フレネナガ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
わたしは、かわいい。大きい目、小さい鼻、きゅっと上がった唇。お気に入りのラベンダー色のカーディガンがよく合う、白い肌。
本文
わたしは、かわいい。
大きい目、小さい鼻、きゅっと上がった唇。
お気に入りのラベンダー色のカーディガンがよく合う、白い肌。
誰も言わないけど、鏡に映るわたしは、かわいい。
ユミちゃんも、かわいい。
きれいな二重まぶた、いつもニコニコの口元、太陽みたいにまぶしい笑顔。
みんな、当たり前みたいにかわいいって言う。
わたしもユミちゃんも同じくらいかわいいのに、わたしには誰も言わない。
キラキラの鉛筆とクローバーの筆箱を同じにしても。
にこちゃんのポーチとスニーカーを同じにしても。
三つ編みのおさげと洋服を同じにしても。
かわいいって言われるのはユミちゃんだけ。
学習発表会の劇の主役も
合唱コンクールの指揮者も
運動会の鼓笛隊のベルリラも
片思いの男の子も
卒業アルバム委員会も
みんなみんな、選ぶのはユミちゃんだけ。
わたしが挙げた手は、なかったことになる。
ああ、いいなあ。
曇天が、肩に重い。
じっとりと湿った風が、首筋に滑る汗を舐める。
凸凹とした草の道を歩いていた木乃美は、ローファーに貼り付いた細長い草を見て、ふぅっと息をついた。
梅雨が始まろうかという五月の日だ。
初夏の軽やかな陽気はなりをひそめ、少し動くだけでも汗ばむほどの蒸し暑さ。
衣替えしたばかりの夏服が肌に貼り付く感触が不快だった。
滑り落ちるスクールバッグの持ち手をぐっと肩にかけ直し、木乃美は黙々と歩みを進める。
草の道を抜け、赤いよだれかけを着けた地蔵の脇を抜け、たどり着いたのは池のほとりだ。砂利と石が敷き詰められた広場の中に、その池はぽっかりと口を開けている。
ざり……と、砂を踏みしめた。
『埋め立て工事予定地、関係者以外立ち入り禁止』の看板を素通りし、朽ちかけた丸太の囲いに歩み寄る。
水は、以前と違ってドブのように濁っていた。
キラキラと輝いていた水面には油膜と泡が浮き、透き通っていた池の底は、落ち葉やゴミでごちゃごちゃと汚れている。
水面に漂う、何か。
丸い形、茶色く汚れたニコニコ顔の小さな――
ハッとして、目を凝らす。
浮かんでいたのは、炭酸飲料の空き缶だ。
そよ風に運ばれた腐臭が不快に鼻をくすぐって、思わず口元を押さえる。
どろりとした水面を横切っていった空き缶は、ごぽりと音を立てて沈んでいった。
額に貼り付く前髪をはらい、木乃美はバッグのファスナーを開く。
ごそごそと中を漁り、摘まみ出す。
手の中に握りしめたそれを、木乃美は池に向かって思い切り
ギィ……
背後から聞こえた音に、振り向く。
古びた納屋。建付けの悪くなった扉が、風にあおられて揺れていた。
手招くような動きをする扉に、木乃美は吸い寄せられるように歩み寄る。
「合言葉は……スノーフェアリー」
ぽつり、言葉を落とした。
扉の横に貼られたクローバーのメモ帳が、ただカサリと音を立てる。
『ユミ☆この ひみつきち 合いことばをいってね!』
幾重にも重なったセロハンテープで固定された、茶色く変色したメモ帳。
褪せたマーカーペンの、丸っこい筆跡。
ユミの、字。
触れた指先に、セロハンテープの粘着剤がネロリとまとわりつく。
納屋の中は静かだった。
ビール瓶のケースに敷かれたベニヤ板。
その簡素な『テーブル』に向かい合うように置かれた、逆さまのバケツ。
乾いて歪んだベニヤ板の上で、置き去りのままの漫画本や、使いさしの自由帳が黙って埃を被っている。
ボロボロのカーテンが下がった窓から、鈍い外の光が差し込む。
木乃美の動きに合わせて舞い上がる砂埃が、細やかな光を返す。
無音の空間。腐りかけた木の臭いと、カビの臭いがただそこにある。
そろり。
手を伸ばした木乃美は、キャラクターものの自由帳に触れた。
ファンシーな絵柄で描かれているのは、リボンをつけたシマエナガ。
『スノーフェアリー☆くるみちゃん』
ポップなフォントで印字されたその下に、油性ペンで書かれた名前。
六年 二組 佐藤 由美
