数値化できない欄
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと人事評価の話。
本文
人事評価支援AI「タレントスコープ」が導入されてから、評価面談の準備は驚くほど楽になった。
部下の勤怠データ、案件の進捗、社内チャットのやり取りまで解析して、強みと弱みを箇条書きで出してくれる。文章もそのまま面談シートに貼り付けられるくらい、よくできていた。
相馬有紗は、五年目の主任として、この春から八人分の評価を任されていた。ほとんどの部下については、AIの出力を少し直すだけで済んだ。
ただ一人、郡司亮の欄だけ、何度やり直しても同じような文章しか出てこなかった。
――担当案件数は平均的。数値目標の達成率は標準的。特筆すべき突出項目なし。
有紗は画面を見ながら、小さく首をかしげた。それは、有紗の知っている亮とは、少し違う人物のように見えた。
亮は、数字に表れる仕事はたしかに平凡だった。でも、新人が資料の作り方で詰まっていたとき、いちばん最初に気づいて手を止めるのはいつも亮だった。トラブル対応で誰もが苛立っている会議で、場の空気をふっと和らげるのも亮だった。
そういうものは、勤怠にもチャットログにも、数字としては残らない。
面談の前日、有紗はAIの出力欄をもう一度開いた。「特筆すべき突出項目なし」の一文が、やけに冷たく見えた。
「これじゃ、亮くんのこと何も書いてないのと同じだ」
有紗はそうつぶやいて、AIの提案文をすべて削除した。
カーソルだけが点滅する空欄を前に、有紗は自分の記憶をたどった。三月の繁忙期、誰も気づかなかった新人の顔色に、亮だけが気づいて声をかけていたこと。取引先とのやり取りで、角の立つ言い方を、亮がさりげなく和らげてくれたこと。
数字では測れないそれらを、有紗は自分の言葉で、一つずつ空欄に書き入れていった。
面談当日、有紗はいつものように評価シートを読み上げた。数値の項目を終えたあと、有紗は手元の紙から顔を上げた。
「ここからは、AIが書いた文章じゃなくて、わたしが見てきたことを話すね」
有紗は、三月のこと、取引先とのやり取りのことを、順番に話した。亮は最初、戸惑ったような顔をしていたが、話が進むにつれて、少しずつ表情が変わっていった。
「そんなところ、見てたんですね」
亮の声は、少し震えていた。
面談を終えて席に戻ると、有紗はタレントスコープの画面をもう一度開いた。他の七人分の評価は、今日もAIの文章のままでよかった。
でも、少なくとも今日という日には、AIには埋められない欄が一つあって、それを埋めるのが自分の仕事なのだと、有紗は思った。
窓の外では、夕方のオフィス街の明かりが、いつも通りに灯り始めていた。