第13話 冒険者の愚痴
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
昼は魔術師ギルドの魔導基盤保守班で働き,夜は王立魔導大学院の夜間課程に通う若手保守技師レクト・ノーウェル. 彼はギルドの廃棄倉庫で,旧式の喋る魔導書アルカを拾う. アルカは古文書や事故記録の照合に異常な強さを持つが,現場感がない. レクトには現場で拾う違和感があるが,過去記録への到達手段が足りない. 二人は互いの欠けを補い,生活記録,現場記録,雑談,失敗記録を積み上げながら,魔法世界の未解明問題に名前をつけていく.
本文
冒険者の愚痴は,音量が大きい.
赤葡萄亭の朝,東門から戻った三人組が,卓を占領してパンと煮込みを食べていた.革鎧には土,外套には草の種,顔には徹夜明けの苛立ちが張りついている.
「だから言ったんだよ,方位針が狂ってるって」
「狂ってたのはお前の勘だろ」
「勘じゃねえ.東の古井戸を越えた辺りで,針が北を嫌がったんだ」
俺は匙を止めた.
アルカもページを開く.
ロッサがこちらを見て,少しだけ顎を動かした.聞くなら今だ,という合図に見えた.
「すみません.その方位針,魔道具ですか」
冒険者たちは一斉に俺を見た.
「誰だ?」
「ギルド保守班のレクトです.王都の魔道具不具合を調べています」
「保守班が迷子まで直してくれるのか」
「直せるかは分かりません.記録はできます」
三人のうち,赤毛の男が笑った.
「変なやつだな」
「よく言われます」
《識別性は高いです》
「鞄も喋ったぞ」
「確認待ちの魔導書です」
「なんだそれ」
説明すると長いので,俺は方位針の話へ戻した.赤毛の冒険者は,面倒くさがりながらも話してくれた.東の古井戸の手前で針が揺れ,越えると一度北東を指し,井戸から離れると戻った.時刻は夜明け前.近くで犬が吠え,荷車の護符が鳴った.
「怪我は?」
「ない.ただ,魔力酔いっぽくなったやつがいる」
隣の小柄な女性が手を挙げた.
「私.頭が重かった」
俺は記録した.
「その方位針,見せてもらえますか」
赤毛の男は腰から小さな針盤を出した.古いが手入れはいい.安物ではない.針の根元に細い亀裂があるが,それだけで狂うほどではなさそうだ.
《製造刻印を確認してください》
アルカが小声で言う.
「王暦六五八年,東門工房製」
《西市場灯火柱連鎖破裂事故の前年です》
「また西市場か」
赤毛が眉をひそめた.
「何かまずいのか」
「まだ分かりません.ただ,記録したい」
「記録で腹は膨れねえぞ」
ロッサが横から言った.
「あんたらは先に食べな.レクト,聞くなら煮込み一皿おごりだよ」
「俺が?」
「情報料だ」
冒険者たちが笑った.俺は財布の中身を思い浮かべて,少しだけ泣きそうになった.
《研究費として記録しますか》
「食費だ」
《研究食費》
「混ぜるな」
煮込み一皿分の対価として,俺は詳しい経路を聞いた.冒険者の記憶は雑だが,歩いた者にしか分からない情報がある.ぬかるみ,犬の声,井戸の石蓋の欠け,夜明け前に冷えた風が吹いたこと.
ギルド記録に戻って調べると,東の古井戸周辺には最近の不具合報告がない.ない,ということになっている.ただし,苦情受付の雑記欄に「荷車護符がうるさい」「犬が夜明けに吠える」と二件だけ残っていた.
「雑記欄か」
《公式記録内の未整理領域です》
「赤葡萄亭の余白みたいなものだな」
《はい》
夕方,大学院でユリウスにその話をすると,彼は方位針の製造年に食いついた.
「王暦六五八年東門工房製なら,当時の標準磁針式と魔力偏向補正式の混合型だ.古井戸周辺の地脈が揺れれば,針が横を向く可能性はある」
「詳しいな」
「常識だ」
「全日制の常識,怖いな」
ミナは冒険者の魔力酔いの話に注目した.
「頭が重い,胸がむかむかする.ダンさんの警鐘符の話と似てる」
「場所は違うのに」
「時間は近い」
三人で記録板を並べる.東三区,北門,東の古井戸.直接つながっているとは言えない.だが,夜明け前という時間が重なる.
《仮説を提示します》
アルカが言った.
《王都東側の地脈枝に,夜明け前の魔力潮が発生している可能性があります》
ユリウスが即座に言った.
「飛躍がある」
《承知しています.典拠は不足しています》
「なら可能性に留めろ」
《留めています》
「言い方が強い」
俺は記録板に書いた.
仮説.王都東側,夜明け前,複数媒介の小乱れ.
要確認.
その下に,冒険者の言葉も残した.
針が北を嫌がった.
ユリウスはそれを見て眉をひそめた.
「詩か?」
「現場原記録だ」
「……残す意味はある.針の挙動をよく表している」
珍しく認めた.
夜,赤葡萄亭へ戻ると,ロッサが空の皿を片づけながら言った.
「どうだい,低価値の雑談は役に立ったかい」
アルカが一拍置いて答えた.
《評価を改めます.赤葡萄亭の雑談は,高価値な未整理記録である可能性があります》
ロッサは満足そうに笑った.
「可能性じゃなくて,朝飯代を払う価値があるって言いな」
《朝飯代を払う価値があります》
「よし」
俺は財布を見た.研究は,腹と懐にも響くらしい.
店を出る前に,赤毛の冒険者が方位針をもう一度見せてくれた.針は今,何事もなかったように北を指している.狂った証拠は残っていない.だからこそ,話を聞いた今しか記録できない.
「壊れてるなら工房に出すけどよ,普段は動くんだ」
「普段は動く,も記録します」
「そんなことまで?」
「異常が出る時と出ない時を比べたいので」
赤毛は少し考え,肩をすくめた.
「じゃあ,次に東へ出る時も見とく.ただし煮込み一皿な」
研究協力には費用がかかるらしい.
《継続観測者候補として記録します》
「冒険者を観測者にするのか」
《移動範囲が広く,東の古井戸周辺に接触します》
なるほど.赤葡萄亭は,ただ話を拾う場所ではない.街の外へ出る人間と,街の中に残る人間が交差する場所でもある.
俺はその夜,赤葡萄亭の見取り図を簡単に描いた.入口近くに門番,奥に冒険者,窓際に市場の商人,厨房側にロッサ.誰がどこに座るかで,聞こえる話も変わる.俺がいつも座る隅の席では,冒険者のぼやきは聞こえるが,厨房でロッサが拾う小声は聞こえない.
《観測位置の偏りです》
「飯屋の席順まで研究に入るのか」
《赤葡萄亭を観測点とするなら,必要です》
俺は頭を抱えた.だが,正しい.ロッサの目と俺の耳では,拾うものが違う.冒険者の愚痴を拾えたのは,たまたま近い席だったからだ.
翌朝から,俺は座った席も記録することにした.ロッサに言うと,「混んでる時に席を選べると思うんじゃないよ」と怒られた.それもまた,観測条件だった.
仕方なく,選んだ席ではなく,座らされた席,と欄名を変えた.すると急に現場らしくなった.自分で整えた条件より,押しつけられた条件のほうが多い.仕事帰りの客も,夜間課程の学生も,いつも都合のいい場所に座れるわけではない.
《制御不能条件として扱えます》
「便利な言葉にするな.まずは怒られたことを覚えておく」
ロッサの声は,表の端でまだ少し怖かった.