第7話 谷の底の隠し扉——MAINTENANCE SEQUENCE
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あらすじ
その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第7話 谷の底の隠し扉——MAINTENANCE SEQUENCE
本文
解体場の翌朝、突然ドクは機嫌の読めない声で言った。
『支度なさい。掘る道具と、灯り。あと、腹に何か入れておくこと』
「仕事か」
『いいから来なさい』
向かったのはギルドでも市場街でもなかった。スクラップの谷。それも、いちばん底へ。
崩れた斜面の前で、ようやく分かった。五日前、俺が落ちた穴だ。
『……貸しを、ひとつ返すわ』
ドクの声は、いつもの半分の高さだった。銘を聞かずにおいた、あの貸か、言うとおりに動いた貸しか……。
穴の底は、あの日のままだった。倒れた棚。砕けたガラス。
力が残っていなくて覗きに行けなかった闇が、奥に続いている。
灯りを向けると、突き当たりは壁ではなかった。瓦礫の奥に何かがある。
『いま、見せるわ』
瞬間、視界の中に、分厚い防火扉が見えた。どうやら不可視化されているらしい。
『左の下。蝶番の三つ目だけ生きてるわ。掘って。』
俺は黙って掘った。
掘るのに半日かかった。汗が顎から落ちて泥に穴を空けるころ、扉が指の幅だけ動いた。
『梃子を掛けて、押しながら上へ』
中から出てきた空気は、乾いていた。この街の地下で乾いた空気に会うのは、初めてだった。
灯りを回し見た。埃の海の底には、部屋があった。
中央に台がある。人がひとり寝られる長さの、脚の太い整備台。天井には多腕が折り畳まれて吊るされていた。
壁は一面が棚だ。棚には見たことのない道具が、種類ごとに寝かせてある。取っ手のついた診断機。ガラスの筒に入った校正器。奥の扉の向こうは材料庫らしい。素材の棒と板が、長さごとに揃えて立ててあった。棒の小口には焼き印があった。砂漠の紋だ。
扉の内側、剥げた塗装の下に古い表示が読めた。——東雲重工しののめじゅうこう・第三研究区画。
「研究区画?」
『昔の話よ』
ドクは棚の前に立って、棒の小口を覗き込んでいた。今日は作業着だ。袖をまくって、髪を高く上げている。
『これは中東の冶金屋の印。……この地金じがね、数世代前のものよ』
「古いってことか」
『古いんじゃないの。失われた技術ね。いまのより不純物が少ない』
『私のころは、この紋の地金を指名で買う工房があったの。井上剛三いのうえごうぞう——窯で焼き物みたいに素材を焼く、偏屈な爺さん』
俺は棚から一つ取った。手のひらに乗る、削られた鉄の台だ。
「……なんだこれ。良い形だな。」
『そういう風に削ってあるからよ』
ドクの声が、少しだけ嬉しそうだった。
『腕のいい人間の技ってね、身体で感じるモノなの。口で何度言っても、伝わらない。……だから、鉄で写し取るのよ。治具は、勘の化石だと思いなさい』
「誰の勘だよ」
『……その質問には、今日は答えない約束にしましょう』
※
壁の配電盤は死んでいた。俺の灯りが消えれば、ここはただの墓だ。
『廃線区の変電室。覚えてる? まだ生きてる系統が残ってたでしょう』
「覚えておくだけ、って言ってたやつか」
『覚えていたのよ』
残りの半日と、次の日の大半が、電気を引くことに消えた。廃線のトンネルまで往復して、生きた系統を一本こっちへ引き直した。
ケーブルは市場で買った。数日ぶんの飯が、銅に化けた。銅はこの市場でいちばん値切れない品だ。月に一度オウロ・ヴェルジの買い付け船が入って、出た銅をあるだけ攫っていくので、値下がらない。
ケーブルの端子の酸化した皮を刃で落として、地肌を出す。対角に、二回に分けてドクの言う値まで締めた。
ケーブルを引き終えて、最後に主開閉器を上げた。
一拍おいて、天井の灯が、奥へ順に点っていった。
埃の海の底から、俺たちの影が立ち上がり、整備台の天板が白く光った。吊るされた多腕が、寝ぼけたように一度だけ身じろぎしたように感じた。
〈——電源、復旧。……お帰りなさい〉
どこからともなく、抑揚の無い声がした。女とも男ともつかない。
『……ただいま』
