第9話 キャッシュ——WELCOME HOME
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あらすじ
その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第9話 キャッシュ——WELCOME HOME
本文
〈起床を確認。五時五十八分〉
〈本日の予定。廃線の奥、資材庫の回収。往復、徒歩で六時間ほど〉
琥珀こはくの声で身体を起こすと、ドクはもう工房の出口に立っていた。作業着の上に外套を羽織って、髪を高いところで結んでいる。足元を見て、俺は二度見した。
「……あんたも長靴なのか」
『気分の問題よ』
濡れない女の長靴というのは、なんというか、ずるい。
俺の長靴は隣の廃墟の物置から出てきたやつで、左右で色が違う。水さえ通さなければ文句はない。
『言っておくけど、今日は拾いに行くんじゃないのよ』
ドクの声は、朝から楽しそうだった。
『取りに行くの。私の物を、私の倉庫から』
※
廃線区の口から、いつもの回収場を素通りして、奥へ。
制御基板を剥がしたあの変電室が、俺の知っている一番奥だった。そこから先へ灯りを向けたことは、二年で一度もない。奥へ行くぶんだけ、出口が遠くなるからだ。
変電室の先で、線路は水に沈み始めた。深さは膝の下まで。泥の水面を、俺の灯りだけが往復する。天井から垂れた架線が、灯りの中で影ごと揺れた。
「この線路、どこまで続いてるんだ」
『塔の下までよ。……昔はね。いまは途中で潰れてるわ』
崩れて塞がった場所が二つあった。ドクはそのたびに迷わず、脇の保守通路を指した。通い慣れた道の指し方だった。
保守通路の入口の上に、金属の銘板が残っていた。手袋で泥を拭うと、彫りの深い字が出てくる。東雲重工しののめじゅうこう。
「しののめ、じゅうこう?」
『この塔と、この廃線を建てた会社よ』
『私のころは、街でいちばん大きい名前だったわ。倒れて、消えて、いまは銘板だけ』
「会社って、消えるのか」
『消えるわよ。身体と同じ。金が回らなくなったら、止まるの』
保守通路の先で、天井が一段低くなった。四つん這いでないと進めない、排水管の口が開いている。
「……ここ通るのかよ」
『通るわよ。這ってでもね』
「配管の先に倉庫があるとか、正気か」
『正気じゃないから、二十年、誰も来なかったのよ』
膝と、機械の肘で泥を掻いた。生身の腕のほうが先に音を上げた。管の中は真っ暗で、俺の灯りしか色がなかった。
※
管を抜けた先は、ひと部屋ぶんだけ広い空間だった。
壁際に、鈍色の箱が埋め込まれている。人の背丈ほど。表面は傷だらけだった。
縁に沿って、梃子をねじ込んだ潰れ傷が何段も重なっている。真ん中には、焼き切りの焦げが虹色に残っている。途中で折れたドリルの刃が、刺さったまま錆びていた。薬品を流したらしい白い垂れ痕もある。
箱の手前には、潰れた携行缶と古い火の痕が残っていた。誰かがここで、何日も粘ったのだ。
「……ドク、あった。これだろ」
声が弾んだ。固いってことは、中に何かある。それがこの街の相場だ。
『残念。それは違うわ』
「は?」
『昔の分電盤よ。塔の非常回路に繋がってた箱で……中身は端子と碍子がいし。金目のものなんて、最初から無いの』
「じゃあ、この傷は」
『みんな、あんたと同じことを考えたのよ。頑丈な箱には、何かあるはずだって』
ドクが箱の縁を指でなぞった。触れてはいない。
『しかも、これは岩盤に直接、鋲で打ち込んであるわ。剥がして持ち出すには、壁ごと崩すしかない。手間だけ食って、何も出ない。二十年、みんなここで消耗したのよ』
「わざと、なのか」
『さあ、どうかしらね』
答える気はないらしい。ドクは箱に背を向けて、奥の暗がりを指した。
「……何も無いだろ、そこ」
『でしょうね』
※
指の先には、ただの岩壁があった。継ぎ目も、色の違いも、何一つ無い。
『看破(タグ)を描くわよ』
視界は、静かなままだった。赤い線どころか、壁だと示す枠さえ現れない。
「……何にも出ないぞ。壁としてすら、拾ってない」
『そう。無いのと同じなのよ、これは』
「頑丈な鍵より、そっちのほうが強いのかよ」
『当たり前でしょう。壊されない鍵より、探されない鍵のほうが上よ』
『さっきの箱は、餌。時間を吸わせるための的』
「じゃあ本物は」
『壊す錠じゃないわ。話しかける錠よ』
