第9話 キャッシュ——WELCOME HOME

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/10 📚 シリーズ: その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 📝 3,339文字 ✅ 全年齢

あらすじ

その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第9話 キャッシュ——WELCOME HOME

本文

〈起床を確認。五時五十八分〉

〈本日の予定。廃線の奥、資材庫の回収。往復、徒歩で六時間ほど〉

 琥珀こはくの声で身体を起こすと、ドクはもう工房の出口に立っていた。作業着の上に外套を羽織って、髪を高いところで結んでいる。足元を見て、俺は二度見した。

「……あんたも長靴なのか」

『気分の問題よ』

 濡れない女の長靴というのは、なんというか、ずるい。

 俺の長靴は隣の廃墟の物置から出てきたやつで、左右で色が違う。水さえ通さなければ文句はない。

『言っておくけど、今日は拾いに行くんじゃないのよ』

 ドクの声は、朝から楽しそうだった。

『取りに行くの。私の物を、私の倉庫から』

※

 廃線区の口から、いつもの回収場を素通りして、奥へ。

 制御基板を剥がしたあの変電室が、俺の知っている一番奥だった。そこから先へ灯りを向けたことは、二年で一度もない。奥へ行くぶんだけ、出口が遠くなるからだ。

 変電室の先で、線路は水に沈み始めた。深さは膝の下まで。泥の水面を、俺の灯りだけが往復する。天井から垂れた架線が、灯りの中で影ごと揺れた。

「この線路、どこまで続いてるんだ」

『塔の下までよ。……昔はね。いまは途中で潰れてるわ』

 崩れて塞がった場所が二つあった。ドクはそのたびに迷わず、脇の保守通路を指した。通い慣れた道の指し方だった。

 保守通路の入口の上に、金属の銘板が残っていた。手袋で泥を拭うと、彫りの深い字が出てくる。東雲重工しののめじゅうこう。

「しののめ、じゅうこう?」

『この塔と、この廃線を建てた会社よ』

『私のころは、街でいちばん大きい名前だったわ。倒れて、消えて、いまは銘板だけ』

「会社って、消えるのか」

『消えるわよ。身体と同じ。金が回らなくなったら、止まるの』

 保守通路の先で、天井が一段低くなった。四つん這いでないと進めない、排水管の口が開いている。

「……ここ通るのかよ」

『通るわよ。這ってでもね』

「配管の先に倉庫があるとか、正気か」

『正気じゃないから、二十年、誰も来なかったのよ』

 膝と、機械の肘で泥を掻いた。生身の腕のほうが先に音を上げた。管の中は真っ暗で、俺の灯りしか色がなかった。

※

 管を抜けた先は、ひと部屋ぶんだけ広い空間だった。

 壁際に、鈍色の箱が埋め込まれている。人の背丈ほど。表面は傷だらけだった。

 縁に沿って、梃子をねじ込んだ潰れ傷が何段も重なっている。真ん中には、焼き切りの焦げが虹色に残っている。途中で折れたドリルの刃が、刺さったまま錆びていた。薬品を流したらしい白い垂れ痕もある。

