カインは、レイラが部屋を出て行ってからそう呟いた。そして、その答えが “恋”であることを、彼はもう知っていた。

第十三章:恋が言葉になる

夜の帳が降りた頃、レイラは静かに屋敷の廊下を歩いていた。

手には、薄いショール。心には、まだ言葉にならない想い。

カインの部屋の前で、立ち止まる。扉の向こうには、彼がいる。あの夜、命を賭して守ってくれた人。そして、私の“仮面の奥”を見つめ続けてくれた人。

「……カイン様、入ってもよろしいですか?」

「ああ。構わない」

その声に、レイラはそっと扉を開けた。

カインは、ベッドに腰掛けていた。傷はまだ癒えきっていない。けれど、その瞳は、穏やかで、優しかった。

「……夜に来るって言っていたからな、ずっと起きていた」

「……ごめんなさい。遅くなってしまいましたわ……」

レイラは、彼の傍に座った。沈黙が、二人の間に流れる。けれど、それは苦しいものではなかった。

「……あの時の言葉。『あなたを失いたくない』って……」

カインが、静かに言った。

「……あれは、本当に恋の言葉だっただろう」

レイラは、少しだけ俯いた。けれど、すぐに顔を上げて、彼を見つめた。

「……はい。あれは、紛れもなく本心であり恋の言葉でしたの……」

その声は、震えていた。けれど、確かだった。

「あなたがいなくなるのが怖かった。あなたが傷ついた時、わたくしの世界が崩れるように感じましたわ。それが……恋なのだと、気づきましたの」

カインは、そっとレイラの手を取った。

「そうか。……俺も、君に惹かれていた。仮面の奥にある、君の優しさに。君が君のままでいてくれることが、俺にとっての救いだった」

レイラは、微笑んだ。それは、仮面のない本当の笑顔だった。

「これからは、仮面の外でも……あなたの隣に立っても、よろしいのですの?」

「当たり前だ。君の隣に、俺も立ちたい。たとえ周りが何というと、俺は君の隣に立って君にふさわしい夫になるとそう決めたのだ」

二人の手が、重なる。それは、役割でも義務でもない。ただ、感情のままに選ばれた、ひとつの答えだった。

恋が、言葉になった夜。レイラは、初めて“自分の声”で、誰かを想った。

仮面のない夜。

恋は言葉になった。そして、レイラは初めて“自分の未来”を見つめようとしていた。それは、誰かに選ばれる未来ではなく、自ら選ぶ未来だった。

第十四章:未来を選ぶ

舞踏会から数日が経った。

屋敷の庭には、春の気配が漂い始めていた。レイラは、カインと並んで歩いていた。仮面のない日々は、まだ少しだけ照れくさくて、けれど心地よかった。

「……静かですわね」

「君と並んで歩くだけで、十分だよ」

カインの言葉に、レイラは微笑んだ。けれど、その胸の奥には、まだ言葉にならない問いがあった。

「……これから、わたくしは何を選ぶべきなのでしょう」

「君が選びたいものを、選べばいい。誰かに決められる未来じゃなくて、君自身の未来を」

その言葉に、レイラはそっと目を伏せた。“悪役令嬢”としての役割、“家”の名を背負う重さ。それらを、少しずつ手放していくことが、今の自分には必要なのかもしれない。

その日の午後、レイラは兄アレクと義姉アリサのもとを訪れた。二人は、変わらず優しく迎えてくれた。

「……あの子のこと、聞きましたわ」

アリサが、静かに頷いた。

「……彼女は、家を離れて療養所に入ったそうよ。罪を償うというより、自分を見つめ直す時間を選んだのね」

「……赦された者の歩み、ですのね」

レイラの言葉に、アレクがそっと微笑んだ。

「レイラ、お前も変わったな。昔は、誰かに認められることばかり気にしていたのに今は、自分の目で誰かを見て、自分の言葉で選んでいる。これもカイン王子のおかげかな?」

アレクが冗談交じりに言う。レイラは、少しだけ照れくさそうに笑った。

「そんなことは……!いいえ、そうですわね……。それにお兄様とお義姉様に、赦されていたからですわ。あの時、わたくしを見捨てずにいてくださったから。だから、わたくしは誰かを赦すことができたのですの」

