老人は見ている
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
死のうと思った若者が、ふと横を見ると…
本文
あの日、俺は死のうと思って海が見える崖に来ていた。
仕事場が潰れたり、転職活動が失敗続きだったり。
とにかく色々嫌な事だらけで、もう限界だった。
「こころの相談室」
看板の文字が目に入る。
ああいうのはバイトがやるものだと聞いているし、話を聞いて貰いたいわけでもない。
不意に風が吹き抜け、錆びた柵をぎしりと鳴らした。
柵を乗り越え、崖に足を垂らす。
売店で買った缶コーヒーを飲みながら、ぼんやりと考えていた。
遺書を書いてからの方がいいかな……。
「うおぉーーーーーー!!!」
突然、遠くから叫び声が鼓膜を揺らす。
俺は思わずその方向を見てしまった。
老人だった。
ただし、下着一丁の姿。
俺と同じように海に面した崖の上に立ち、こちらを凝視している。
そして、俺が見たことに気付くと、老人は崖から飛び降りた。
笑っていた。
俺を見て笑いながら、老人は海へと落ちていった。
ザパーン!
激しい水音が響き、白い水柱が立ち上がる。
それきり、老人は浮かんでこなかった。
ちょっと待て、俺今やばい物を見てしまったんじゃないのか?
冷たい汗が背筋を駆け抜け、指先が強張る。
警察に、と一瞬考えた。
でもなんて説明すればいい?
下着姿の爺さんが崖から飛び降りたなんて言って信じるか?
もしかして俺が疑われたりするんじゃないのか?
恐ろしい考えが次々と脳裏を支配していく。
何より、あの老人の、飛び降りた時のあの笑顔が恐ろしくて、俺は急いでその場から逃げ出していた。
死ぬ気なんて、とっくに消え失せていた。
◇◇◇
『あの崖で、私がうおぉー!って叫んで自殺しようとした人がこっち見た時に飛び降りるんですよ』
事務所の休憩室。
テレビの中で、人のよさそうな老人が海に面した崖を背景にそう喋る。
『そしたら、飛び降りようとした人はビックリして腰抜かして、飛び降りるのを止めおるんですわ。それから、私がその人の所に行って、なんで死にたくなったんかを聞くんですわ。皆、泣きながら話してくれて、それから死ぬのをやめてくれはるんです』
画面を賑わせる特集番組。
自殺の名所で飛び降り自殺を防ぐ活動をしている老人の美談が、スピーカーから流れ続ける。
あれから、必死の思いで駆けずり回った転職活動。
どうにか引っかかった現在の職場。
いまや、食うには困らない生活がそこにある。
画面の老人へ送られるテレビの出演者からの絶賛の言葉。
周りの同僚たちも口々に褒めちぎっていた。
けど、俺は確信している。
あの時見たあの老人はあんないい人じゃない。
壁の鏡へ意識を向ける。
暗い硝子の向こう。
あの老人が後ろに立っていた。
あの時の、笑顔のまま。
ずっと注がれ続けている視線。
脳裏に直接響いてくる。
こいつは俺が死ぬのを待っている。
「死んでたまるか」
口の中で小さく呟く。
老人の口の端が静かにつり上がった。
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