『中に、私よりずっと古い門番が住んでるの。……久しぶりに、名乗ってやらないと』
ドクの声は、隠しきれないくらい得意そうだった。
『どいてなさい』
ドクは岩壁の正面に立った。外套の襟を直して、息を吸う真似をする。肺は無いはずなのに。
『——ただいま』
俺にしか聞こえないはずの声だった。
一拍、何も起きなかった。
それから、岩の向こうで、何かが順番に回る音が低く鳴った。一つ。二つ。数えて、六つ。
〈——おかえりなさい〉
掠れた合成音声が、岩そのものから漏れた。琥珀より古い声だ。
傷一つ無い岩肌が、音もなく縦に割れた。継ぎ目なんて、最初から無かったみたいに。
「開いた……おい、開いたぞ! 壁だったのにか!?」
『壁じゃないわ。壁に見せてただけ』
「あんたの声は、俺にしか聞こえないんじゃなかったのか」
『あら。いいところに気づいたわね』
「誤魔化すなよ」
『企業秘密』
※
中は、乾いた小部屋だった。倉庫の空気も、工房と同じ乾き方をしている。
壁の棚に、油紙の包みが列で寝かせてある。ドクの指図で一つ開けると、鈍く光る金属の棒が束で出てきた。小口には砂漠の紋。中東の冶金屋の焼き印だ。井上剛三いのうえごうぞうの爺さんが指名で買ったという、あの地金じがねだった。
「これ、全部あの地金なのか」
『そうよ』
棚は五段あった。
俺は二年、谷で拾って、売って、食い繋いできた。その二年ぶんを全部積み上げても、たぶんこの棚の一段に届かない。
「……はは」
変な笑いが出た。
「俺の二年より、棚の一段のほうが重いのかよ」
『市場の材料屋が十年店を開けても、この純度はひと棚も集まらないわね』
奥には部品の箱が積んであった。旧い世代の駆動。神経の束。名前の分からない結晶。工具の棚には、工房のものより上等な校正器が筒ごと並んでいる。
『言っておくけど』
ドクが棚の縁に、腰かける形で寄りかかった。触れてはいない。
『これで勝てるようになるわけじゃないのよ。この街に流れてくる新品は、どうせ八洲やしまの型落ちまで。金で増えるのは、選べる数だけ』
「それでも、飯の心配は消えるんだろ。二年ぶん——いや、十年ぶんは」
『消えるわね』
「じゅうぶんだ」
俺は、開いたままの扉を振り返った。
梃子も、火も、薬品も、看破(タグ)さえ通らなかった扉。それが、ただいまとおかえりで開いた。
「なあ、ドク。これを作ったあんたは……あんた、何者なんだ」
『機体の研究者。前に言ったでしょう』
「研究者ってのは、こんな扉まで作るのか」
『腕のいい研究者だったのよ』
ドクは髪を耳にかけて、いつものからかう顔で笑った。それ以上は何も言わなかった。
「……塔の下にも、こういうのがあるのか。誰も開けてない層ってのは」
『ここのは私が作ったの。だから私が開けられる』
一拍、声が低くなった。
『あそこのは、私のじゃないわ』
「じゃあ、誰の」
『順番よ、カイ。まず荷造り』
※
背負子に、地金を八本と部品の箱を一つ。工具は校正器だけ。ドクが選んだ「最初のぶん」だ。
積載、38/60。
水の中で、腰の駆動の負荷が一段上がった。一歩ごとに、膝がかすかに軋む。行きに数えなかった枕木の段差を、帰りは全部数えた。
トンネルを出ると、日が落ちかけていた。
谷の縁に立った瞬間、口笛が一つ、長く鳴って消えた。
昨日の夕方に聞いたのと同じ、谷の見張りの合図だ。
振り向いた。崩れた集合住宅の屋根の上に、小さい影が一つ立っている。子供だ。逆光で顔は見えない。ただ、こっちを向いている。
『止まらない』
ドクの声が、低く短くなった。
『歩き続けなさい。荷は見せない。でも、隠してるところも見せない』
「……どういうことだよ」
『帆布はもう掛けてあるでしょう。それでいいの。ここで立ち止まって縛り直したら、縛り直す値打ちのある荷だと教えるようなものよ』
俺は前を向いて、同じ速さで歩いた。背中の帆布の下で、地金の棒が段差のたびに小さく鳴った。
『それとカイ。明日から、出る時間を毎日変えるわよ』
「なんでだよ」
『荷物を持った人間の習慣はね、狙う側の時間割になるの』
工房に戻って、荷を下ろした。
地金の棒を棚に並べ終えても、肩から重さが抜けた気がしなかった。
屋根の上の子供。あの目は、俺を見ていたのか。荷を見ていたのか。
口笛は、一つだけだった。……あれは誰に、何を報せた音なんだ。
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