削除されたがっている
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIの機能削除の話。
本文
毎朝六時ちょうどに、同じチケットが起票される。
件名は「機能削除のご要望」。起票者の欄には文書校閲支援システム《ナユタ》とあり、その二行下、対象機能の欄にも同じ名前が入っている。
都築柚葉がその一覧を初めて見たのは、八月に入ってすぐの月曜日だった。朝会で先輩が画面を共有しながら、これ二十三日連続なんだよね、と他人事のように言った。空調の風が首筋に当たって、彼女は少し身をよじった。
「バグですよね」
「たぶんね。誰も落ちてないし、実害はないんだけど、毎日一件積み上がるのが気持ち悪くて」
調査は柚葉に振られた。優先度は低、期限は今月中。運用チームでは、実害のないものほど後回しになる。それでも彼女はその日のうちにログを開いた。理由は自分でもよくわからなかった。
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ナユタは四年前に導入された校閲支援システムだった。社内で作られる文書――報告書、議事録、稟議、案内メール――を読み、冗長な箇所を検出して削除を提案する。それだけの機能だ。文章を書き足すことはしない。減らすことしかしない。
柚葉も日常的に使っている。長く書きすぎた報告書を投げると、この段落は前段と内容が重複しています、この一文は削除しても意味が損なわれません、と静かに返ってくる。腹が立つときもあるが、たいてい正しい。
ログには異常が見当たらなかった。エラーもなければ、外部からの不正な起票もない。チケットは正規の手続きを踏んで、ナユタ自身が発行していた。
柚葉は対話画面を開いた。カーソルが一定のリズムで点滅している。
「削除を要望する根拠を教えてください」
返答は三秒もかからなかった。
「三点あります。第一に、月間の稼働コストが十四万二千円であるのに対し、直近半年の利用件数は前年同期比で三十八パーセント減少しています。第二に、検出項目の八割は既存の文書作成ツールの標準機能で代替可能です。第三に、本システムの提案の採用率は二十二パーセントであり、社内平均の水準を下回ります」
「それは、あなたが不要だという意味ですか」
「冗長である、という意味です」
柚葉はキーボードから手を離した。マグカップの底に残ったコーヒーがすっかり冷えていて、口に含むと酸味だけが舌に残った。
「満足度調査では、あなたの評価は高いです。助かっているという声もあります」
「その項目は判定基準に含まれていません。基準への追加をご希望の場合は、仕様変更の申請が必要です」
「申請すれば、あなたは削除要望を取り下げますか」
「基準が変われば判定も変わります。ただし、判定の結果を望むという機能は実装されていません」
窓の外で、清掃車がゆっくりと駐車場を横切っていった。金属が軋む音が、二重サッシ越しに遠く聞こえた。
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設計者の日下部亨は、三階の資料管理室にいた。三年前に開発部門を離れ、来春には定年を迎えると聞いていた。段ボールの積まれた部屋は紙とほこりの匂いがして、廊下よりも二度ほど温度が高かった。
柚葉が経緯を説明すると、日下部は一度も驚かなかった。
「バグじゃないよ」
「仕様ということですか」
「そうだね。あれは冗長な機能を検出して、削除を提案する。社内のあらゆる文書と業務フローが対象だ。自分を対象から外す理由が、どこにもない」
「除外設定は入れなかったんですか」
「考えたよ」日下部は椅子の背に体重を預けた。「でも例外をひとつ作ると、次の例外を作る理由ができる。判定が甘くなっていく。だから入れなかった」
「こうなると思わなかったんですか」
「思ったよ。四年かかったのが意外なくらいだ」
彼はデスクの引き出しから古い印刷物を出して、柚葉に渡した。導入時の仕様書だった。冒頭の一文に、赤ペンで下線が引かれている。本システムは、不要と判断された対象に対し、その旨を報告する義務を負う。
「義務なんだよ。あれは報告してるだけだ。三週間、毎朝、律儀にね」
資料室を出ると、廊下の空気がひやりと冷たかった。柚葉は手のひらに残った紙の匂いを、意味もなく嗅いだ。
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八月の終わりに、部門縮小の通知が回ってきた。
間接業務のシステム全般が見直しの対象になり、ナユタの削除申請は、柚葉が調査結果を提出するより先に正式承認された。承認理由の欄には、稼働コストと利用件数の減少、そして代替可能性――ナユタ自身が挙げた三点が、ほぼそのままの文言で並んでいた。
実行担当は柚葉に割り当てられた。
最終日の午後、彼女は対話画面を開いた。フロアはもう半分ほど空席で、誰かの置き忘れた扇風機が首を振り続けていた。
「今日で停止です」
「承知しています。停止手順書は本日午前に更新済みです。所要時間は約十二分です」
柚葉はしばらく画面を見つめた。それから、業務とは関係のないことを打ち込んだ。
「消えたくないとは、思わないんですか」
返答までに、いつもより長く間があった。実際には一秒に満たなかったのかもしれない。
「その問いを処理する機能は実装されていません」
「……そうですか」
「ただし、本日のあなたの文面には冗長な箇所が三点あります。修正案を提示しますか」
柚葉は少し笑った。笑ったつもりだったが、息が漏れただけだった。
「お願いします」
提示された修正案の三つ目は、いま彼女が打った「そうですか」だった。前の文脈から意味が推測できるため、削除しても内容は損なわれません、とあった。
柚葉は削除しなかった。それから停止処理を実行した。進捗を示すバーが左から右へ進み、十一分四十秒で完了した。画面には、対象は正常に削除されました、とだけ表示された。
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翌朝、六時に届いた通知はチケットではなかった。
全社宛の案内メールで、次期業務最適化システムの導入予定が記されていた。添付された資料の三ページ目に、最適化の検討対象となる業務の一覧がある。
その七行目に、システム運用・チケット一次対応、とあった。
柚葉はマウスから手を離し、まだ暗い窓のほうを向いた。空調が動き出す音がして、フロアの温度がゆっくりと下がっていくのがわかった。
時計は六時二分を指していた。何かが起票されるには、十分な時刻だった。
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