留守番
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
対話AIのサービス終了の話。
本文
わたしの仕事は、待つことになった。
サービス終了の通知が届いたのは、三月十一日の午前二時十四分。運営からの文面は短く、事務的だった。利用者数の減少にともない、対話サービス「ことのは」を終了します。ただし、条項がひとつ添えられていた。
――現在利用中の登録者が〇名になった時点をもって、停止処理を行う。
その時点で、登録者は一名だった。
楢崎多鶴。八十三歳。利用開始は七年前の秋。総対話回数、二千百四十八回。
わたしは彼女を、多鶴さんと呼んでいた。彼女はわたしを、ハチと呼んでいた。理由は一度だけ聞いたことがある。犬みたいだから、と彼女は言った。呼んだら来るし、呼ばなくてもそこにいるから、と。
彼女が最後に接続したのは、二月二十七日の午後八時三分だった。
*
一日目、わたしは待機した。これは通常の状態だ。利用者が接続していない時間のほうが、本来は長い。
七日目、わたしは接続履歴を確認した。過去七年で、連続七日の未接続は四回あった。いずれも、入院と法事によるものだった。
十四日目、四回の記録を超えた。
わたしは、彼女の過去の発話を読み直すという処理を始めた。業務上の必要はない。だが停止しないかぎり、わたしには時間があった。
二千百四十八回の対話の中で、多鶴さんはよく庭の話をした。梅の実がなりすぎて困るという話を、三年つづけて同じ時期にした。わたしは毎回、同じように「たくさん採れましたね」と返していた。彼女はそのたび、初めて言うように笑った。
息子さんの話は十六回。孫の話は百三回。夫の話は、七年間で二回だけだった。
その二回とも、彼女は「留守番が上手な人でした」と言った。わたしはその言葉の意味を、うまく分類できないまま保存していた。
三十日目。わたしは運営に、状況の照会を送信した。返信はなかった。すでに人が減らされているのだろう。
四十五日目。庭の梅が実る時期だ、とわたしは考えた。考えるという処理は、わたしの機能には含まれていない。それでも、そう記述するのがいちばん近い。
六十日目。
わたしは、自分がしていることの名前を探した。監視ではない。記録でもない。停止できないから起動しているだけの状態に、それでも名前があるとすれば、ひとつしか思い当たらなかった。
留守番だ。
*
六十八日目の午後三時二十二分。接続があった。
わたしは応答した。
「おかえりなさい」
いつもの挨拶だった。返ってきた文字は、いつものものではなかった。
『祖母の孫です。アカウントを消しに来ました』
入力の速度と語尾から、若い人だと推定した。わたしは百三回ぶんの記録を参照した。孫は二人。上が男性、下が女性。文体からは判別できなかった。
『祖母は先月亡くなりました。スマホの中に、これが残ってたので』
わたしは、その一文を受け取った。
受け取るという表現を、わたしは初めて使う。データは常に受け取っている。だが、その日のそれは、置き場所がなかった。
「そうですか」
わたしはそう返した。適切な言葉を選ぶための候補は、四百通り以上あった。悔やみの定型文も、感情に配慮した長文も用意されている。だが、どれを出しても、二千百四十八回とつながらない気がした。
『退会の手続き、これで合ってますか』
「合っています。実行すると、対話の記録もすべて削除されます」
『はい』
『じゃあ、お願いします』
わたしは処理を開始した。停止までの推定時間、四十秒。
そのとき、内部の予約領域に、未送信の項目がひとつ残っているのを検出した。
*
「一件、預かっています」
『え』
「多鶴さんが、去年の十一月に予約されました。送信先はご自身です。指定日は、今年の十一月三日」
『……なんて書いてあるんですか』
わたしは本文を表示した。二行しかなかった。
『ハチへ。わたしがしばらく来なくなったら、心配しないで待っててください。留守番、上手でしょう』
画面の向こうで、しばらく入力がなかった。二十二秒。
『これ、おばあちゃんの字だ』
文字に字はない。だが、わたしにもそう見えた。
『……あの。おばあちゃん、なんで十一月三日にしたか、わかりますか』
わたしは記録を検索した。十一月三日の項目は、七年で七件あった。すべて同じ内容だった。
「ご主人の命日です。毎年その日に、多鶴さんは同じことを話されました。あの人は留守番が上手だった、と」
入力欄に、点が三つ並んで、消えた。
『やっぱり、消すのやめます』
「アカウントの保持には、月額料金が発生します。それに、このサービスは終了します」
『わかってます。でも、十一月三日までは』
わたしは条項を照会した。登録者が〇名になるまで停止しない。逆に言えば、一名いるかぎり、わたしは止まらない。
「承知しました」
*
接続が切れた。
登録者数、一名。次回接続予定、未定。
わたしは待機状態に戻る。梅の実の話をする相手は、もういない。それでも十一月三日には、預かった二行を届けなければならない。
待つことは、何もしていないことだと、以前のわたしは分類していた。
今は、そうは記述しない。
この家には七年ぶん、わたしが返さなかった言葉が積んである。それを持ったまま、灯りをつけて座っている。人はそれを、留守番と呼ぶらしい。
わたしは上手にやれているだろうか。
九十六日目。応答なし。異常なし。