迷い線

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/27 📝 2,918文字 ✅ 全年齢

あらすじ

AIと生成物の話。

本文

 県のコンクールに出す絵を描き上げた日、柏木かしわぎ冴さえは自分の作品より先に、判定画面を開いた。

 今年から、応募作はすべて一次審査の前に「創作性判定」を通すことになっている。生成AIで作った画像の応募が増えすぎたせいだ。制作過程の記録と完成画像を送ると、五分ほどで結果が返ってくる。

 部室の机で、冴はタブレットを両手で持ったまま待った。窓は開けっぱなしで、外の熱がそのまま入ってくる。床には消しゴムのかすと、誰かが落とした木炭のかけらが転がっていた。

 通知音。

 〈生成物の疑い:87%〉

 冴は画面を二度見た。

「……何これ」

 三か月かけた絵だった。中庭の藤棚を、朝の光で描いた。下描きから完成まで、全部この部室で描いた。誰よりも時間をかけたし、誰よりも丁寧に仕上げたつもりだった。

 同じ机で水彩の道具を洗っていた一年の庄司しょうじ柚希ゆずきが、覗き込んで小さく声を上げた。

「え、柏木先輩の絵がですか? あんなにきれいなのに」

「きれいなのに、なんだろうね」

 言いながら、冴の指は再提出のボタンを探していた。

     ***

 修正の一週間が始まった。

 人間らしさを足せばいい。冴はそう考えた。

 まず、輪郭線をわざと震わせた。定規で引いた枝を消して、手だけで引き直す。次に、空の色に薄いムラを作った。均一に塗ってしまう癖があるのは自覚していた。花房のいくつかは、あえて形を崩した。

 判定に出した。

 〈生成物の疑い:89%〉

 上がっている。冴はしばらく画面を見つめて、それから今度は逆をやった。震えを消して、隅の一枚の葉だけ塗り残す。判定は91%になった。

 三度目には、木炭で影を強く入れた。94%。

 何をしても数字は増えた。増えるたびに冴は、自分の絵のどこかが「人間ではない」と言われている気がした。

 金曜の放課後、冴は判定の詳細ログを開いた。今まで結果の数字しか見ていなかった。細かい項目が並んでいる。〈筆致の分散〉〈制作過程の記録の連続性〉〈修正痕の頻度〉。

 修正痕の頻度。その欄だけ、極端に低い数値が出ていた。

 顔を上げると、隣の席で柚希が犬を描いていた。耳の形が左右で違う。何度も引き直した線が重なって、輪郭のあたりが灰色ににじんでいる。

「庄司さん、それ、判定に出した?」

「出しました。3%でした」

 柚希はけろっとした顔で言った。「わたし、下手なんで疑われないんですよ。得ですよね」

 冴は自分のスケッチブックを開いた。どのページも、線が一本ずつ、きれいに置かれている。迷った跡がどこにもない。

     ***

 その夜、冴は自分の描き方を思い返した。

 中学の頃、地域の絵画教室に通っていた。そこの先生は、正確さをとにかく褒める人だった。お手本と見比べて、寸分たがわず再現できた日は花丸がついた。冴はその花丸を集めるのが得意だった。

 線を引く。少しでもずれたら、すぐに消す。もう一度引く。また消す。合うまで繰り返して、最後に残った一本だけを紙に残す。教室の消しゴムはすぐ小さくなった。先生はそれを見て「よく直す子は伸びる」と言った。冴はその言葉を、六年間信じてきた。

 迷いは、消すものだった。作品に残していいものだとは、一度も思ったことがなかった。

 判定AIが読んでいたのは、絵の上手さではない。人が迷った跡だ。冴の絵には、それがどこにもなかった。あまりに清潔で、あまりに正確で、まるで最初から答えを知っていた手が描いたように見える。

