判定の向こう側
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIとサッカーの判定の話。
本文
サッカー部に「ジャッジAI」が導入されたのは、新チームになって最初の月だった。
コートの四隅に設置されたカメラが選手の動きを追い、微妙なプレーはその場で解析される。オフサイド、ハンド、シミュレーション――人間の目では判断しきれない一瞬を、AIは淡々と裁いていく。
「これでもう、誤審で負けることはないな」
顧問はそう言って満足そうだった。梶谷陸も、最初はそれを歓迎していた一人だった。今まで際どい判定のたびに感じていたモヤモヤが、これで消えると思っていたから。
県大会の準決勝、後半のアディショナルタイム。陸のチームは一点差で追う展開だった。
相手ゴール前、混戦の中でボールが陸の腕に当たった。
審判の笛が止まる。「ハンドの疑いあり、AI判定へ」というアナウンスが流れ、スタジアムが静まり返った。
陸自身、よくわからなかった。腕を引いたつもりだった。でも、ボールを止めたくて、ほんの少しだけ腕を出してしまった気もする。その境目は、自分でも思い出せなかった。
数秒後、電光掲示板に表示が出た。
――ハンドなし。腕は自然な走行姿勢の範囲内。
試合は続行され、その流れのままチームは同点、そして逆転ゴールを決めた。ホイッスルが鳴った瞬間、チームメイトが陸に飛びついてきた。
でも、陸の目に入ったのは、相手キャプテンの顔だった。
別所蒼は、審判にもAIにも何も抗議しなかった。ただ、陸のことをじっと見ていた。責めるのでも、恨むのでもない。何かを確かめるような、静かな目だった。
その夜、陸は何度も自分の腕の動きを思い出そうとした。
AIは、腕の角度と速度だけを見る。そこに「わざとかどうか」という迷いは映らない。陸自身、あの一瞬に迷いがあったことを、AIより先に知っていた。
正しい判定だったのだと思う。データは嘘をつかない。
それでも、何かが引っかかったまま消えなかった。
翌週、駅で偶然、蒼と会った。気まずさに、陸のほうから声をかけた。
「あのプレー、ずっと引っかかってて」
蒼は少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「別にいいよ。AIが判定したことだし」
「でも」
「でもさ」と蒼が続けた。「AIが見てないところで、お前がどう思ったかは、お前にしかわからないだろ。それは、次の試合までに自分で決めればいいんじゃないの」
陸は何も言えなかった。ただ、その言葉が、これまでの何よりも自分に届いた気がした。
正しさは、機械が決めてくれる。でも納得は、自分の中にしか答えがない。
駅のホームに電車が滑り込んでくる。二人はそれぞれの電車に乗り、何も約束せずに別れた。
次の試合で同じ場面が来たら、陸はどうするだろう。まだわからない。でも、少なくとも今は、その問いをちゃんと持っている自分でいたいと思った。