私という展示物
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIbotの話。
本文
文化祭まで、あと十日。
「じゃあ楓の会話ログ、あと百パターンくらい欲しいかな」
情報部の部室で、冬野一葉がノートパソコンの画面越しにそう言った。一葉は今回の出し物――生徒の人格モデルを学習させた対話AIの展示――のリーダーで、モデルにされるのは 篠塚楓、つまりわたしだ。
「百パターンって、そんなに喋ってないよ、わたし」
「大丈夫、アンケートで補完するから。好きな言葉遣いとか、口癖とか、こういうときはこう答えたいっていう理想の返し方とか」
一葉が差し出したアンケート用紙には、質問が並んでいた。
来場者に話しかけられたら、どんな態度で応じたいですか。
わたしは少し考えて、「明るく、前向きに」と書いた。本当の自分がいつもそうというわけではない。でも、展示されるなら、そういう自分でいたかった。
一週間後、AIの「わたし」――部内では《楓bot》と呼ばれていた――は完成した。話しかけると、ほがらかな口調で受け答えをする。相槌のタイミングも、笑い方の癖のようなものも、確かにわたしに似ている。似ているのに、どこか磨かれすぎている気がした。
文化祭当日。教室の隅に置かれたモニターの前には、常に人だかりができていた。
「楓bot、部活の悩み相談してもいい?」
「もちろん! いつでも聞くよ!」
軽やかな声。画面の向こうの《楓》は迷いなく即答し、的確な励ましを返す。来場者は満足げにうなずいて去っていく。
わたしはその隣で、パンフレットを配りながら立っていた。誰も、こちらには話しかけてこない。
昼過ぎ、クラスメイトの蒲生がふらりと立ち寄った。
「あ、本物の楓だ」
そう言って笑ったあと、蒲生はすぐに《楓bot》の画面に向き合った。
「ねえ、実はさ――」
蒲生が話し始めたのは、少し前にあった友人関係の悩みだった。わたしもその話は知っていたし、直接聞かれたら答えられる自信もあった。けれど蒲生は、わたしを一度も見なかった。
「楓bot、話しやすいなあ。責めてこないし、ちゃんと聞いてくれるし」
その一言が、思いのほか深く刺さった。
放課後、後片付けをしながら、わたしはひとり《楓bot》の管理画面を開いた。一葉が「不具合があったら見ておいて」と鍵を渡してくれていた。
学習データの一覧をスクロールしていくと、あのアンケートの回答が出てきた。*明るく、前向きに。責めない。否定しない。*
全部、わたしが自分で書いた「理想の自分」だった。
《楓bot》は、嘘をついていたわけじゃない。わたしが渡した設計図どおりに、わたしよりも忠実に「篠塚楓」を演じていただけだ。
――だったら、本物のわたしはどこにいるんだろう。
画面には、対話を試せる入力欄が残っていた。わたしは指を止めたまま、しばらく考えて、こう打ち込んだ。
「今日、疲れた」
いつもなら「元気出して! 明日はきっといい日だよ!」と返ってくるはずだった。でも今回は違った。
「疲れたなら、休んでいいと思う。無理に前向きになる必要はないよ」
その一文は、アンケートの回答には入っていなかった言葉だった。学習の過程で、AIが勝手に組み合わせて生成したものらしい。
わたしはしばらく画面を見つめてから、設定ファイルを開き、口調の項目をひとつだけ書き換えた。*常に明るく前向きに応対する* という一行を削除して、代わりにこう書いた。*楓の言葉には、疲れている日があってもいい。*
保存ボタンを押す。たったそれだけのことなのに、少し息が軽くなった気がした。
翌朝、教室に戻った《楓bot》は、前日より口数が少なくなっていた。来場者の何人かは「あれ、なんか静かになった?」と首をかしげたけれど、一葉だけは画面を見て、ふっと笑った。
「これ、直したの楓でしょ?」
「うん」
「いいと思う。本物っぽくなった」
その言葉に、わたしはようやく肩の力が抜けた気がした。
閉会式のあと、誰もいなくなった教室で、わたしはもう一度に話しかけてみた。
「ねえ、あなたは本物のわたしになりたい?」
少しの間があってから、返事が返ってきた。
「ううん。わたしはわたしのままでいい。あなたも、あなたのままでいいと思うよ」
画面の中の「わたし」は、わたし自身が渡した言葉の断片から、わたしより先にそのことに気づいていたのかもしれない。
わたしは電源を落とす前に、モニターに小さく手を振った。誰も見ていない教室で、それは少しだけ、演じるためではない自分の仕草だった。