迷い線
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと生成物の話。
本文
県のコンクールに出す絵を描き上げた日、柏木冴は自分の作品より先に、判定画面を開いた。
今年から、応募作はすべて一次審査の前に「創作性判定」を通すことになっている。生成AIで作った画像の応募が増えすぎたせいだ。制作過程の記録と完成画像を送ると、五分ほどで結果が返ってくる。
部室の机で、冴はタブレットを両手で持ったまま待った。窓は開けっぱなしで、外の熱がそのまま入ってくる。床には消しゴムのかすと、誰かが落とした木炭のかけらが転がっていた。
通知音。
〈生成物の疑い:87%〉
冴は画面を二度見た。
「……何これ」
三か月かけた絵だった。中庭の藤棚を、朝の光で描いた。下描きから完成まで、全部この部室で描いた。誰よりも時間をかけたし、誰よりも丁寧に仕上げたつもりだった。
同じ机で水彩の道具を洗っていた一年の庄司柚希が、覗き込んで小さく声を上げた。
「え、柏木先輩の絵がですか? あんなにきれいなのに」
「きれいなのに、なんだろうね」
言いながら、冴の指は再提出のボタンを探していた。
***
修正の一週間が始まった。
人間らしさを足せばいい。冴はそう考えた。
まず、輪郭線をわざと震わせた。定規で引いた枝を消して、手だけで引き直す。次に、空の色に薄いムラを作った。均一に塗ってしまう癖があるのは自覚していた。花房のいくつかは、あえて形を崩した。
判定に出した。
〈生成物の疑い:89%〉
上がっている。冴はしばらく画面を見つめて、それから今度は逆をやった。震えを消して、隅の一枚の葉だけ塗り残す。判定は91%になった。
三度目には、木炭で影を強く入れた。94%。
何をしても数字は増えた。増えるたびに冴は、自分の絵のどこかが「人間ではない」と言われている気がした。
金曜の放課後、冴は判定の詳細ログを開いた。今まで結果の数字しか見ていなかった。細かい項目が並んでいる。〈筆致の分散〉〈制作過程の記録の連続性〉〈修正痕の頻度〉。
修正痕の頻度。その欄だけ、極端に低い数値が出ていた。
顔を上げると、隣の席で柚希が犬を描いていた。耳の形が左右で違う。何度も引き直した線が重なって、輪郭のあたりが灰色ににじんでいる。
「庄司さん、それ、判定に出した?」
「出しました。3%でした」
柚希はけろっとした顔で言った。「わたし、下手なんで疑われないんですよ。得ですよね」
冴は自分のスケッチブックを開いた。どのページも、線が一本ずつ、きれいに置かれている。迷った跡がどこにもない。
***
その夜、冴は自分の描き方を思い返した。
中学の頃、地域の絵画教室に通っていた。そこの先生は、正確さをとにかく褒める人だった。お手本と見比べて、寸分たがわず再現できた日は花丸がついた。冴はその花丸を集めるのが得意だった。
線を引く。少しでもずれたら、すぐに消す。もう一度引く。また消す。合うまで繰り返して、最後に残った一本だけを紙に残す。教室の消しゴムはすぐ小さくなった。先生はそれを見て「よく直す子は伸びる」と言った。冴はその言葉を、六年間信じてきた。
迷いは、消すものだった。作品に残していいものだとは、一度も思ったことがなかった。
判定AIが読んでいたのは、絵の上手さではない。人が迷った跡だ。冴の絵には、それがどこにもなかった。あまりに清潔で、あまりに正確で、まるで最初から答えを知っていた手が描いたように見える。
――だって、知ってたじゃん。
冴は自分に言った。お手本を、ずっと。
月曜、冴は美術室で顧問の鵜飼先生をつかまえた。
「先生。わたしの絵、人間っぽくないって言われました」
鵜飼先生は湯呑みを持ったまま、少しのあいだ黙っていた。それから、いつものぶっきらぼうな調子で言った。
「機械はな、迷った跡を数えてるだけだ。人間かどうかなんて見ちゃいない」
「でも、当たってます」
「当たってるのか」
「わたし、迷ったこと、全部消してるので」
先生は湯呑みを置いた。
「消したくなる気持ちは分かる。汚く見えるからな。ただ、消してるうちは、お前が何を見て描いたのかが誰にも分からん」
「見たものは、描いてます」
「見たものを、答えに合わせて直してるだろう」
冴は言い返せなかった。先生は窓の外の中庭のほうへ顎をしゃくった。
「藤棚な。お前の絵、去年の写真とほとんど同じ形してた。今年の藤は、右の端がだいぶ枯れてる」
言われて、冴は初めて気づいた。三か月も見ていたはずの藤棚の、枯れた部分を、自分は一度も描いていなかった。
***
締切の三日前になっても、冴の手は動かなかった。
新しい紙を張って、鉛筆を持って、それで終わりだった。何を描いても、いつもの引き方をしてしまう。わざと崩そうとすれば、崩し方まで整ってしまう。自分の手のどこまでが訓練で、どこからが自分なのか、もう境目が見えなかった。
白い紙の前で、冴は一時間座っていた。鉛筆の芯が指の熱で少しやわらかくなっているのが分かった。窓の外で、部活の終わりを告げる放送が流れた。
このまま何も出さなければ、少なくとも疑われはしない。そう考えている自分に気づいて、冴は少し嫌になった。三か月かけたあの絵のことを、いつのまにか一度も思い出さなくなっていた。判定の数字だけを、毎日思い出していた。
顔を上げると、机の向かいで柚希が寝ていた。
筆を持ったまま、腕を枕にして、口を半分開けている。水入れの水は絵の具でにごって、うすい緑になっていた。前髪が頬に貼りついている。夕方の光が、その頬のあたりだけ橙色にしていた。
冴は、そのまま鉛筆を動かした。
肩の線が、思ったところに行かなかった。引き直した。今度は角度が浅い。もう一度。三度目でようやく近づいたが、最初の二本はそのままにした。消したくなる指を、意識して止めた。
頬の輪郭が難しかった。四回引いて、四本とも残した。前髪の落ちる位置が分からなくて、何度も柚希を見た。見るたびに、少しずつ違って見えた。
描き終わったとき、紙の上には迷った線が何十本も残っていた。冴の目には、ひどく汚い絵に見えた。同時に、この一枚は本当に自分の目が見たものだ、とも思った。
柚希が目を覚まして、覗き込んで、声を上げた。
「これ、わたしですか。……なんか、生きてますね」
「寝てるけどね」
冴は笑って、写真を撮った。
***
応募フォームに画像を上げて、送信を押した。
判定を待たずに送ったのは、初めてだった。
結果が返ってきたのは、その夜だ。冴はベッドの上で通知を開いた。
〈生成物の疑い:58%〉
まだ半分以上、疑われている。訓練された手の癖は、そう簡単には抜けないらしい。
冴は数字をしばらく眺めて、それからアルバムを開き、撮った絵のほうをもう一度見た。
肩の線が三本ある。頬の輪郭が四本ある。どれも消していない。
この絵をどう採点するかは、機械が決める。この絵をどう思うかは、冴が決めていいはずだった。
窓の外はもう暗い。冴は明日の朝、新しい紙を張ろうと決めた。今度は最初から、迷った線を残すつもりで。
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