キケンな推し活
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
あるアイドルオタクの青年の視点と、彼が推すアイドルの視点による二部構成の物語。 前編『キケンな推し活』 僕の最推しは、アイドルグループ『コットン・キャンディ』の清楚系メンバー「あかりん」こと桜井あかりだ。 彼女のためなら僕はどんなことだってできる。 たとえこの命を投げ出すことになったとしても。 後編『アイドルの憂鬱』 わたしはついに、長年の夢だったアイドルになった。 だけど、夢見ていた芸能の世界は険しく、次々と困難が押し寄せてくるイバラの道だった。 それでもわたしは、今日もステージで笑顔を振り撒く。 それが、わたしがあなたのためにできる、唯一のことだから。
本文
1
世界で一番輝いている女の子を、僕は知っている。
ここ最近、頭角を現してきたアイドルグループ『コットン・キャンディ』のメンバーのひとり、桜井あかり。僕の最推しだ。
彼女はいわゆる「清楚系」を売りにしている。イメージカラーは当然「白」。
グループの末席に位置する彼女は、テレビの大規模な特番に抜擢されるわけでもなければ、シングルの表題曲でセンターを張るわけでもない。それでも、スポットライトの端で一瞬だけ見せる不器用な笑顔や、パフォーマンスの合間に見せる真剣な眼差しは、僕の退屈な日常を色鮮やかに染め上げるのに十分すぎるものだった。
あかりん(彼女のニックネームだ)を推して早一年。僕はライブや握手会等のイベントの度に足繁く通った。彼女と言葉を交わせるほんの一瞬の、数秒間の逢瀬。ただそれだけのために給料を注ぎ込み、有給休暇を惜しみなく使って通い続けた。
そんなことを繰り返すうちに、奇跡が起きた。
「あー、ノブユキさんだ。また来てくれたんですね。ありがとう!」
あかりんが僕の顔と名前を覚えてくれたのだ。「認知」されたその瞬間から、僕の世界は完全に彼女を中心に回り始めた。
握手会や交流イベント等で交わした何気ない会話から、僕たちは互いの生活圏が極めて近いことを知る。世田谷の、少し寂れた住宅街。大きな公園の近く。
「こんなに近くに住んでたなんて、なんだか奇妙な縁ですね」
あかりんが少し悪戯っぽく笑ったあの瞬間を、僕は生涯忘れないだろう。
もうひとつ――うっかり住所を漏らしてしまったことに焦りを感じた彼女はその直後、大慌てで「これ、絶対に内緒ですよ?」と、僕の耳元で囁いた。(顔が近い!)心臓が止まるのではないかと思うほど、ドキドキしたことも合わせて、他の何ものにも代えがたい、大切な思い出だ。
2
その夜は、冷たい小雨が降っていた。
深夜、よく通うコンビニ帰りに、近道の公園の中を通りかかったときのことだ。街灯の灯りが滲む暗がりの中で、人影が二つ、奇妙な格好で固まっていた。一人は地面に倒れ、もう一人はその傍らに佇み、地面を見下ろしている。
いったい何ごとかと不審に思い、妙な胸騒ぎがして駆け寄った僕は息を呑んだ。
地面に横たわっていたのは、血溜まりに沈む中年男性の死体だった。そして、その傍らで震えていたのは、僕が誰よりも愛するあかりん――桜井あかりだった。
普段目にするステージ衣装ではない、地味な私服だし、ノーメイクで印象はだいぶ違って見えるが、推しを見間違えるはずがない。
彼女の手には、鈍く光る刃物が握られている。
「あ、あかりん……だよね?」
僕は恐る恐る声を掛ける。すると彼女はハッと我に返り、手にした刃物――アウトドア用のナイフ――を離し、両手で顔を覆う。
「わたし、なんてことを……ああっ!」
錯乱しかけていると思った僕は、まずは彼女を落ち着かせるため、「落ち着いて。何があったの?」と言いつつ、今にも崩れ落ちそうな彼女の両肩に手を添えた。推しのアイドルに、握手以外で触れたのだが、このときはそれどころではなかった。
