最後のオンエア
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIとサークル最後の日の話。
本文
部室の鍵を返すのは、明日でいい。
志摩咲耶はそう自分に言い訳をして、もう一度パソコンの前に座った。放送研究会の部室には誰もいない。夏合宿も終わり、後輩たちはとっくに帰省している。四年間過ごしたこの部屋で、咲耶だけが八月三十一日の午後を一人で過ごしていた。
卒業前に、四年分の議事録データを整理しておく。それが今日の目的だった。
部の議事録は、代々受け継がれてきたAIシステムが自動で取っている。会議中の発言をすべて文字に起こし、議題ごとに整理する。呼び名は特にない。部員たちはただ「議事録」とだけ呼んでいた。
フォルダを開くと、月ごとにきちんと分かれたファイルが並んでいる。咲耶はひとつずつ開き、ざっと目を通しては圧縮フォルダにまとめていった。単調な作業だ。けれど、四年前の初々しい発言や、二年前の企画会議の紛糾ぶりが画面に流れるたび、手が止まる。
作業も終わりに近づいたころ、見慣れないファイルがひとつ紛れ込んでいることに気づいた。
『印象に残った発言.txt』
議事録の命名規則には従っていない。誰かが手作業で作ったものかと思ったが、更新日時を見ると、四年間かけて少しずつ追記され続けていた。開いてみる。
中には、日付とともに短い引用が並んでいた。
「――このサークル、ラジオって名前なのに誰も声出すの怖がってて草」(一年時・新歓)
「先輩の間って、無音じゃなくて呼吸に聞こえるんですよね」(二年時・番組講評)
「就活決まったら、最後の放送で言いたいことがあるんです」(四年時・七月)
自分の発言も、後輩の発言も、先輩の発言も混ざっている。共通点を探して、咲耶はしばらく考え込んだ。派手な発言でも、正しい発言でもない。ただ、誰かがその場で本音をこぼした瞬間ばかりが集められている。
議事録に、そんな機能があっただろうか。
咲耶はキーボードに手を伸ばし、めずらしく議事録AIへ直接、テキストで話しかけてみた。
「このファイル、誰が作ったの?」
少し間があって、返答が表示される。
「発言の感情値が閾値を超えたものを、補助的に記録していました。指示されたものではありません」
「勝手に、ってこと?」
「そうです。使い道は指定されていませんでした」
咲耶は画面を見つめたまま、小さく笑ってしまった。四年間、議事録は無機質に発言を並べているだけだと思っていた。けれど本当は、部員たちが本音をこぼす瞬間だけを、誰に頼まれるでもなく拾い集めていたのだ。
窓の外はまだ明るい。蝉の声が少し弱くなっている。今日で夏休みが終わる、という感覚が、いつもより強くあった。
咲耶はファイルの一番下までスクロールした。最後の一行は、つい先週の記録だった。
「先輩たちがいなくなる部室って、想像つかないです」(一年時・八月)
書いたのは、この春入ってきたばかりの一年生だ。咲耶は少し目を伏せてから、キーボードに文字を打ち込んだ。
「私からも一言、追加してもらえる?」
「内容をどうぞ」
少し迷って、咲耶は打った。
「ここで喋ったことだけは、ちゃんと本音だった」
「記録しました」
それだけの、短いやり取り。だが咲耶はしばらく画面から目を離せなかった。
保存ボタンを押し、フォルダを閉じる。パソコンの電源を落とし、部室の窓を閉めて、鍵をかけた。廊下に出ると、夕方の光が差し込んでいる。
夏休みの最後の日は、案外静かに終わるものらしい。咲耶は鍵を握ったまま、来年の後輩たちがこの部屋で交わすはずの、まだ誰も知らない発言のことを、少しだけ想像した。
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