誘う
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大学2年生の橘ひなたは、ごく普通の女子大生。ある日、学校一のイケメンと噂される林武蓮と同じゼミになったことで、自然と彼を意識するようになる。 しかし蓮は恋愛に全く興味がなく、女の子から告白されても断り続けるクールな男。ひなたが話しかけても素っ気ない態度ばかり。 それでも一緒にいる時間が増えるうちに、ひなたは彼の不器用な優しさに少しずつ惹かれていく。 恋愛に無関心なイケメンが、初めて「恋の病」にかかるまでのドキドキラブコメ!
本文
三月に入った頃、さくらがひなたに旅館の話を持ちかけてきた。
「ねえ、春休みに温泉行かない?ちょっと調べてたら、いい感じの旅館見つけて」
スマートフォンを見せてもらうと、山の中にある小さな旅館だった。露天風呂があって、料理が美味しそうで、値段もそこまで高くない。写真を見ているだけで、ゆったりとした気分になった。
「いいじゃん、行こう行こう」
「でしょ?春休みの中頃はどう?」
「平気。バイトのシフト調整すればいけると思う」
二人で日程を決めかけていたところで、さくらのスマートフォンが鳴った。画面を見たさくらが、少し困った顔をした。
「あ、お母さんから。ちょっと待って」
さくらが電話に出て、廊下に出ていった。しばらくして戻ってきた顔が、申し訳なさそうだった。
「ひなた、ごめん。その日、おばあちゃんたちが帰ってくるって。忘れてた」
「あ、そっか。仕方ないね」
「せっかく決めたのに。ひなただけでも行ってきなよ、予約キャンセル料かかるから」
「一人で旅館はさすがに寂しいよ」
「誰か他に誘えば?」
さくらがにやりとした。その顔に、ひなたはすぐに察した。
「……さくら、今絶対何か考えてるでしょ」
「考えてないよ。ただ、誘える人いるんじゃないかなって」
「誰を」
「さあ、誰だろうね」
ひなたはため息をついた。さくらの言いたいことはわかっていた。わかっていたけれど、林武を旅館に誘う、というのはさすがにハードルが高かった。
「旅館だよ?泊まりだよ?」
「だから何」
「さすがに誘いにくいんだけど」
「クリスマスに家に呼んで、家まで送って、コンビニ行って、マンションまでついてったのに?」
「それとこれとは話が違う」
「どう違うの」
ひなたは答えられなかった。確かに、振り返ってみれば色々とハードルを越えてきた気がする。でも、旅館はまた別の話だ。
「……でも、あの後も心配してて」
「林くんのこと?」
「うん。お母さんと会ってから、なんか気になってて。春休みに実家帰るって言ってたし、息抜きになるかなって」
さくらが少し表情を和らげた。
「それ、ひなたらしいね」
「どういう意味」
「好きな人を心配してる、ってちゃんと言えばいいのに、息抜きって言葉でくるむところ」
ひなたは黙った。図星だった。林武のお母さんと会った日から、ずっと気になっていた。あの固い表情。春休みに帰るという言葉。実家に帰ったら、また同じような空気の中に戻るのかと思うと、なんとなく心配だった。
だから、その前に少し気分転換になればいいと思っていた。それは本当のことだった。
「……誘ってみようかな」
「うん、誘いなよ」
「断られたら?」
「その時はその時」
さくらがあっさりと言った。ひなたは深呼吸をして、スマートフォンを取り出した。
林武とのトーク画面を開いて、しばらく画面を見つめた。どう切り出すか。また例によって、あれこれ考え始めそうだったので、ひなたは思い切って打ち込んだ。
『春休みに温泉旅館行かない?さくらが行けなくなって、一緒に行ける人探してて』
さくらが行けなくなった、というのは本当のことだ。嘘はついていない。送信してから、ひなたはスマートフォンをテーブルに置いた。
「送った」
「はやっ」
「考えてたら送れなくなるから」
さくらが笑った。ひなたは落ち着かない気持ちで、画面を眺めた。既読がついたのは、数分後だった。
返信まで、少し時間がかかった。
『……旅館』
『そう。温泉あって、料理美味しそうで。一泊なんだけど』
また少し間があった。
『……男女で泊まるのか』
『部屋は別々だよ。旅館だから』
『……そうか』
『嫌だったら断っていいよ。無理に誘ってるわけじゃないから』
しばらく既読のままだった。ひなたはソワソワしながら待った。さくらが隣でじっと画面を覗き込もうとしているので、「見ないで」と肘で押した。
「気になるんだもん」
「うるさい」
そのとき、返信が来た。
『……わかった。行く』
ひなたは思わず声が出そうになって、口を押さえた。さくらがすかさず画面を覗き込んだ。
「来た!行くって!」
「見てたじゃん」
「だって気になるんだもん。よかったじゃん、ひなた」
「……うん」
ひなたは小さく笑いながら、返信を打った。
『ありがとう。日程とか詳しくはまた連絡する』
『……ああ』
スマートフォンを置いて、ひなたはため息をついた。嬉しいのか緊張しているのか、自分でもよくわからなかった。
「ひなた、顔赤いよ」とさくらが笑った。
「うるさい」
「旅館かあ。いいなあ」
「さくらが行けなくなったんでしょ」
「それはそうだけど。でも、ひなたと林くんの二人旅行、なんかいいじゃん」
「旅行って言わないでよ、息抜きだから」
「はいはい、息抜きね」
さくらがにやにやしながら言った。ひなたは視線を逸らして、旅館の写真をもう一度眺めた。
露天風呂。山の景色。静かな夜。
林武が少しでも気分転換できたらいい。それが一番の理由だ。それ以外の理由は、今は考えないことにした。
考え始めたら、緊張して眠れなくなりそうだったから。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。