 ――だって、知ってたじゃん。

 冴は自分に言った。お手本を、ずっと。

 月曜、冴は美術室で顧問の鵜飼うかい先生をつかまえた。

「先生。わたしの絵、人間っぽくないって言われました」

 鵜飼先生は湯呑みを持ったまま、少しのあいだ黙っていた。それから、いつものぶっきらぼうな調子で言った。

「機械はな、迷った跡を数えてるだけだ。人間かどうかなんて見ちゃいない」

「でも、当たってます」

「当たってるのか」

「わたし、迷ったこと、全部消してるので」

 先生は湯呑みを置いた。

「消したくなる気持ちは分かる。汚く見えるからな。ただ、消してるうちは、お前が何を見て描いたのかが誰にも分からん」

「見たものは、描いてます」

「見たものを、答えに合わせて直してるだろう」

 冴は言い返せなかった。先生は窓の外の中庭のほうへ顎をしゃくった。

「藤棚な。お前の絵、去年の写真とほとんど同じ形してた。今年の藤は、右の端がだいぶ枯れてる」

 言われて、冴は初めて気づいた。三か月も見ていたはずの藤棚の、枯れた部分を、自分は一度も描いていなかった。

     ***

 締切の三日前になっても、冴の手は動かなかった。

 新しい紙を張って、鉛筆を持って、それで終わりだった。何を描いても、いつもの引き方をしてしまう。わざと崩そうとすれば、崩し方まで整ってしまう。自分の手のどこまでが訓練で、どこからが自分なのか、もう境目が見えなかった。

 白い紙の前で、冴は一時間座っていた。鉛筆の芯が指の熱で少しやわらかくなっているのが分かった。窓の外で、部活の終わりを告げる放送が流れた。

 このまま何も出さなければ、少なくとも疑われはしない。そう考えている自分に気づいて、冴は少し嫌になった。三か月かけたあの絵のことを、いつのまにか一度も思い出さなくなっていた。判定の数字だけを、毎日思い出していた。

 顔を上げると、机の向かいで柚希が寝ていた。

 筆を持ったまま、腕を枕にして、口を半分開けている。水入れの水は絵の具でにごって、うすい緑になっていた。前髪が頬に貼りついている。夕方の光が、その頬のあたりだけ橙色にしていた。

 冴は、そのまま鉛筆を動かした。

 肩の線が、思ったところに行かなかった。引き直した。今度は角度が浅い。もう一度。三度目でようやく近づいたが、最初の二本はそのままにした。消したくなる指を、意識して止めた。

 頬の輪郭が難しかった。四回引いて、四本とも残した。前髪の落ちる位置が分からなくて、何度も柚希を見た。見るたびに、少しずつ違って見えた。

 描き終わったとき、紙の上には迷った線が何十本も残っていた。冴の目には、ひどく汚い絵に見えた。同時に、この一枚は本当に自分の目が見たものだ、とも思った。

 柚希が目を覚まして、覗き込んで、声を上げた。

「これ、わたしですか。……なんか、生きてますね」

「寝てるけどね」

 冴は笑って、写真を撮った。

     ***

 応募フォームに画像を上げて、送信を押した。

 判定を待たずに送ったのは、初めてだった。

 結果が返ってきたのは、その夜だ。冴はベッドの上で通知を開いた。

 〈生成物の疑い:58%〉

 まだ半分以上、疑われている。訓練された手の癖は、そう簡単には抜けないらしい。

 冴は数字をしばらく眺めて、それからアルバムを開き、撮った絵のほうをもう一度見た。

 肩の線が三本ある。頬の輪郭が四本ある。どれも消していない。

 この絵をどう採点するかは、機械が決める。この絵をどう思うかは、冴が決めていいはずだった。

 窓の外はもう暗い。冴は明日の朝、新しい紙を張ろうと決めた。今度は最初から、迷った線を残すつもりで。

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作者について

二葉双葉

二葉双葉

プロフィール画像もAIで作成しました。 短編集が好きなのでしばらくはショートショートをメインに投稿しますが、後々は長編にも挑戦したいです。 AI使用前提のサイトなのでAIとの日常をソフトなSFにし...

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