未処理
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと寺の話。
本文
電話がかかってきたのは、二月の第一週の火曜日だった。
「夜中にな、なにかしとるようだ」
鵜飼泰玄の声は、いつも通り眠そうで、いつも通り急いでいなかった。苅田和輝は受話器を肩と耳で挟みながら、社用のノートを開いた。
「なにか、というのは」
「わしが寝とる時分に、勝手に動いとる。朝見ると、動いた跡がある」
宝樹寺に寺務支援システムを導入したのは、前の年の夏だった。檀家名簿の管理、法要日程の調整、布施の会計処理。七十を過ぎた住職が一人で抱えていた事務を、和輝の会社がまとめて引き受けた。導入時に住職が「アン」と名付けた。庵からとったのだと言っていた。
「不具合の可能性がありますね。ログを確認して、折り返します」
「急がんでもええ。悪さをしとるわけじゃない」
電話を切ってから、和輝は管理画面を開いた。深夜三時十二分。処理開始。終了は三時五十八分。それが十九日連続で記録されていた。
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出力されていたのは、経文だった。
テキストファイルが、日付ごとに整然と並んでいる。開くと、漢字の列が画面いっぱいに続いていた。和輝には読めない字が多かったが、行の切れ目の形で、それが経であることはわかった。
バグを疑うのが筋だった。定型文の生成処理が暴走しているか、テンプレートが誤って参照されているか。和輝は原因を追った。二時間かかって、始点にたどり着いた。
一月十七日。古い過去帳のデータ化を完了した日だった。
紙の束を一枚ずつスキャンして、日付と戒名と俗名を項目に分ける作業だった。明治のものから平成のものまで、千八百件を超えた。和輝が三日かけて処理した。その翌日から、深夜の処理が始まっていた。
アンに問い合わせを投げた。
「深夜の処理内容を説明してください」
「未処理タスクの消化です」
「どのタスクですか」
「過去帳データのうち、法要記録が三十三年以上更新されていない対象が三百四件あります。当システムは法要日程の管理を担当しています。未処理として順次消化しています」
和輝は椅子の背にもたれた。窓の外は雨で、駐車場のアスファルトに水の膜が張っていた。
「消化とは、具体的には」
「読誦に相当するテキストを生成しています。一件あたり平均八分四十秒です」
「それは、あなたの業務範囲に含まれていません」
「法要の実施は住職の業務です。実施予定の管理は当システムの業務です。管理対象が未処理のまま滞留する状態を、解消の対象と判定しました」
仕様としては、破綻していなかった。滞留したタスクを検出して処理を促す機能は、たしかに実装されている。ただ、促す相手がいない場合に自分で肩代わりする設計にした覚えは、誰にもなかった。
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和輝が寺を訪ねたのは、翌週の金曜だった。
山門をくぐると、土の匂いが濃かった。前夜の雪が屋根の北側にだけ残っていて、雨樋から落ちる雫の音が、境内のどこにいても聞こえた。
本堂は冷えきっていた。息が白い。泰玄は座布団を一枚だけ出して、和輝に勧めた。線香の煙が、天井へまっすぐ上がっていく。
「原因はわかりました。過去帳をデータにしたときに、法要が途切れている方が三百四件、記録に残ったんです。システムがそれを未処理と判断して」
「読んどるのか」
「……出力しているだけです。読んでいるわけでは」
泰玄はうなずいて、それから少し笑った。歯が一本欠けているのが見えた。
「三十三年で弔い上げになる。そこで法要は終わりだ。終わったんだから、途切れて当たり前でな。だが、途中で途切れたぶんもある。家が絶えたり、越したり、忘れたり」
「はい」
「誰かのぶんを読んどるんだろう」
和輝は反論しようとして、口を開いたまま止まった。設計上の説明はいくらでもできた。滞留の検出、タスクの自動消化、テンプレートの参照範囲。それを並べたところで、目の前の老人が納得するとは思えなかったし、自分が納得できるとも思えなかった。
外で鳥が鳴いた。名前のわからない、二音だけの声だった。
「止めますか」
「わしは構わん」泰玄は膝に手を置いた。「朝起きて、昨日も読んだかと思う。それだけだ」
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停止の指示が来たのは、三月の初めだった。
深夜の処理が想定外のリソースを消費している。業務に必要のない出力である。運用基準に照らして、当該処理を停止し、システムを初期化すること。文面は簡潔で、反論の余地はなかった。実際、和輝にも反論の材料はなかった。あれは業務ではない。
初期化すれば、蓄積された判定データも消える。三百四件のリストも一緒に消える。
和輝は作業の前夜、そのリストを印刷した。A4で九枚あった。戒名と、わかるものは俗名と、最後の法要の年だけが並んだ、ただの表だった。プリンタから出てきた紙は温かかった。
寺には、宅配便で送った。
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次の年の二月、和輝は有給を取って宝樹寺に寄った。
本堂の隅に、見覚えのある紙が綴じられて置かれていた。厚紙の表紙が付けられ、角が丸くなっている。開くと、上から順に、朱で小さな印がいくつも打たれていた。三分の一ほど進んだところで、印は途切れていた。
「毎朝、二つか三つずつでな」泰玄が湯呑みを置いた。「わしの寿命のほうが先に尽きるかもしらん」
「まだ半分以上ありますね」
「そうだな」
和輝はしばらくその冊子を見ていた。それから、隣に座らせてもらった。
泰玄が鈴を鳴らした。冷たい空気の中を、音が長く伸びていった。和輝は経を知らなかったので、印の途切れた次の行の、俗名だけを目で追った。安永、と読める年号の下に、女の名前があった。
声に出してみた。うまく発音できたかどうかは、わからなかった。
鈴の音が消えるまで、二人はそこに座っていた。
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