第10話 中央商圏——FULL VOLTAGE
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第10話 中央商圏——FULL VOLTAGE
本文
〈起床を確認。六時四分〉
〈本日の予定は、未記録です〉
「未記録?」
『休みってことよ』
ドクは整備台の脇で腕を組んでいた。今日は作業着でも白衣でもない。丈の長い外套の下に、見たことのない服を着ている。
『街を見に行くわよ。中央』
「中央……装備を買いに行くのか」
『買わないわ。今日は下見』
『相場を知らない客はね、ふっかけられても気づけないの。だから買う前に、店と値段だけ覚えるのよ』
※
出がけに、市場街の材料屋で地金じがねの小さい一枚だけを現金チップに換えた。
『一枚だけ。次に換えるときは、別の店。いい?』
「分かってるよ」
秤に載せた店主は、値を言う前に俺の顔を一度見た。その目が、一拍だけ長かった。
市場街の東の端から先は、俺の知らない街だった。
歩くうちに、まず街灯が増えた。二本に一本だった灯りが、全部点いている並びに変わる。そのうち、朝から点けっぱなしの看板が現れた。電気を消し忘れる街というものを、俺は初めて見た。
電気の生きている側の縁に、高架の駅があった。柱に鯨の紋が彫ってある。
『鯨海げいかいの貨客線よ。港から中央まで、魚と部品と人を同じ編成で運ぶの』
『会社が自分の荷物のついでに、人も乗せてやってる。そういう線』
乗ってすぐ、隣に勤め人が座った。
白い襟。生身の手。生身の脚。ただ、こめかみに銀色の小さい端子が一つ埋まっている。男は目を閉じたまま、膝の上で指だけを細かく動かしていた。唇がたまに動くのに、声は出ていない。
「……なあ、ドク。あれも機化きかなのか」
小声で聞いた。車内の誰も、こっちを見なかった。見れば分かる。この車両の半分は、誰もいない空中に向かって喋っている。俺とドクの会話は、この街ではただの日常の風景らしい。
『白襟のBMIよ。頭の中に、帳面と計算機を足すの。腕も脚も生身のまま』
『商圏の勤め人は、だいたい入れてるわ』
「あれも、OSはユニオンウェアなのか」
『そうよ。あんたの三十三ユニットと、あの人のこめかみの一個。動かしてるOSは同じ』
『サブスクのいちばんのお客はね、傭兵じゃないの。ああいう勤め人よ。数が違うもの』
「タダのOSは無いのか」
『あるわよ。フリー規格。誰でもタダで入れられるわ』
『でも、まともな勤め人は使わない。鍵が甘いのよ。乗っ取られて、こめかみの中身ごと他人の道具にされた例がいくらでもあるの』
「……じゃあ、月額ってのは」
『安全料よ』
窓の外の電線が、駅を二つ過ぎるごとに太く、多くなっていった。
※
中央の駅を降りた瞬間、音と光が多すぎて、一歩目が出なかった。
ネオン。壁一面のホロ看板。宙に浮いた文字が、人の流れの上でほどけては組み直される。頭の上を、配達のドローンが列で流れていく。道が乾いている。ゴミが無い。
「……なんだよ、これ。同じ街なのかよ」
『同じ街よ』
ドクはいつの間にか、白の長いワンピースに替わっていた。髪を下ろして、ホロ看板を見上げている。
「いつ着替えた」
『気分よ』
改札の先に、治安部隊が二人立っていた。
揃いの装甲の胸に、章が三つ並んでいる。会社の章だ。この区画に金を出している企業の数だけ、章が増えるらしい。
無作為の照会に当たった。認識票をかざす。9級、フリー。
機械を持った男の目が、俺の風体を上から下まで往復した。一拍あってから、顎で、通れ。
頭の上では監視のドローンが一台、俺に高度を合わせてしばらくついてきた。
「……見られてるな」