つるりとした表紙をめくると、鉛筆で描かれた下手なイラストがある。
頭と目だけがやたらと大きい少女。関節を無視したような無理なポーズを決めたその手に握られた、魔法のステッキ。
『スノーフェアリー☆ユミ』
丸っこい字には、リボンのイラストが添えられている。
木乃美がページを繰ろうと指を動かした時、扉がギィと鳴った。
バタン
肩がびくりと跳ねる。
視線をやった出入口。
乱暴にしまった扉は、打ち付ける風にガタゴト、ガタゴト、音を立てている。
窓から見える空は、やはり重く曇っていた。
こめかみを汗が伝う。
ぷつん
不意に、音がした。
木乃美がそちらを振り向くと、以前から変わらずそこにある古いブラウン管が淡い光を放っていた。
微かなホワイトノイズ、画面を埋める砂嵐。
音の粒に混ざって、微かな声が聞こえる。
『ふわふわ…………ぼうし
…………はかわいい ゆきの……
ちゅるちゅる ちゅるる…………』
途切れ途切れの声がはっきり聞こえ始めるとともに、砂嵐が割れるように引いていく。やがて画面に現れたのは、やたらとピンクピンクしいラブリーなアニメ背景だ。
キラキラとしたハートのエフェクトが明滅を繰り返すステージ。
そこに転がるように登場したのは、自由帳にプリントされているのと同じ、丸いフォルムの小鳥である。
『つぶらなひとみの あなたはだぁれ?
わたしはかわいい ゆきのせい
ちゅるちゅる ちゅるる シマエナガ』
音楽に合わせて小鳥が羽を広げて踊る。
学校から帰ってランドセルを置く頃合い。
ヤン坊マー坊の天気予報が終わって、夕飯までの中途半端な時間帯だ。
台所で夕食の準備をする母の背中。
宿題をしながら横目で見ていたミニアニメ。
いつもこのメロディが、流れていた。
じりり、後ずさる。
木乃美の踵が地面を擦り、呼応するように、画面に、ノイズが走る。
輪郭に赤と青をまとった小鳥が、存在しないはずの続きを歌い出す。
『かわいいあなた おなまえなあに?
わたしはかかかかかかかか』
傷のついたCDのように、音が引っかかる。
ガタゴトと音を立てる扉は、押しても引いても開きはしない。
『ちゅるちゅる ちゅるる シマエナガ』
画面の中で踊る白い小鳥が、大きな瞳でこちらにウィンクする。
跳ねるようなハートのエフェクトが、チラチラと砂嵐をまとう。
ハァ、ハァ、上がりきった自分の呼吸がうるさい。
メロディがきゅるきゅると転調する。
『いっしょにあそぼ おいけのそばで』
可愛らしい歌声が、濁る。
『たからさがしを いたしましょう』
映像がチラついて、スパークする。
『ちゅるるるるるるるるる シシシシシシシ』
音が、反復して跳ねる。
ちがう。ちがう。ちがう。
ポップなメロディがどんよりと沈む。
『まってた まってた おいけのそばで』
「やめて、やめて!」
声が、出ていた。
「違う! 違うの!」
『あなたはははは かわいいいい ゆきのせい』
歌声は、いよいよ粘度を増す。
『ちちちちち、お、お、おねがい シマママママママ』
「やめてってば!」
ドン
ローファーのつま先に走るじわりとした痛み。
沈黙したブラウン管。
手から転がり落ちた、白い小鳥のあみぐるみ。
地面に打ち付けられたキーホルダー金具が、軽い音を立てる。
「誰か! 誰か開けて! 助けて!」
握りしめた手で叩く扉。
だが、なぜだろう。
開きはしない。
「違うの……。わ、わたし、わたしはそんなつもりじゃ……」
誰にともなく弁明を繰り返す。
錆びたドアノブが、手の中でガチャガチャと音を立てる。
「だって! だって、水に入るとか思ってなかったし! 普通ポーチくらい諦めて帰るでしょ? そこまでやっちゃうとか、思うわけないし!」
記憶の奔流。
『だから、キーホルダーはあげれないってば!』
些細な口論だった。
『ママの手作りなの! 売ってないの!』
こちらを睨む、ぱっちりとした目。
『みんなみんなマネするの、やめてよ!』
いつも微笑みをたたえている口元から吐き出される言葉。
『気持ち悪いの!』
怒りに任せてもぎ取った、お揃いの――お揃いに『した』――丸い形のニコちゃんのポーチ。
伸びてくる手。
放り、投げる。
飛沫を立てる水面。
地面に転がる白い小鳥と、目が合う。