ドクが小さく答えた。誰に向けた挨拶なのか、俺には分からなかった。
※
『……そこの台に乗りなさい。うつ伏せで。うなじの蓋を開けて』
「うなじ?」
『あるでしょう、整備端子が。二年、一度も開けてない蓋が』
台の脇から出てきたのは、被覆の分厚い有線だった。首の後ろに差し込むと、視界の端に承認を求める文字が出た。外部整備権限、接続要求。帯域96。
『言っておくけど。これを繋げば、私はこのリグを動かせる。あんたの身体に、私の手が直接届くのよ。腕の中からじゃ、私は聞くだけ、見るだけだった。……嫌なら断りなさい。断っても、恨まないわ』
いままで誰にも頼ってこなかった男が、他人に身体を預ける。
指が、承認の上で一度止まった。
「ここまで来て引き返せないさ」
「それに……あんた以外に、触らせる気はないよ」
承認を押して、目を閉じた。
『じゃあ、行くわよ』
視界の下から、見たことのない帯が上がってきた。
〈整備シークエンスに移行します〉
電気を入れたとき聞こえた、あの声だ。ドクじゃない。
指を動かそうとしても、動かなかった。首も、爪先も。
息はできる。目も見えている。ただ、身体が俺のものではなくなった。
ドクの声音が変わった。
腕の中の一点から来ていたものが、部屋そのものから来る。全周囲のスピーカーに囲まれて声をかけられているようだった。
『大丈夫。動けないだけよ。整備中に暴れられたら困るでしょう』
意識の水位が、静かに下がっていく。眠いのとは違う。俺という部屋の灯りが、一段だけ絞られたような。
〈全身スキャンモード起動〉
〈対象、機化きか者一。三十三ユニット、全系統〉
天井から降りてきた多腕が、俺の身体の上で開いた。
光の帯が足の先から頭まで、二度、往復した。
『あぁぁっ』
ドクが声を上げた。
『——この全能感。やっぱり、たまらないわね』
大丈夫かよ。
こんな心の底から嬉しそうな声がこの女から出るとは意外だった。
〈全系統、順に重点検査します〉
『いいわ、琥珀こはく。全部読み上げて。私、この時間がいちばん好きなの』
琥珀。整備台付属のAIらしい。
〈第一系。中枢デバイス、界面の接続層に不整合。判定、要観察〉
『そこは飛ばして。次』
〈第四系。視覚デバイス、ココノテクノ製。ライセンスの検証、失敗。判定、要更新〉
『それも飛ばす』
〈了解しました〉
引っかかったのは、その二つだけだった。あとは片端から読み上げられていく。
右肩の駆動は摩耗が二割で、寿命は半年。冷却の第二経路は四割詰まっている。
俺の身体は、こんなに多くの故障を黙って抱えていたらしい。
『やっぱりね。三十三のうち、まともなのは今朝で四つ』
〈提案。優先度は、①冷却経路の復旧 ②脊椎バスの信号品質 ③右上肢の軸受の順です〉
『違う』
ドクの声が、笑いを含んだ。
『順番は逆。まず流れを通してから、詰まりを取るの。冷やしても、渋滞したままの信号は速くならないでしょう。琥珀、あんたは昔から順番の趣味が悪いわ』
〈記録します〉
『記録しなくていいわよ、そんなの』
そこからは、祭りみたいだった。
多腕が四本、同時に降りてくる。校正器の筒に探針が刺さって、基準の値が読み直される。
『測る前に、測る道具を測るのよ。狂った物差しで詰めた身体ほど、性質の悪いものはないわ』
背骨に沿って、指の腹くらいの圧が滑っていく。関節の遊びを一度ぜんぶ開放してから、順に詰め直しているのが分かる。温めては測り、冷ましては測り直している。
『十二番、開けて。……あぁ、ひどいわ、これ。誰がこんな締め方をしたの』
「俺だよ」
『褒めてないわよ』
ドクは終始しゃべっていた。時々、誰にともなく笑った。腕の中にいたときの、口だけの女ではなかった。手が四本ある。部屋そのものが身体になっている。この人はたぶん、生きていたころの形に戻っているのだろう。
そのころには、俺の意識の水位はもうギリギリだった。
一度だけ、多腕が顔の上で止まった。
探針が眼の点検口の縁をなぞって——触れずに、そのまま横を通り過ぎた。
全部を開けて詰め直しているこの女が、そこだけ開けなかった。
『あら、寝たわ』
〈対象の意識レベル、低下。整備の続行に支障はありません〉
『……そうね。じゃあ、続きは私たちで』
※
『——起きなさい。仕上げよ』