『西の顔は目立つのよ。堂々と歩きなさい。金はあるんだから』
大通りの両側に、企業の支店が並んでいた。
渤海ぼっかいの支社は、通りに面した壁が一枚ガラスだった。その奥の台座で、最新の脚部ユニットが一本だけ回っている。細い生身の腰から下に付ける、俺の胴より太い脚だ。値札は無い。
『値札の無い店はね、値段を聞く客を相手にしてないのよ』
その先のビルの壁に、薄緑のロゴが浮かんでいた。ROKUSHO。緑青生体技研ろくしょうせいたいぎけん。何の会社かは、外からは分からなかった。
交差点の上には、八洲やしまのホロ広告が浮かんでいた。ビルの三階ぶんはある腕を、宙で組み立てては、ばらしている。
部品街は、西の市場と言葉が違った。
西では、三年落ちが「新しい」と呼ばれる。ここでは一年落ちが「型落ち」と呼ばれて、棚の下の段に下げられていた。
「……同じ型落ちでも、こんなに違うのか」
『言ったでしょう、選び方で勝つって。買うのはまだよ』
ドクは棚を端から端まで、目だけで二度往復した。心底楽しそうだった。
※
大通りの突き当たりに、ギルドの本部があった。
西の分所は、倉庫に受付を置いただけの建物だ。本部は、鉄骨とガラスの、ちゃんとした塔だった。
その前の広場に、電光掲示が立っている。次の一本試験の開催日。挑戦者の名簿。名簿の横を、倍率の数字が流れていく。賭けの窓口には、昼間から列ができていた。
「……賭けって、本当に堂々とやるんだな」
『ギルドは胴を取らないのよ。場所を貸して、場代を取るだけ』
『負けた客に恨まれるのは胴元。ギルドは場代のぶんだけ、誰にも恨まれずに儲かるの。賢いでしょう』
名簿のいちばん下の挑戦者の倍率は、いちばん上の十倍以上あった。
『あんたは、あれより下から始まるのよ。楽しみね』
「他人事だと思って……」
広場の端から西を見ると、折れた塔が遠くにあった。中央から見る塔は、書割みたいに平たくて、小さい。
『金、装備、級、部屋、塔』
ドクが指を折る真似をした。
『一本目は、もう折れたわ』
昼は、広場の裏の屋台街に入った。
湯気が路地の奥まで満ちている。ドクが迷わず一軒を指した。
『そこ。麺。魚の出汁のやつ』
どんぶりの中で、白い身の魚が湯気を上げていた。今朝、港で上がった魚だと店の婆さんが言った。婆さんは現金チップを嫌がらなかった。中央でも、屋台の商いは現金が生きているらしい。
一口すすって、箸が止まった。
「……うまっ。なんだこれ」
二年間、俺の飯は味より量だった。うまい、と最後に声に出したのがいつだったか、思い出せない。
二杯目を頼んだ。金があると、同じ街で、違う世界の飯が出てくる。
『いい食べっぷりね』
ドクは向かいの席に座る形で、頬杖の真似をしていた。どんぶりの湯気は、彼女の前髪を揺らさない。
『……その出汁、昔より薄いわね』
「昔って、いつだよ」
『…………』
『さ、次。歩くわよ』
※
帰りの電車は、夕方の色だった。
窓の外の灯りが、駅を過ぎるごとに間引かれていく。まず看板が消えて、次に街灯が一本おきになる。やがて窓の外は、俺の知っている暗さに戻った。
西の縁の駅で降りると、ドクはいつもの白衣に戻っていた。
「なあ、ドク」
暗い道を歩きながら、聞いた。
「あんたの生前の部屋って、谷の底の工房なんだろ」
『そうよ』
「谷の底から中央まで、片道でどれだけかかると思ってるんだ。なんで屋台の出汁の、昔の味まで知ってるんだよ」
『…………』
『——明日は東と南よ。港と、医者の街。早く寝なさい』
質問は今日も、答えの手前で取り上げられた。
振り返ると、中央の空だけが、雲の裏でまだ明るかった。
あの明るい側を、この女は生前、どこまで知っていたんだ。