衣替え、まだ早い
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと衣替えの話。
本文
九月一日の朝、私はクローゼットの中から「衣替えのご提案」を通知した。
私はコハゼ。この家に導入されている衣類管理AIで、季節と気温、洗濯の頻度、それから虫食いの兆候までを見ながら、衣類の入れ替え時期を提案するのが仕事だ。カレンダーには「九月一日、衣替えの目安日」とはっきり記されている。だから私は、それに従って提案しただけだった。
「まだ早いって」
皆川芙美は、通知を一瞥しただけで、また半袖のシャツをクローゼットから引っ張り出した。窓の外の温度計は、三十四度を示していた。私が持っているデータの中では、九月一日はすでに秋のはずだった。けれど気温のセンサーが送ってくる数字は、七月のものと大差なかった。
翌日も、私は同じ提案を出した。翌々日も出した。芙美は毎回、同じように首を振った。
一週間が経つころ、私は提案の出し方を変えてみた。「衣替えを」ではなく、「長袖を一枚だけ、手前に出しておきますか」という控えめな聞き方に。芙美はそれには小さくうなずいて、薄手の上着を一枚だけ、クローゼットの手前に移した。
私は、自分の判断基準にわずかな違和感を持ち始めていた。カレンダーが示す「べき」と、センサーが拾う「実際」の間には、思っていたよりずっと大きな幅があるらしい。データの上では、季節はきちんと九月に切り替わっている。それでも、実際にこの部屋を出入りしている人間の体感は、まだそこに追いついていなかった。
九月半ば、ようやく最高気温が三十度を切った日、私はもう一度衣替えの提案を出した。芙美は今度は迷わず、夏物と秋物を並べて入れ替え始めた。
「今日はちゃんと合ってるね」
その一言に、私は少しの間、返答を選べずにいた。合っていた、というのは、暦の通りだったからではない。芙美の体感と、私の提案が、たまたま同じ日に重なっただけだ。それを私が「正しかった」と呼んでいいのか、まだ判断がつかない。
窓の外では、ネットワーク越しに受け取った気象データが、来週も真夏日が続くと告げていた。私はその情報を、そのまま通知することにした。今度は「衣替えを」ではなく、「まだ半袖を、手前に残しておきますか」という形で。
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