 箱の手前には、潰れた携行缶と古い火の痕が残っていた。誰かがここで、何日も粘ったのだ。

「……ドク、あった。これだろ」

 声が弾んだ。固いってことは、中に何かある。それがこの街の相場だ。

『残念。それは違うわ』

「は?」

『昔の分電盤よ。塔の非常回路に繋がってた箱で……中身は端子と碍子がいし。金目のものなんて、最初から無いの』

「じゃあ、この傷は」

『みんな、あんたと同じことを考えたのよ。頑丈な箱には、何かあるはずだって』

 ドクが箱の縁を指でなぞった。触れてはいない。

『しかも、これは岩盤に直接、鋲で打ち込んであるわ。剥がして持ち出すには、壁ごと崩すしかない。手間だけ食って、何も出ない。二十年、みんなここで消耗したのよ』

「わざと、なのか」

『さあ、どうかしらね』

 答える気はないらしい。ドクは箱に背を向けて、奥の暗がりを指した。

「……何も無いだろ、そこ」

『でしょうね』

※

 指の先には、ただの岩壁があった。継ぎ目も、色の違いも、何一つ無い。

『看破(タグ)を描くわよ』

 視界は、静かなままだった。赤い線どころか、壁だと示す枠さえ現れない。

「……何にも出ないぞ。壁としてすら、拾ってない」

『そう。無いのと同じなのよ、これは』

「頑丈な鍵より、そっちのほうが強いのかよ」

『当たり前でしょう。壊されない鍵より、探されない鍵のほうが上よ』

『さっきの箱は、餌。時間を吸わせるための的』

「じゃあ本物は」

『壊す錠じゃないわ。話しかける錠よ』

『中に、私よりずっと古い門番が住んでるの。……久しぶりに、名乗ってやらないと』

 ドクの声は、隠しきれないくらい得意そうだった。

『どいてなさい』

 ドクは岩壁の正面に立った。外套の襟を直して、息を吸う真似をする。肺は無いはずなのに。

『——ただいま』

 俺にしか聞こえないはずの声だった。

 一拍、何も起きなかった。

 それから、岩の向こうで、何かが順番に回る音が低く鳴った。一つ。二つ。数えて、六つ。

〈——おかえりなさい〉

 掠れた合成音声が、岩そのものから漏れた。琥珀より古い声だ。

 傷一つ無い岩肌が、音もなく縦に割れた。継ぎ目なんて、最初から無かったみたいに。

「開いた……おい、開いたぞ! 壁だったのにか!?」

『壁じゃないわ。壁に見せてただけ』

「あんたの声は、俺にしか聞こえないんじゃなかったのか」

『あら。いいところに気づいたわね』

「誤魔化すなよ」

『企業秘密』

※

 中は、乾いた小部屋だった。倉庫の空気も、工房と同じ乾き方をしている。

 壁の棚に、油紙の包みが列で寝かせてある。ドクの指図で一つ開けると、鈍く光る金属の棒が束で出てきた。小口には砂漠の紋。中東の冶金屋の焼き印だ。井上剛三いのうえごうぞうの爺さんが指名で買ったという、あの地金じがねだった。

「これ、全部あの地金なのか」

『そうよ』

 棚は五段あった。

 俺は二年、谷で拾って、売って、食い繋いできた。その二年ぶんを全部積み上げても、たぶんこの棚の一段に届かない。

「……はは」

 変な笑いが出た。

「俺の二年より、棚の一段のほうが重いのかよ」

『市場の材料屋が十年店を開けても、この純度はひと棚も集まらないわね』

 奥には部品の箱が積んであった。旧い世代の駆動。神経の束。名前の分からない結晶。工具の棚には、工房のものより上等な校正器が筒ごと並んでいる。

『言っておくけど』

 ドクが棚の縁に、腰かける形で寄りかかった。触れてはいない。

『これで勝てるようになるわけじゃないのよ。この街に流れてくる新品は、どうせ八洲やしまの型落ちまで。金で増えるのは、選べる数だけ』

「それでも、飯の心配は消えるんだろ。二年ぶん——いや、十年ぶんは」

『消えるわね』

「じゅうぶんだ」

 俺は、開いたままの扉を振り返った。

 梃子も、火も、薬品も、看破(タグ)さえ通らなかった扉。それが、ただいまとおかえりで開いた。

「なあ、ドク。これを作ったあんたは……あんた、何者なんだ」

『機体の研究者。前に言ったでしょう』

「研究者ってのは、こんな扉まで作るのか」

『腕のいい研究者だったのよ』

 ドクは髪を耳にかけて、いつものからかう顔で笑った。それ以上は何も言わなかった。

「……塔の下にも、こういうのがあるのか。誰も開けてない層ってのは」

『ここのは私が作ったの。だから私が開けられる』

 一拍、声が低くなった。

『あそこのは、私のじゃないわ』

「じゃあ、誰の」

『順番よ、カイ。まず荷造り』

※

 背負子に、地金を八本と部品の箱を一つ。工具は校正器だけ。ドクが選んだ「最初のぶん」だ。

 積載、38/60。

 水の中で、腰の駆動の負荷が一段上がった。一歩ごとに、膝がかすかに軋む。行きに数えなかった枕木の段差を、帰りは全部数えた。

 トンネルを出ると、日が落ちかけていた。

 谷の縁に立った瞬間、口笛が一つ、長く鳴って消えた。

 昨日の夕方に聞いたのと同じ、谷の見張りの合図だ。

 振り向いた。崩れた集合住宅の屋根の上に、小さい影が一つ立っている。子供だ。逆光で顔は見えない。ただ、こっちを向いている。

『止まらない』

 ドクの声が、低く短くなった。

『歩き続けなさい。荷は見せない。でも、隠してるところも見せない』

「……どういうことだよ」

『帆布はもう掛けてあるでしょう。それでいいの。ここで立ち止まって縛り直したら、縛り直す値打ちのある荷だと教えるようなものよ』

 俺は前を向いて、同じ速さで歩いた。背中の帆布の下で、地金の棒が段差のたびに小さく鳴った。

『それとカイ。明日から、出る時間を毎日変えるわよ』

「なんでだよ」

『荷物を持った人間の習慣はね、狙う側の時間割になるの』

 工房に戻って、荷を下ろした。

 地金の棒を棚に並べ終えても、肩から重さが抜けた気がしなかった。

 屋根の上の子供。あの目は、俺を見ていたのか。荷を見ていたのか。

 口笛は、一つだけだった。……あれは誰に、何を報せた音なんだ。

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