アリサが、そっとレイラの手を握った。

「これからは、あなた自身の役割を選んでいいのよ。“誰かの娘”でも、“誰かの婚約者”でもなく、“レイラ”として、何を望むのかを。私たちは、どんなあなたでも受け入れるわ。味方として、家族としても……」

「お義姉様……」

その言葉に、レイラは静かに頷いた。

未来は、まだ形を持っていない。けれど、選ぶことはできる。誰かに与えられるものではなく、自らの手で選び取るもの。

その夜、レイラは机に向かい、便箋を広げた。ペンを握る手が、少しだけ震えていた。けれど、そこに綴られる言葉は、もう“仮面の奥”のものではなかった。

「……わたくしは、カイン・ヴォルフ・ハドリアンの妻。これからは、レイラ・ヴォルフ・ハドリアンとして、歩んでいきますわ」

その先の言葉は、まだ誰にも見せない。けれど、それは確かに、“未来を選ぶ”ための第一歩だった。

最終章:幸せルート

春の風が、屋敷の庭に吹き抜けていた。レイラは、カインと並んで歩いていた。

自分の気持ちを自覚して、こうしてカインと歩いているとまだ少しだけ照れくさくて、けれど心地よかった。

「……昔のわたくしが、今のわたくしを見たら、驚くでしょうね」

「驚くだけじゃない。きっと、羨ましがるよ。それよりも昔の俺が今の俺を見たら、腑抜けたと思うかもな……」

「ふふ……。それこそあり得ますわ。誰よりも冷静で、冷徹の"氷の王子"。そんな方が今は、氷を溶かして人間らしさが生まれたのですもの……」

カインの言葉に、レイラは少しだけ笑った。けれど、その胸の奥には、確かに過去の自分がいた。 誰かに認められたくて、誰かより優位に立ちたくて、誰かを傷つけることで、自分を守っていた。それが、かつて“悪役令嬢”と呼ばれた私だった。

「……あの頃のわたくしは、幸せになる資格なんてないと思っていましたわ」

「でも今は?」

レイラは、カインの顔を見つめた。その瞳は、いつも通り穏やかで、優しかった。

「今は……自分で選んでもいいと思えるのですの。 誰かに与えられるものではなく、自分で選ぶ幸せを……」

カインは、そっとレイラの手を握った。

「君が選んだ未来に、俺がいるなら、それ以上の幸せはない」

その言葉に、レイラは静かに頷いた。

「そうですわね!」

その夜、レイラは机に向かい、便箋を広げた。

ペンを握る手は、もう震えていなかった。綴る言葉は、誰かに見せるためのものではない。

自分自身に向けた、未来への宣言だった。

『……わたくしは、かつて“悪役令嬢”と呼ばれていた。家のため、自分自身を守る為、罪のない人たちに罪を与えてきた。

許されないことをしたと自分でも思うわ。だけど、そんなわたくしでも良いとおっしゃってくださる殿方もいますの。わたくしは本当に恵まれていますわね……。でも、過去を忘れてはいけませんわ。

今があるのは、過去があるからこそですわよレイラ。過去のことをしっかりと思い出し、今の幸せを胸に抱いてあの方と幸せになるですわよレイラ……。

過去のレイラ・フォン・ヴェスティア

かつて“悪役令嬢”と呼ばれたわたくしが、今はあなたの隣で笑っている。仮面の奥にいたわたくしは、もういない。

今ここにいるのは、あなたと未来を選んだ、レイラ・ヴォルフ・ハドリアン。そしてこれが、わたくしの幸せルート。

了

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作者について

チェシャ猫

チェシャ猫

成人済み/文字書き一応絵師/pixivやBLoveやなろう(小説家になろう)に、小説投稿してる。小説【赤い糸】動画化しました♪※ヘッダー(自分の)小説をAI生成したやつ/目標は書籍化!/書く専門。 ...

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