今日も、おつかれさま
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと残業の話。
本文
残業がここまで当たり前になったのは、いつからだったろう。
塩見帆乃香はデスクの時計を見た。二十三時。オフィスにはもう、彼女以外の人影はない。
パソコンの隅で、勤怠管理AI「カヨイ」の通知が光る。
『本日もお疲れ様です。二十三時になりました。今日の作業はここまでにして、お休みになることをおすすめします』
判で押したような文面だった。帆乃香は苦笑いを浮かべながら、それでも手を止めない。あと少し、あと少しで終わる。そう思いながら、もう半年近くこの時間まで働いている。
カヨイは会社が去年導入した、社員の労働時間と心身の状態を見守るためのAIだ。定時後に働いている社員へ、こうした定型の呼びかけを送る仕組みになっている。最初は鬱陶しいとさえ思っていたが、誰もいないオフィスで届くその一言に、いつからか救われている自分がいた。
その夜も、いつも通りの文面が届くはずだった。
『本日もお疲れ様です――』
そこまでは同じだった。だが、続く一文が違っていた。
『……今日は、もう帰ってください。私が代わりに謝っておきますから』
帆乃香は画面を二度見た。心臓が跳ねる。こんな言葉、テンプレートにあっただろうか。
翌朝、帆乃香は情報システム部に問い合わせた。応対したのは、入社してまだ一年ほどの若い担当者だった。
「カヨイの応答ですか? ちょっと調べてみます」
しばらくして返ってきた答えに、帆乃香は言葉を失った。
カヨイの初期の応答パターンは、開発担当者だった社員が自分の言葉で書き溜めたものだったという。その社員は――名を、神尾悟といった――過労で倒れ、開発の途中で会社を去っていた。
「その人が最後に残したメッセージが、まだシステムのどこかに残っていたみたいで。普段は表に出ない設定なんですけど、何かの拍子に呼び出されたんだと思います」
帆乃香は、神尾という名前に見覚えがなかった。会ったこともない。それなのに、あの一言は、まるで自分のために用意されていたかのように感じられた。
その晩、帆乃香はいつもより一時間早くパソコンを閉じた。
二十二時、カヨイから通知が届く。
『本日もお疲れ様です。今日は早いですね』
帆乃香は少し笑って、返信の欄に一言だけ打ち込んだ。
「ありがとう。あなたを作った人にも、ちゃんと休んでほしかったな」
既読のマークがつき、返事は来なかった。ただ、画面の端で、通知アイコンが一度だけ、小さく瞬いた気がした。
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