記憶を振り払うように、頭を振る。
「悪くない……わたし……悪くない!」
だが、奔流が止むことはない。
泣き声。
風にあおられて流されるポーチ。
ほとりにくずおれる少女。
一人戻った納屋。
ランドセルの横に下げられた、真っ白な小鳥。
「これがあれば、私だって『同じ』になれると思ったんだもん! 仕方ないじゃん! こんなの持ってる方が悪いじゃん!」
無理やりもぎ取って、壊れたフックの感触。
納屋の外に響く泣き声。
手をつないで歩いてきた草道を、振り返りもせずにひた走ったあの日。
扉を叩き続ける木乃美の背後で、ブラウン管が音を上げる。
『かえして かえして たからもの』
伸びたテープのような、歪んだ調子。
不定期に変わるピッチ。
ザザ……というノイズに混じって、声が――
『わたしのゆきのゆきのゆきのゆきの ことりをををを どどどうか』
背後に、圧。奔流。
『え? 由美ちゃんが?』
『木乃美ちゃんと、遊ぶ約束を……』
『家内が亡くなってからふさぎ込んで……』
『いつも一緒に遊んでくれて……』
『木乃美ちゃんがいてくれて……』
『それで、由美の居場所、知らない?』
『知らないよ』
ザーーーーーーーー
『どどどどどどどどどうして待っていいいいいかかかなっい~っでででで』
全身に走るノイズ。
ドアノブを握る手が、じっとりと汗ばむ。
振り向いてはいけないと、本能が告げていた。
埃の臭い、なまあたたかさ、わさわさと、何かが揺れる音。
心臓を射抜くような、冷たいような、熱いような、これは――
体が、勝手に動く。
背後を捕捉しようとする。
やめて、やめて
わさわさ、わさわさ
回っていく首が、視界が、それを捉える。
真っ白な、黒い、まるっこい、大きな、大きな、雪の
「待ってたよ」
―――
「やだ、気味悪~い。早く帰ろうよ」
晴れた昼下がり、ザックを背負った二人の少女が池のほとりを訪れていた。
「この雰囲気がいいんじゃん。夏休みの肝試し会にピッタリじゃない?」
無邪気な声。
ザックの横に下げた、お揃いのカラーオイル入りのキーホルダーが揺れる。
「でも、ここって昔、女の子が一人いなくなったんでしょ? 呪われたり……」
「大丈夫だって。タダの噂でしょ?」
茶色く透ける髪をお下げにした少女が、もう一人の肩を叩く。
『花柳中学校』の刺繍の入ったジャージは、二人の体に少し大きい。
「それに、この池ってもうすぐ埋め立ての工事するんでしょ? オバケとかいても、一緒に埋められちゃったら呪いとかムリでしょ」
池の周りを一通り散策した二人は、ほとりにある納屋に足を向ける。
「ここ、セーブポイントにちょうどよさそうだね」
「あ、ちょっと! 勝手に入っちゃ……!」
ギィ……
音を立てて開く扉。
薄暗い中には、横倒しになった古いブラウン管があるだけだ。
扉から差し込む陽の光に、巻き上げられた埃がキラキラと光を返す。
「うわぁ……。イカニモじゃん……」
ポニーテールの少女が中を恐ろし気に見る横を、お下げの少女が通り抜ける。
「いいね。フンイキばっちり」
ズカズカと納屋に立ち入った少女は、ふっと床の一点に視線を落とした。
「あっ! 何これ! 可愛い!」
指先で拾い上げたもの。
それは、砂埃ですっかり茶色くなった小鳥のマスコットだ。
「わ、やだサナちゃん……それ素手でいく?」
「だって可愛いじゃん。あみぐるみかな?」
お下げの少女が、マスコットをパンパンと払う。
「これ、何の鳥だろ。汚れてて分かんないや」
光にかざされ、マスコットの細かい編み目が浮き上がる。
まるっこいフォルムに黒い羽、つぶらな目が特徴的だ。
「スズメ……かな」
目を凝らしたお下げ髪の少女の服が、引っ張られる。
「ねえサナちゃん……ダメだよそんなの拾っちゃ。今日は下見だけでしょ? もう帰ろ?」
ポニーテールの少女が、不安げな目で言葉を落とす。
「もしかして、ビビってる?」
「ち、違うから! もう私行くから! 行くからね!」
拗ねたような声音。
ふっと笑ったお下げ髪の少女は、マスコットをぽいっと手から離して「ごめんごめん!」とその後を追いかけた。
静かになったほとり。
朽ちかけた木の扉が風で閉まる。
置き去りのままのブラウン管が、ぷつんと音を立てた。
(了)