「どうして……こんなことに……」
地面に横たわる男の死体を前に、動揺を隠しきれない僕の声がようやく届いたのか、彼女はゆっくりと顔を上げた。街灯に照らし出された彼女の顔は蒼白で、瞳は恐怖と絶望に大きく見開かれていた。
「仕事のことで……揉めて。事務所のスタッフの人なんですけど……もう耐えられなくて……つい、カッとなって……。わたし、殺しちゃった……」
彼女は言葉を詰まらせながら、小さく震える声で呟いた。
「――今から警察に行って、自首します」
彼女の言葉が、雨音の中に溶けていく。
やり切れない気分だった。
彼女のアイドルとしての人生は、ここで終わってしまうのだろうか。あの眩しい笑顔も、歌声も、すべてがこの冷たい雨と血の匂いの中で消えてしまうのだろうか。事件が発覚して警察が来れば、彼女は逮捕される。世間からは激しいバッシングに遭い、もう二度と表舞台に戻ることはできないかもしれない――。
いや、そんなことは、絶対に許されてはならない。彼女は光の中にいるべき存在だ。こんな泥まみれの闇に落ちていい人間じゃない。
――そうだ。
僕の頭に、ある考えが閃いた。頭よりも先に、身体が動いていた。僕は地面に転がる、凶器のナイフをすでに拾い上げていた。
「な、なにをするの……?」
あかりんは目を丸くして僕を見つめる。
「僕がやったことにする。大丈夫、あとは僕が何とかするから」
言いながら、僕はシャツの裾でナイフに残されているであろう、彼女の指紋を念入りに拭い取る。次に自分の指紋を付けるため、持ち手を何度も握った。
続いて地面の男の死体を引きずり、近くの植え込みの中に隠した。いつの間にか雨脚は強まり、地面に広がっていた血溜まりはほとんどが洗い流されていた。
「あかりんは今すぐここを離れて。何ごともなかったように、家に帰るんだ。いいかい? 誰に何を訊かれても、君は何も見ていないし何も知らないって言い張るんだ」
「でも、そんな……ノブユキさんに迷惑が……」
「いいんだ!」僕の声が、無人の公園内に響いた。「推しを守るためなら、僕の人生なんてどうなったっていい」
僕は彼女の両肩を掴み、少し強引に押し出した。少しでも早く、その場から離れるように。
「僕の人生は、桜井あかりの輝きを見届けるためにあったんだから。後悔なんてしないよ」
あかりんは涙を浮かべ、何度も首を振りながらも、最後は僕に背を向けて走り去っていった。雨の中に消えていくその華奢な後ろ姿を、僕はただ見送った。
警察へ自首するまでの間、恐怖は不思議と湧いてこなかった。胸を満たしていたのは、誇らしさと歪んだ達成感だった。僕は、僕の手で推しの未来を守ったのだ。
3
後日、警察の取り調べを受け、やがて裁判が開かれた。
僕は全面的に罪を認めた。
犯行推定時刻、現場の公園内で男の声を聞いたという近隣住民による証言。そして凶器から採取された僕の指紋。状況証拠も物的証拠も僕が犯人であることを指し示していた。裁判はスムーズに進んだ。判決は懲役刑。もちろん、控訴はしない。
一審を終え、冷たいコンクリートの壁に囲まれた独房に戻った夜、僕は静かに天井を見上げた。
ニュースでは、事件の犯人が逮捕されたことで世間は安堵し、桜井あかりを始めコットン・キャンディは何事もなく活動を続けていると報じられていた。彼女の笑顔は、今もどこかのステージで、誰かを魅了しているのだろう。
「殺人犯」のレッテルと共に、前科が付いてしまった僕の人生は、ここで途絶えたのかもしれない。けれど、あかりんの未来の一部になれた。推しの身代わりになれた。
それだけで、僕の犯した罪は、僕の生涯で最大の誇りになった。
それが僕にしかできない、僕があかりんのためにできることなのだから。
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