その声で目が開いた。
ドクは整備台の縁に腰かけて、俺を見下ろしていた。
『先に報告。台帳の嘘、二つとも見つけたわよ』
リグの先に、四〇口径のモジュールが摘まれていた。
『一つ目はこれ。刻印は五十鈴いすず、中身は双十そうじゅうの写しよ。当分は装薬の弱い再装弾を選びなさい』
「……笑いを付け忘れたやつか」
『そう。二つ目は背中。八洲やしまの皮を被ったハーネスで、中の導体が一段細いの。右半身へ行く電流と信号が、少しずつ削られてた』
「それが、右が遅い理由か」
『いくらかはね。替えても左腕には追いつかないわよ。残りは、あんたの稽古の分』
リグが畳まれて、部屋が一段静かになった。
『それで、ここからが本題。——あんたの身体の癖、全部書き留めたわ。径の狂いも、締めの泣き所も、右の遅れも。これがゼロポイントよ』
「ゼロポイント?」
『物差しのゼロ。今日のあんたを、目盛りのゼロにしたの。この先どこかが狂えば、ゼロからのずれて見える。ずれが見えれば、直せる。……戦ってる最中でも、よ』
『それと、もうひとつ』
声の調子が変わった。祭りの声ではなかった。
『琥珀、書庫の三番。私のライセンスで開けなさい』
〈——解錠〉
『私が生きてたころにやっていた研究よ。考える速さと、神経の伝わる速さ。人はね、装置より先に、神経の伝達で詰まるの。そこを速くする』
「……そんなことが、できるのか」
『できたのよ、一応は。このリグに焼き残しがあった。あんたのOSに焼けるかどうか、琥珀に計算させてたの』
〈適合率、九一。書き込みは可能です〉
『言っておくけど、丸ごとは渡せないわ。あんたの部品は安物で、負荷に耐えられないわ。三秒よ。持続時間が三秒だけ使える。』
「三秒で、変わるのか?」
『試せば分かるわ』
うなじの有線が熱くなった。焼く、というのは比喩ではないらしい。首の奥を、細い熱がゆっくり降りていった。
〈書き込み、完了。検証、通過〉
台から降りて、床に足をつけた。
音がしなかった。
歩いた。関節のどこも違和感がない。今まで俺の身体は、一歩ごとにどこかが小さく文句を言っていたらしい。腕を回す。肩を落とす。息を吸う。全部が、生前の身体みたいに静かだった。
『部屋の真ん中に立ちなさい。有線はそのまま』
『琥珀、座金を三枚。天井から、ばらばらに落として』
「おい、何を——」
『三秒よ。——加速』
視界の端に、数字が出た。3。
音が伸びた。視界がわずかにブレる。
多腕の駆動音が低い唸りに変わって、そのまま続いている。灯りの中の埃が、浮いたまま落ちてこない。
落ちてくる座金が、見えた。
三枚。回りながら、ゆっくり降りてくる。
手を出した。一枚。二枚。
2。
1。
数字が減っていく。
身体は、思ったほど速く動かない。速くなったのは、知覚か。手が座金に届くまでの時間を、俺は生まれて初めて長いと感じた。
三枚目に手を伸ばした。
0。
音が戻った。
三枚目が、床で鳴る。
膝と肘が、中から熱い。生身の部分から汗もでている。視界の隅に、見たことのない灰色の行が出ていた。
濾過、負荷29。
『それが三秒』
ドクの声は、少しだけ得意そうだった。
「……三枚目は」
『身体が追いつかなかったのよ。安物だから。いつか三枚、取れるようになりなさい』
〈冷却中。再使用可能まで、しばらくかかります〉
『連続では使えないわ。使うたびに濾過ろかに負荷が乗るの。さっきの数字がそれよ。一晩で抜けるけど、続けざまに使えば今日はもう動けない。タダじゃないの、速さは』
灯を落とす前に、ドクが言った。
『ここのことは誰にも言わないこと。整備台ひとつで人が死ぬ土地柄よ、この辺りは。知られたら、あんたはここを守るために人を撃つことになる』
「言わないよ」
整備台の縁の、ちょうど手が当たるところに、彫りの跡があった。摩耗して読めない。二文字だったような気もした。
これは聞かなかった。
『それで、今夜はどうするの』
「……ここでいい。台の上は、廃墟の床より暖かい」
『あら。じゃあ消灯は琥珀に頼みなさい』
言っておくけど、切り札よ。朝の体操に使わないこと。
「使うわけないだろ」
使ってみたくて、仕方なかった。
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